ギフテッドが直面する課題 ~保護者団体代表が息子の育ちを振り返る
前回の「ギフテッドの子どもたちに対して、大人は何ができるのだろう?」という小泉先生の問いのバトンを受け取ったのは、 ギフテッド・2Eの子を育てる保護者の会 である 一般社団法人「ギフテッド応援隊」の代表理事の冨吉恵子さんです。
「ギフテッドな息子の育ちを振り返って」と題し、不登校などギフテッドが直面する課題について講演されました。
取材・執筆/楢戸ひかる
目次
ギフテッド応援隊は、全国規模の親の会
一般社団法人ギフテッド応援隊は、「ギフテッドや2Eの子を育てる親たちと思いを共有したい」という思いで、2017年に保護者のための団体として立ち上げました。
昨年は、ギフテッドがテレビや新聞で頻繁にとりあげられたり、『ギフテッドの個性を知り、伸ばす方法』(片桐正敏・編著/小学館刊)の出版もあり、1年で倍ほどの会員数になりました。
ギフテッドの認知が広がり、情報を必要としている人に、情報が届き始めているのでは? と感じています。
活動内容は、「保護者の支援」「子どもたちのコミュニティづくり」「社会や教育現場へのはたらきかけ」の3本柱です。
(『ギフテッドの個性を知り、伸ばす方法』(片桐正敏・編著/小学館刊)より抜粋)
活動のきっかけとなった息子の育ちを振り返りながら、学校生活でギフテッドが直面する課題について考えます。
幼少期~小学校時代
幼少期
新しいおむつを触っていたので… 「おむつ換えようか?」と話しかけると、そのおむつを持ってハイハイしてきました。
早くから言葉に反応し、長時間持続する集中力がありました。
小学校1年生の頃
落語にハマり小噺を10演目ほど覚えて、親戚の前で高座を披露していました。
興味関心の対象が独特で、周りの子と感覚が合わないことも多々ありました。
遊ぶ約束をしていた相手が、 他の友だちにばったり出会ってそれっきり…。本人は「嫌われた!」 「友だちだと思われていないんだ!」と大泣きをしました。
喜怒哀楽がとても激しく、結果的に深く傷ついてしまうことも多かったです。
小学校6年生の頃
小児科の医師より中学受験を勧められ、準備を始めました。本人は「中学受験をする子は、先生に従順な子ばかりのように感じる。そういう子が集まっている学校は、僕には合わない」といったことを感じていました。そして、ストレスから起立性調節障害になってしまいます。
合わない環境の中で苦しんだ結果、二次障害を起こしてしまうギフテッドの子どもは珍しくありません。
二次障害とは、 文字通り、 一次障害によって引き起こされる二次的な障害の総称です。不安、抑うつ、チック、起立性調節障害、場面緘黙…など、子供が不安定になってしまう状態を包括的に捉えている言葉とイメージしていただければと思います。
では、ギフテッドにとっての一次障害とは、何なのでしょうか? それを語る前の前提として「障害」について、少し整理をさせて下さい。
WHO(世界保健機関)は、2001年5月から、障害を「医学モデル」ではなく、「社会モデル」で捉えています。
「医学モデル」とは、障害をその人自身の個人的なものととらえ、医療によって改善させたり、機能を維持したりといった、いわば、従来の障害の捉え方です。
これに対し、「社会モデル」は、障害を、個人的なものではなく、その人と社会のあり方との関係の中に位置づけています。
たとえば、言葉や習慣の違う外国で生活をすることを余儀なくされた人が、外国での生活に慣れることができず、鬱症状になってしまったとします。この場合、「言葉や習慣の違う外国で生活をする」という社会的障壁が一次障害で、鬱症状が二次障害という理解です。
人は、環境に非常に左右され、時には深刻な二次障害を引き起こす、ということはギフテッドの不適応を語る上で、是非、押さえておきたい点です。
ここで、「通常学級で一斉指導を受けることが、そんなに大変なことなのか?」と、感じる方もいるかもしれません。
けれども、明治維新以来の改革といわれた新学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び」の実現が、掲げられています。子供の学びは、多様です。そろそろ「学びの多様性(Learning Diversity)」についても議論を始めるべき時期なのではないでしょうか?
中学時代~現在
中学生の頃
同級生のいたずらの連帯責任で学年全員が放課後に体育館に集められ、話をされたことに対して、「先生に僕たちの時間を拘束する権利があるのか?」と怒り心頭でした。
理不尽に権利が脅かされることに強い拒否感があり、先生とぶつかることも増えました。
「先生は職員室の内側にしか目が向いていない。こんな学校は退学します」と、公立中学に退学届を提出しましたが、校長に「義務教育だから…」と諭されました。
そこで「後輩たちのために、学校を改革したい」と、生徒会会長に立候補をすることにしました。推薦人を規定どおり5名集めましたが、先生に立候補を止められ、学校に通う気力を失ってしまいます。
学校と決別するギフテッドは本当に多いです。
このエピソードは、ギフテッドの「社会(みんな)が、よくなるなら自分が戦う(犠牲になる)」という精神を反映していると感じます。
「不登校」と「『学校と決別した』という気持ちで学校に通わない状態」とは、分けて考えた方がギフテッドの実像が掴みやすいのかもしれません。
高校時代
通学コースのある通信制高校に通い、友だちと自分が興味のある分野でのプロジェクトを立ち上げます。
けれども、学校のサポートは得られず、他のメンバーとの温度差などからストレスを感じ、潰瘍性大腸炎を発症してしまいます。けれども、最終的には、自分が興味のある分野のプロの指導を受け、納得のいく活動ができました。
ギフテッドには、学校以外の居場所が必要なのかもしれません。
ギフテッドの居場所とは、好奇心が満たされ自分の興味関心に没頭できる場所です。そして、安心安全な、自分らしくいられる場所です。
大学生(現在)
高校時代の友だちとルームシェア生活をしながら、今は、これまで興味を持ってきた分野を学んでいます。同じものに関心のある学生に囲まれて、楽しく過ごせるかと思っていましたが、「スンデのところで馴染めない」と言っています。
今も、どこかしら違和感を抱えているようです。
子育てを振り返って…
私は「素直な子、大人の言うことを聞く子がいい子」という環境で育ってきました。常識と思っていたことを疑う息子に、びっくりもしましたが、確かにその通りかもしれないと、 私自身もたくさんのことを考えさせられることの多い子育てでした。そのお陰で、今は、現状に感謝したり、他人のことを想像できたりするようにもなりました。
息子は新しいものの見方や価値を私に教えてくれ、たくさんの仲間を引き寄せてくれました。
長野県のある青年は、 17歳の時に自ら命を絶ちました。
これまでは、一般の人がギフテッドの情報に触れる機会は非常に限られていました。
息子と同世代、長野県のある青年は、 17歳の時に自ら命を絶ちました。
『長野の子ども白書2020』に、あふれる思いを綴られたお母様。 その手記が縁となり、 “わが子がギフテッドであった可能性”にたどり着かれました。 生きづらさを抱えるギフテッドは、今もたくさんいます。
生きづらさの軽減のためには、環境の調節が何より大切です。
このような特性をもつ人たちの存在を 周りにも、そして当事者自身にも気付いてほしい。 理解の輪を広げ、一人でも多くの子どもの適切な配慮・支援につなげたい―― 、そう願ってやみません。本日のシンポジウムのために、お母様からメッセージをいただきました。
訴えても届かなかった小さな声を 「長野の子ども白書」様が拾ってくださり、新聞に掲載され、上越教育大の角谷詩織准教授の目にとまり、 対談が実現(毎日新聞社様)。それにより息子の様々な言動に納得し、もっと早くギフテッドを知っていればと悔やみました。ギフテッド応援隊様や様々な方とも繫がり広めてくださいました。 ギフテッドが多くの方に理解され、息子が少しでも役に立てることが私の「希望」です。
お母様の手記および関連記事は、 ギフテッド応援隊サイトにて全文ご紹介しています。 ぜひご一読ください。
お母様の手記や関連記事を拝読すると、ギフテッドが学校で抱える違和感がどれほど見えにくいかを痛感します。
ギフテッドが抱える違和感を、多くの人にイメージしてもらうこと、そして一緒に考えていただくこと、それがギフテッド支援の第1歩だと感じました。
シンポジウムの模様がご覧いただけます。 動画はこちら
一般社団法人ギフテッド応援隊
ギフテッド・2Eの子を育てる保護者の回。2017年発足。2021年に法人化。子どもたちの成長を支える多彩な活動を、全国で展開中
「ギフテッドシンポジウム in 鹿児島」レポート記事(全5回)
第1回 日本社会がギフテッドを受容するための課題とは
第2回 ギフテッドと発達障害を見分けるポイント
第3回 ギフテッドの特徴「過度激動」を理解するポイント
第4回 ギフテッドのスペース「ギフ寺」の様子から