ほくとが幸せな学校にしよう【玄海東小のキセキ 第10幕】
- 連載
- 玄海東小のキセキ
学校下の交差点で朝の挨拶を交わすうちに、脇田に親しみを感じた子供たちが校長室を訪れるようになります。脇田は5月から学級会と縦割り遊びを開始しました。集会活動では、けんかが起きてしまいますが、縦割り遊びでは、下級生を思いやる遊びをして、6年生がリーダーシップを発揮します。
目次
校長室はクールダウンの場所
4月の就任早々、脇田は校長室の廊下側のガラスを入れ替えた。すりガラスだったのを透明なガラスに変更し、校長室のドアを開放したままにした。
脇田は学校を見て回っていたから、校長室を不在にすることが多いが、子供たちには、いつでも気軽に会いに来てほしかったからだ。通りがかった子供が覗いたりしたら、すぐに声をかけられる。
同じ校内にいるといっても、教室で子供と接する担任と比べれば、校長と子供の距離は遠い。校長室を触れ合いの場にすることで、子供たちの変化が自分にフィードバックされることを狙ったのだ。
そうすると、4月半ばくらいから子供たちがちょくちょく校長室を覗きに来るようになった。
脇田は給食ができあがると、すぐに給食の検食を行うのが日課である。給食の中に異物が混入していないか、食品が適切に加熱され、または冷却されているかなどを確認するのである。
脇田が校長室で検食していると、そこへ何人かの1年生が侵入してきた。
「もう食べてる~」
脇田を指さしてそう言いながら近づいた1年生が、「なんで先に給食を食べとうと?」と尋ねる。
「腐っていたら、大変でしょう。それを確かめているんだよ」
「えーっ!」
1年生は腐っているという言葉に食いつく。ちょうどそこへ慌てて入ってきた担任の女性が咎(とが)めた。
「校長先生、驚かさないでください。さあ、教室に戻りますよ」
担任に叱られた脇田は、1年生になったような気がした。
バタバタと足音が近づいてきた。1年生たちと入れ替わりに、子供が校長室に飛び込んでくる。4年生のほくと(仮名)だった。学校下の交差点では、最初から挨拶を交わしてくるような人懐っこい男の子で、短髪でめがねをかけている。校長室に来るのは初めてだった。
「校長先生、こんにちは~」
ほくとは投げやりな口調で挨拶して、大きな会議用テーブルの下に潜り込んだ。ブツブツ文句を言っているようだが、うまく聞き取れない。
「ほくとくん、こんにちは」
脇田はそう言ったまま、書類に目を通している。ほくとは、すぐかっとなり、拗(す)ねるところがあるから、こんなときは放っておくに限る。
「校長先生、さようなら~」
「はい、さようなら。また、おいで」
落ち着きを取り戻したほくとは教室に帰っていった。「友達と言い争いでもしたのかな」と思いながら、書類から目をはずした脇田は、ほくとを見送った。
それから幾度となくほくとは校長室にやってきた。遠くから足音が聞こえてくると、脇田は「ほくとだな」とわかるようになった。校長室が彼のクールダウンする場所になっていた。
6月に入ったころ、1時間目が始まる前にほくとが校長室に入ってきた。挨拶もせずに応接ソファにごろっと寝転ぶ。「登校早々にけんかしたのか」と脇田は思った。いつもならばクラスの巡回に向かうところだが、それを止めた。
1時間目のチャイムが鳴った。応接ソファに寝転がっていたほくとが起き上がり、デスクに向かっている脇田の傍まで歩んできた。
「校長先生、今日ね……」
ほくとはうつむいたまま、しゃべりはじめた。
「どうしたん?」
脇田はほくとのほうを向いた。
「ばあちゃんから言われたと」
「なんて?」
「ぼくはだめな子なんよ」
「だめなことがあるもんか」
その言葉で、ほくとは初めて脇田の顔を見た。
「だって、かあちゃんに捨てられた子って、ばあちゃんから言われた」
そんなことを言われたので、ほくとは朝から機嫌が悪かったのだ。
脇田はほくとの家庭事情を知っていた。ほくとが3歳のとき、家族が祖母の暮らす実家に戻ると、すぐに母親は子供を置いてどこかへ出奔(しゅっぽん)してしまった。行く先は皆目わからない。ほくとの入学式に母親は現れなかったと聞いた。父親は漁師をし、祖母は小さな食堂で働いて生計を立てていた。
「ほくとはだめな子やなか。友達とけんかしても、自分を抑えようと頑張るいい子やないか。おばあちゃんはほくとのために一生懸命に働いてくださっているのだから、本気でそんなことを思っておられんよ」
ほくとの肩に手を置きながら、脇田はそう言うのが精いっぱいだった。
その日の終礼の時間に、脇田は20人ほどいる教職員に向かってほくとの話をした。
「私たちはどれだけ頑張っても、ほくとの母親を連れ戻すことはできません。でも、この学校でできることがありますよね」
ほくとの家庭事情を知っているのは、4年生担任の北崎と脇田のふたりだけである。いつもざわざわとしている夕暮れ時の職員室はしんとなった。その呼びかけに教職員たちの視線は脇田に集まった。
「せめて学校にいるときくらいは、ほくとを幸せな気持ちにしてやりませんか。頑張って、子供ひとりひとりが楽しいと思える学校をつくっていきましょう」
初めてその話を聞いた教職員たちは「そうだな」という感じで、黙って肯(うなず)いていた。
依然として子供たちは騒がしく、授業に集中していなかった。子供たちの状況の悪さに加えて、4月末に行われた家庭訪問では、子供の家庭事情まで担任の目が行き届いていないことが判明した。
家庭訪問があった日に、ある母親から脇田に苦情の電話がかかってきた。その母親は家庭訪問に訪れた担任から、「子供が宿題をやってこない。お風呂も入っていない。しっかり家庭教育をしてください」と言われたというのである。しかし、夜遅くまで働いているので、勉強を見ろと言われても見られない、子供と一緒に風呂に入る時間もないと母親は脇田に訴えた。
「ああ、こんなところに子供の指導が通じない原因があるのかな」
学校教育を行うのが学校の先生で、家庭教育を行うのは保護者だと割り切って考えている担任が多いのかもしれないと脇田は思った。
校区には、経済的に苦しい家庭やシングルマザーの家庭が少なくなかった。子供を見つめていれば、子供が背負っている生活の厳しさが見えてくる。そうであれば、保護者と会ったときに担任の口をついて出るのは、「しつけてください」ではなく、「頑張って育てておられますね」という言葉であってほしかった。
保護者に共感する担任の場合には、保護者と共同して子供を育てていくことができる。しかし、そうでない担任の場合には、親に対して平気で苦言を呈したりしてしまうので、保護者の反感を買ってしまう。こんなところにも指導の浸透力に差が出る要素が潜んでいるのである。思いがけず担任の指導力に対する懸念が表面化した。
「子供が背負っている生活の厳しさに目を向けてください。それに共感するところから指導を始めましょう」
家庭訪問を終えた日の終礼で、脇田が担任たちに厳しく釘を刺すという出来事も起きていたのである。
校長に就任して以来、脇田の寝つきは悪かった。ほくとの告白があった日の夜中には、「捨てられた」というほくとの言葉がリフレインして眠ることができなかった。
ころがすドッジボール
脇田はただ悩んでいたのではない。5月の大型連休明けから脇田は、子供をかかわらせる特別活動の取り組みを開始した。具体的には、学級会の話し合いで子供たちがやると決めた集会活動や、縦割り活動という異年齢集団活動などを行った。
脇田が作成した特別活動の全体指導計画によれば、2009年度の学級会活動の時数は、1年生20時間、2年生23時間、3年生23時間、4年生25時間、5年生27時間、6年生27時間が割り当てられていた。
2009年度の校内研究のテーマは学級会である。ほとんどの担任が学級会をしたことがあるといっても、我流のやり方をしていた。子供が事前に課題を選定し、子供が司会や記録を行い、話し合いも子供たちに任されるといった本格的な学級会をしたことがなかったからである。
初回の校内研究会では、学級会を研究すると決めたものの、担任たちは実際に学級会をどうやればいいかわからないという戸惑いの表情を見せた。
「校長先生、あんまり学級会の指導案を書いたことがないんだよね」
そう吐露する50歳代の担任がいた。指導案とは、正式には学習指導案といい、ある授業時間のなかで、どんな授業(ここでは学級会)を展開するかという構想を示した進行表のようなものである。そういう担任には、脇田は指導案を書いてやったり、指導案の一歩手前の、事前・本時・事後の活動内容を記した活動計画を書いてやったりした。
ある担任は型を教えてほしいと言う。例えば、社会科ならば問題解決型の授業を行うという社会科指導の型がある。学級会にも型があるはずだ。型を教えてくれれば、その通りにやればできるだろうという読みである。
それは教員の習性みたいなものだった。教員はどうしても学級会を指導しようと考えてしまう。しかし、先に述べたように学級会は子供たち主導で行われるものなのだ。子供たちに任せるのが担任の仕事なのである。
では、学級会における担任の指導とは、どのようなものなのか。脇田は具体例として第4幕に登場した、あけみちゃんの話を挙げた。
体育の時間にクラス対抗リレーを行った。リレーに負けて悔しい子供たちは、どうすれば勝てるかをその場で話し合った。子供たちが臨時学級会を開いたのである。そこである子供が、あけみちゃんという特別な支援が必要な子が走者のなかにいるからリレーに負けるのだと主張した。
そのとき、初めて脇田は子供たちの話し合いに口を挟んだ。「あけみちゃんをのけ者にするのか」と介入したのである。学級目標には、「みんなで仲良く」という言葉が入っていた。学級目標からはずれそうになったときなどに指導するのだと脇田は説明した。
しかし、そう説明されても、担任らはピンと来ない。そこで、脇田は初回の校内研究会の席で担任たちに向かってこう言った。
「学級会では、最初に『みんなで何をしたい?』と子供たちに聞いてください。そうしたら、子供たちは『昼休みに遊びたい』などと言うはずです。そこからスタートしてみてください」
ここにいう遊びが集会活動である。本来ならば、自分たちがもっと団結するために遊ぶという目標や、男女が一緒に楽しめる遊びをするという課題を達成するために集会活動を行うのだが、いきなり子供たちがそんな話し合いをするのは難しいし、学級会初心者の担任にいきなりそれを求めても、学級会をするのが億劫になるだけである。
2008年度の「宗像市学習意識調査」によれば、本校の子供が、市内の子供と比べて、友達と協力する経験が不足していることが示されていた。そうだとすれば、クラス全員で一丸となって取り組むという集団活動のよさを味わわせることのほうが先決になる。遊びは子供たちの専売特許だから、子供たちがこれをして遊びたいと言えば、あとはそれを実践するだけである。
5月から4年生担任を兼務することになった北崎も、学級会を我流で行っていたひとりで、本格的な学級会をすることに困惑した口である。しかし、困りながらも北崎が、脇田から言われたとおりに「みんなでしたいことはあるか?」と学級会で投げかけると、子供たちはみんなで遊びたいと答えた。
「ドッジボールしよ!」
声の大きな男の子のひと言で、すぐに決まった。クラスは男女が均等になるように2チームに分かれ、昼休みの時間に体育館で行うことになった。
ドッジボールとは、自陣のコートと敵陣のコートに分かれて対面したチームが自陣から敵陣に向かってボールを投げ合い、敵にボールを当てるゲームである。ボールを持つ側が攻撃し、ボールを持たない側は当てられないように逃げて防御する。
自陣は内野と外野に分かれている。自陣のコートを内野といい、敵陣のコート(内野)の外側を外野と呼ぶ。内野から投げられたボールがノーバウンドで敵の体に当たると、その敵は内野から外野に出なければならない。外野から投げられたボールが敵に当たった場合には、その外野の選手は内野に移動する。
1セットは5分間。時間内に相手の内野にいる選手を全滅させるか、終了時に内野に選手が多く残っているチームが勝利する。
楽しみにしていた4年生は、昼休みの体育館に急いだ。子供たちだけではなく、4年生のことが気になる脇田も駆けつけた。当日は出張で不在の北崎に代わり、学力向上支援担当講師として4月から勤務していた武裕道(たけ・ひろみち)が担任として入った。
北崎の学級会を補助する武は28歳。大柄ではないが、がっちりした体格の持ち主で実直なタイプである。学力向上支援担当というのは、県によって学力の低い学校に特別に加配されている役職で、担任の要望に応じて授業をフォローするのが仕事だった。
「行くぞ!」
攻撃側の内野の男子が味方の外野に声をかけて、ゲームは始まった。運動神経のいい男子がボールを投げるたびに女子がキャーッと悲鳴を上げる。男子がボールを持つと、相手チームが自陣の後方に下がる。
ひとりの男子が、敵陣の男子に狙いをつけて速くて曲がるボールを投げた。その曲(くせ)玉は相手の体をかすったように見えた。しかし、投げられたほうの男子は内野のコートを離れない。
「当たっとろう、おまえ」
「おれは当たっとらん」
自陣の子供と敵陣の子供が言い争いになったかと思うと、つかみ合いのけんかになり、それを見ていた女子が泣き始めた。
すぐに武と脇田が止めに入った。和気あいあいとしたのも束の間、クラスのみんなで遊ぶという楽しいはずの時間が最悪の時間になった。4年生の最初の集会活動は、残念な結果に終わった。
ところが、である。集会活動と併行して5月に導入した縦割り活動では、まったく言い争いが起きず、最初から楽しい活動になった。
縦割り活動とは、1年生から6年生までがひとつのグループになり、6年生をリーダーとして活動するものである。1グループ16人程度で、12の縦割り班ができた。各学年が数人ずつ入っている。縦割り活動では、縦割りで遊ぶ、縦割りで給食を食べる、縦割りで掃除をするといったことがよく行われる。
脇田は縦割り班による集団遊びから入るのがいいと考えた。週に2回、火曜日と木曜日の昼休みに遊ぶのである。運動場を4等分に、体育館を半分に区分けしたり、ジャングルジムなどがある遊具コーナーや中庭なども入れたりして遊び場をつくり、順々に遊び場をローテーションする。何をして遊ぶかは、リーダーの6年生が決める。
一番人気の遊びはドッジボールだった。縦割り活動を楽しみにしていた子供たちが昼休みに散っていく。
脇田が運動場を見て回っているときのことだ。
「ボールを転がしてやらん?」
6年生の男の子がそう提案していた。縦割り班には1、2年生がいるから、普通にボールを投げ合えば、低学年が怖がってしまう。ボールを投げるのではなく、ボールを転がすドッジボールをしようというのだ。
子供たちが集まって何かをやろうとすると、すぐにけんかが起きたのは4年生だけではない。ほかのクラスでも起きていたのに、縦割り遊びでは、けんかが起きなかった。
発足したての縦割り班という集団のなかで、6年生はリーダーを初めて経験した。それにもかかわらず、下級生を思いやることができたのである。
「6年生、やるじゃないか」
見るからに楽しそうに遊んでいる子供たちを見て、脇田はそう思った。いままで異年齢の集団で遊んだ経験がなかったはずなのだ。
「下級生が楽しめるように、よく工夫しましたね。素晴らしいリーダーシップです」
その縦割り遊びが終わると、すぐに脇田はその6年生の男の子を褒めた。
4年生の集会活動でけんかが起きたと知ると、それ見たことかという態度をとっていた担任たちも、この6年生の姿には感心した。
縦割り活動は上々の滑り出しを見せた。
ライター/高瀬康志 イラスト/菅原清貴 ※文中の敬称は省略させていただきました。