海の青、松原の緑、夕日の赤の団結旗【玄海東小のキセキ 第11幕】
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担任となった北崎は、得意の算数の授業で子供たちを個別指導するとともに、6月には夜の体験学習を実施して、故郷の宗像に親しませました。かたや、脇田校長は縦割り活動をさらに活性化させようと旗作りを導入します。そうすると、ようやく子供たちがまとまりだし、一縷の希望が見えてきました。
目次
4年生を無口にさせたホタル
5月の大型連休明けには、担任が交代する出来事が起き、教務主任の北崎が担任を兼任することになったことは前に述べた。前任校の吉武小学校では、教務主任を務めていたから、北崎が担任を受け持つのは5年ぶりのことになる。
担任時代の北崎はいつもクラスの子供たちの学力を把握することから始めていた。北崎は宗像市が2008年度に、つまり、4年生が3年生のときに実施した標準学力検査(CRT)の資料を調べた。
国語と算数の平均点比較を見ると、国語では、全国の3年生が73.0点であるのに対して、本校の3年生は55.1点。算数では、全国の3年生が78.6点に対して、本校の3年生は63.2点であった。算数で30点以下の子供がクラス34人中6人いた。
「これでは前の学習からやらんといけん」
子供ひとりひとりについて算数のつまずきがどこにあるのかを知るために、北崎は1年生から3年生までに学習した算数の振り返りテストを実施した。北崎は算数教育が専門だった。おおよその子供の学習状況をつかんでから授業を始め、子供のつまずきを把握していったのである。
4年生の算数では、小数の筆算で多くの子供がつまずいた。例えば、4.05に3.1を足すたし算ができないのである。位をそろえて小数点を打つというやり方ではよく理解できない子には、位どりのところまで遡った。
北崎はたくさんの数え棒を入れた箱を子供たちに見せる。数え棒とは、数を数えるためのプラスチック製の棒である。
「何本、入っとうか?」
子供たちは「50本」とか「100本」とか適当なことを言う。北崎は、箱から10本とったら輪ゴムで束ねて教壇に置くように指示し、その箱を持って教室を回る。そうすると、12束と3本が教壇に置かれた。箱の中には123本あった。
「数え棒を1とすると、棒が10本集まったら、1の位から10の位に上がるやろ。0.1が10本集まったら、どうなる?」
小数第1位の位が1の位になることがわかると、今度は、数え棒1本を「0.01」にして10本を束ねさせた。それから、1の位、小数第1位、小数第2位のそれぞれの位に分けてたし算することを教えた。
算数の授業で見つかった各自のつまずきをどうするかというと、毎週金曜日の放課後に補充学習の時間を設け、そこでそのつまずきを解消していくことにした。同じつまずきを持ったグループに分け、少人数学習を行うのである。
かっとなると校長室に駆け込むりくとは、わり算の計算や小数のしくみなど数と計算の領域の理解が早かったので、「計算の基礎を固めておこう。そうすれば、高学年の計算にスムーズに入れるぞ」としっかり褒めた。
北崎の予想どおり、子供たちはなかなか授業についていけなかった。しかし、時間がかかったとしても、子供ひとりひとりの学習進度に合わせて面倒を見ていくことにより、子供たちとの関係を築こうというのが、北崎の考えだった。
北崎は5月に行ったキイチゴ狩りに引き続き、6月の終わりに、「ホタルを見にいかんか」と子供たちを誘った。
「ホタル!?」
子供たちの幾人かは、「何だ、それは」という顔をした。自然豊かな土地に暮らしていても、この目でホタルを見たことがある子供はほとんどいなかった。
「夜になると、ホタルのお尻が光るんよ。光を点滅させて飛ぶと」
子供たちの視線が北崎に集中した。
「いまは梅雨やろ。雨が降るとホタルは飛ばんから、梅雨の晴れ間に当たるとええな」
「雨、止んでくれ」
急に子供たちは祈り始めた。
北崎が事前に「親子でホタルを鑑賞しませんか」と保護者に呼びかけると、すぐに賛同が得られた。ホタルを観察するのは夜になるから、保護者のクルマに乗り合って出かけることになる。10人の保護者が自家用車を出してくれた。任意の催しであったが、子供たち全員が参加した。
ホタルを見るには、薄曇りで蒸し暑い夜がいい。場所は学区内を流れる樽見(たるみ)川の上流。宗像市の真ん中を南東から北西へと貫く釣川の支流で、玄海東小学校の南方3キロメートルほど離れたところを流れる、幅4メートルほどの小川である。
樽見川には、きれいな水に住むといわれる河童の伝説が残る。周囲は家がまばらで田畑が広がっているから、見渡しはいい。
現地には、当日の夜7時に集合した。北崎の知人の所有地に駐車し、クルマのヘッドライトが消えると、真っ暗な世界が広がった。辺りに街灯はほとんどなく、雲に覆われているので、月の薄明かりだけが頼りだ。
「ペアになって先生についてこんね」
北崎は目的地まで道路沿いを歩きだした。子供たちは手に持った懐中電灯を照らす。道路を進んでいくと、川と雑木林に挟まれたような場所に来た。
「ホタルだ! 光っとう」
道路から河原を見ている子供たちが叫んだ。
「みんな、懐中電灯を消さんか!」
川の土手の草むらにホタルが乱舞していた。土手から反対側の土手へと飛び交うホタルがいるかと思えば、子供たちに近づいてくるホタルもいた。
「宗像の多くの川では、ゲンジボタルとヘイケボタルの両方が見えるんよ」
そう北崎が言うと、後ろの子供から声がした。
「ヒメボタルもいるらしか」
どの子がしゃべったのか、わからない。事前に調べた子がいることが北崎にはうれしかった。
「ホタルは光の点滅で会話しとるんよ」
しかし、北崎の説明を聞いているのは傍にいるほんの数人だけで、ほかの子供たちは道路まで上がってきたホタルを必死で追いかけていた。
「ホタルを捕んな」
子供たちの動きが止まる。
「どれくらいの寿命か、知っとうか。1、2週間の命なんぞ」
「そんなに短いと」
それを聞いた子供たちはホタルを捕まえるのを止めた。しんとなった。川のせせらぎの音しかしない。無数のホタルが夜空に漂う。
「この子たちも無口になることがあるんか」
そう思いながら北崎もホタルの光を追った。
北崎が宗像に引っ越してきたのが小学4年生。ひょんなことから担任を受け持つことになった子供たちも小学4年生。北崎がさつき松原で子供たちに内緒でキイチゴを口に含んだとき、その甘酸っぱさが一瞬にして子供のころへと北崎を戻した。ホタルを見ているときにも、北崎は童心に返った。
「子供のころの自分と目の前の子供たちと何が違うんやろか」
北崎は自分が故郷で味わった楽しさを子供たちにも味わわせてやりたかった。その結果として、これまでの担任とは違う姿を子供たちに見せることができればいいと考えていた。
子供たちにフラグを立てる
7月に入った。初めは空梅雨かと思われたが、6月末から雨が続く。学校下の交差点で子供たちとの挨拶を終えた脇田は、学校玄関の脇でレインコートを脱いだ。
玄海東小学校の学校玄関の脇には、小さな石庭がある。立派な庭石に囲まれた涸れ池には、長雨のせいで水が溜まっていた。それを横目に学校玄関をくぐると、蛍光灯に照らされた玄関ホールはガランとしていた。
「殺風景だな」
玄関ホールで一番目立つものが教職員や来客用の下足箱なのである。在校している子供たちの作品や掲示物が学校の玄関に飾られていないのだ。指導主事のキャリアが長く、いろんな小学校を見て回ってきた脇田にとって、玄海東小学校ほど子供たちの作品や掲示物が見られない学校はなかった。子供の息吹が感じられる何かがほしかった。
特別活動の取り組みとして集団遊びを始めたのはいいが、4年生が初めて行った集会活動はけんかに終わってしまった。好きな友達同士で遊んでいても、学級集団として遊んだ経験がないから、どうやって遊んだらよいのかわからないのだろう。
それに対して、縦割り活動による集会活動では、リーダーの経験がないにもかかわらず、6年生が年長者としてよく振舞うことができ、子供たちに意欲が湧いてきた。
脇田にとって、これは朗報だった。だが、問題は次の一手である。ずっと考え続けてきた脇田が出した答えは、旗作りだった。
「旗はいいぞ」
なかなかアイデアが浮かばなかった脇田に、当時、北九州市立小石小学校校長であった大庭正美(おおば・まさみ)の声が脇田の脳裏に響いた。脇田が主幹指導主事のころ、大庭校長が福岡県小学校特別活動研究会で発表した運動会の実践を思い出したのである。
大庭は小柄で謹厳実直な風貌だが、その実は人を楽しませることが好きなアイデアマンである。大庭は北九州市、脇田は宗像市と勤務する場所や教育委員会の管轄は異なっても、担任や指導主事として同じ時代を生きてきた。脇田と大庭のふたりは気心の知れた間柄だった。
小石小学校は感動的な運動会が行われる学校として県下に知られていた。PTA会の有志が作った裃(かみしも)を着た大庭が運動会を盛り上げるのだ。その運動会では応援合戦があり、応援団長が選出される。子供が「応援団長になれんかった」と言って悔し涙を流し、運動会が終わりに近づくと、「もう終わると」と言って子供たちが泣いた。
大庭が見せてくれた動画には、必死な表情で縦割り班の旗を振る子供たちの姿が映し出されていた。「校長になったら、私もやろう」と考えていたことを脇田はすっかり忘れていた。
脇田は縦割り班の旗を作るように指示した。玄海東小学校の運動会は9月下旬に行われる。縦割り班の旗作りをするなら、夏休み前の7月に始めるのがいい。
6月下旬に児童会計画委員会が開かれた。児童会計画委員会は児童会活動を準備・計画する事務方のことで、5、6年生各3人ずつ計6人で構成されていた。児童会担当の6年生担任がひとりの委員に「縦割り班の旗を作ってみんか」と打診すると、「やりたい」と乗ってきた。
すぐに開かれた児童会計画委員会の話し合いでは、縦割り班ごとに旗地の色を自由に選ぶのではなく、あらかじめ児童会計画委員会が選定した旗地から選んでもらうことにするという意見でまとまった。
その結果、玄海灘の海を表わす青色、さつき松原の緑色、砂浜から見える夕日の赤色、砂浜の白色という4色の旗地のなかから縦割り班が選び、旗を作ることになった。旗の大きさは縦60センチメートル、横80センチメートルである。ただ、白色の旗地は選ばれなかった。
7月初め、放課後の教室に縦割り班が集まった。教室は校舎の3、4階にある空き教室を使用した。そうすれば、製作途中でも旗をそのままそこに置いておける。
縦割り班で旗に描き入れるイラストや言葉について話し合うと、どの縦割り班でも、「1、2年生が描けるもの」という意見が出た。
ある縦割り班は赤地の布に太陽を描くことにした。班で考えた原画をもとに班のなかの中学年と高学年が下絵を描き、班のメンバー全員で手分けして色を塗る。油性のポスターカラーを使って筆で塗っていくのだが、1年生は細部の筆使いができない。しかし、それでも1年生は塗りたがる。
「ここは難しいけん、一緒に塗ろうね」
6年生の女の子が1年生の女の子の手に手を添えながら色を塗っているではないか。上級生は下級生に優しくしなさいと教えたわけではない。脇田は思わず目を見張った。
塗り終わったあとの確認は、6年生が行った。ところどころに塗りむらができていることがわかると、最後の仕上げに油性マジックで色を整えた。最後の仕上げをすることを誰も指導していない。
子供同士をかかわらせたからこそ、こんな場面が生まれてきたのだ。人と人をかかわらせなければ、何も生まれない。4年生ほど荒れていないとはいえ、6年生から下級生の面倒を見るという力を引き出せた。
「学校は活動している子供の匂いがせないかん」
脇田はできあがった旗を玄関ホールの壁にかけると、改めてそう思った。殺伐とした玄関ホールが色鮮やかに彩られた。
休み時間に脇田が旗を眺めていると、ふたりの1年生の男の子が駆け寄ってきた。彼らは「こっち、こっち」と脇田を手招きする。
「ぼくたちの旗だよ」
彼らは自慢げに自分たちの作った旗を指差した。子供たちが本気で旗作りをしたとわかった。
子供たちのなかに学級集団としての意識が芽生えるのも時間の問題だと脇田の心は弾んだ。
ライター/高瀬康志 イラスト/菅原清貴 ※文中の敬称は省略させていただきました。