「もっと自分の強みを生かして、この仕事をしていこう」【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第10回】

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授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」
「もっと自分の強みを生かして、この仕事をしていこう」【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第10回】

全国の優秀な先生は、若手の頃から何をどのように学んで身に付けてきたのかを紹介するこの企画。今回からは、兵庫県神戸市の授業マイスター(小学校・理科)である、同市立小学校の小湊拓也教諭のお話を紹介していきます。

小湊拓也教諭

地元自治体の科学館勤務が良い経験

私は、小学校のときにすてきな先生に出会ったことで、子供の頃から「小学校の先生になりたい」という思いをもっていました。成長過程では、他の職業もいいかなと思う時期もありましたが、大学を選ぶときにはやはり教師になろうと考え、教育学部を選んだのです。

大学の専門教科は理科を選んだのですが、それは中学校時代の理科の先生が実験をたくさん行い、実験を通して学んでいく学習をしてくださったことで、「理科って、おもしろいな」と思ったからでした(写真1参照)。学齢が上がって学習内容量が増えると、どうしても実験の数が少なくなるイメージが当時からあったのですが、その先生は本当にたくさん実験をしてくださったのが本当に楽しかったのです。それに加えて、たまたま高校3年のときがしし座流星群のたくさん見られる年で、夜中に多数の鮮やかな流星を見て感動したことも影響があったように思います。やはり、自分が感動したことのある教科だというのも一つのきっかけだったのでしょう。

(写真1)実験を通して学ぶことの楽しさを、今も実際の授業で体現している小湊教諭。
(写真1)実験を通して学ぶことの楽しさを、今も実際の授業で体現している小湊教諭。

大学の専門は理科でしたが、小学校の免許と中学校・高校の理科の免許を取得できるコースを選びました。余談ですが、実は大学では幼稚園の免許も取ったのですが、それは「幼稚園の教諭になろう」と思ったからではなく、「取れる免許はすべて取ろう」と思ったからです。教員免許はすべて1種で取ったので、結果的には大学時代の取得単位が200単位くらいになってしまいましたが(笑)。

多種の免許を取った中で、なぜ小学校の教員になろうと思ったかというと、一つは最初に教師になろうと思ったきっかけが、すてきな小学校の先生だったということがあります。それともう一つは、もちろん理科は好きなのですが、理科だけでなく他の教科も好きで、できれば多様な教科を通して子供に関わりたいということがあったからです。それで小学校の教諭を選びました。

実は、私は大学卒業から採用までの間に1年間ありまして…その間、「何の仕事をして過ごそうか」と考えました。おそらく教職志望の方は非常勤講師を選ばれる方が多いのではないかと思います。ただ、教師の仕事は一度就職すれば、いくらでも実践で学べるわけですから、私は少し別の体験もしておきたいなと思ったのです。そう考えていたところ、卒論でお世話になった教授に、「地元自治体の科学館が教員志望の人を探しているよ」とご紹介いただいたので、運良くそこで勤務できることになりました。その科学館には分野ごとの多様なゾーンがあり、大学を出たばかりの私に天文ゾーンでのプラネタリウムの解説を任せてくださったのですが、それは良い経験でした。

翌年、教員として採用された後、市の小学校教育研究会でどの教科部会に参加するか、考えました。当然、専門で学んだ理科も「いいな」とは思っていましたが、他の教科も好きですから、「国語もいいな」「体育もおもしろそうだな」などと思っていたわけです。ただ、私が採用された当時は理科専門の指導主事の先生が科学館に出向するような取組も行われていたため、理科部会で勉強をしていたら、また科学館で学ぶ機会がもてるかもしれないと思い、理科部会に参加することにしました。残念ながら、制度変更によって出向はなくなったのですが、今でも学習指導要領が改訂されるたびに、子供たち向けの理科の学習番組を作り直したりするので、それに携わる仕事をいただく機会はあったりします。

放課後に週2回、研修センターで指導主事から指導を受ける

最初に私が担任をしたのは5年生だったのですが、初年度は学級経営で少々苦労をしました。もちろん、初任ですから多様な面で技術が不十分だったとは思いますが、今ふり返ってみると、一人の子が何か問題を起こしたとするとその子にばかり目が行ってしまい、個を見ながら全体を見ていくことが十分にできていなかったのだと思います。問題にばかり目が行くため、おそらく子供たちの良さを認めたり、ほめたりする機会も少なくて、子供たちは満足感が得られず、落ち着かなくなっていったのではないでしょうか。もちろん授業力も不足していたので、子供たちにとっても達成感がなかったところもあったのだろうと思います。

そんな状況で、学校の中のすてきな先生方と自分を比べながら、「担任が私じゃなくて他の先生だったら、子供たちはもっと伸びただろうな。申しわけないな」という思いを、最初は強くもっていました(写真2参照)。後から考えると、あのときによく辞めなかったなと思うくらい、本人としては行き詰まっていた時期もあったと記憶しています。ただ、そう思うばかりでは何も変わらないので、あるタイミングで、「もっと自分の強みを生かして、この仕事をしていこう」と考え方を切り替えていったのです。そうなると、自分の力を高めていく以外に道はないので、研修に積極的に向き合っていこうと考えるようになりました。

今は子供達主体に学びが深まるような授業をごく当たり前に実践している小湊教諭も、初任の頃には授業づくり、学級づくりで悩んでいたという。
(写真2)今は子供たち主体に学びが深まるような授業をごく当たり前に実践している小湊教諭も、初任の頃には授業づくり、学級づくりで悩んでいたと言う。

研修はもちろん校内でも行われるし、自分でも関係資料を読んで学ぶのです。しかし、それだけでは十分ではないと思い、市の初任者研修を担当してくださる指導主事の先生に自らお願いし、放課後に週2回、研修センターを訪ねて指導を受けさせていただきました。その先生は厳しい先生だったのですが、手近なハウツーはいっさい教えてくださいません。それよりも教材をどう研究し、どう解釈するのか、子供とどう向き合いながら、授業としてどうつくり上げるのかといった教師としての根幹の部分を徹底的に学ばせていただきました。私は、採用前に非常勤の仕事もしていなかったので、初任時のまっさらな状態から4、5年間指導していただいたのは、とても大きな力になったと思います。

ちなみに、そのときに中心に指導していただいたのは国語だったのですが、次第に私の他にも自主的に指導を受ける若手が増え、週2回、国語と算数とか、国語と社会というように多様な教科で指導をしていただきました。その指導主事の先生は特にプログラムを用意してくださっているわけではなく、そのときどきの若手の課題の実態を受けて、そこから多様な授業づくりの話をしてくださるような感じでした。

もちろん、各教科部会の研修も週に1回はあったのですが、それはあくまで教科のことですから、指導主事の先生の教えてくださった授業づくりベースの上に、教科の専門性が乗っかるような形で勉強できたことは、とても大きかったと思います。

そうした指導を受けたことの他に、1年間の1サイクルを終えると、2年目には自分の中で見通しがもてるようになることもあり、前年度にうまくいったこと、うまくいかなかったことを生かしながら、授業や学級づくりをすることができたので、2年目は、子供たちとの出会いの場面から何とかうまくやっていけたように思います。

ただ、2年目の2学期に校内で公開授業をさせてもらったときに、全然うまくいかなかったのです。国語の授業でしたが、対話がうまく広がらない、まとまらないような状態で大失敗でした。もちろん、教材研究はしっかりやって準備をして臨んだつもりでしたが、後から考えると、2学期に向けて、このように育てていくという見通しが甘かったのだと思います。「この時期にこういう授業をしよう」と思ったら、例えば対話の仕方一つをとっても年度当初からそこへ向けて、ステップアップしていくことが必要なわけですが、それが甘かったわけですね。その失敗から、さらに授業づくりに力を入れて学ばなければいけないと改めて思うようになりました。

次回は、理科という教科の授業づくりをどのように学んでいったのかを中心に紹介をしていきます。

【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」】次回は、5月25日公開予定です。

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之

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