「本当にいい教師」とはどのような教師なのか?
「教師を支える会」を主宰する“現場教師の作戦参謀”こと諸富祥彦先生による連載です。多くの著書を通して ①多忙化・ブラック化、②学級経営、子供への対応の困難さ ③保護者対応の難しさ ④同僚や管理職との人間関係の難しさ、という「四重苦」が学校の先生を追いつめていると警鐘を鳴らしてきた諸富先生に、教育現場の現状やそれに対する危機感、そして現場教師へのアドバイスについて伺います。
目次
少数派の子供たちから支持がある
「本当にいい教師とは、少数者の側に徹底的に立つことができる教師である」というのが、私の考えです。
20数年間、私はスクールカウンセラーをしてきました。そこから見えたことは「本当にいい教師は子供からの評判がいい」ということです。それも、大多数の子供に評判がいいというより、うまく生きることができない子供や、カウンセリングルームによく訪れるような子供、周りの子供や先生からも疎まれているような子供、孤立している子供に評判がいいのです。
不登校の子、発達の問題を抱えた子、いじめられている子、LGBTの子などから支持されている教師が「本当にいい教師」です。
そういう子供はよくこんな言葉を口にします。
「あの先生がいたから救われました」
「あの先生との出会いがなかったら、私の学校生活は暗黒でした」
そういう子供たちが結構いるのです。
徹底して少数者の側に立つことができるか、それは教師間での「いじめ」の問題にも関係してきます。
給食がらみの教師間「いじめ」
小学校でも、中学校でも、現場で教員がほかの教員をいじめることがあります。その多くに共通するのが、給食がらみのいじめです。
例えば、教員の間でからかわれている先生がほかの先生から残っているおかずを「これも食え、あれも食え」と強要されるのです。からかわれている先生の食器には、これでもかと残り物のおかずが山のように積まれていきます。
からかっている先生はそれを遊んでいる気分でしているというのです。やられているほうは苦痛ですが、やっているほうは楽しく遊んでいるだけのつもりなのです。
そしてそれを、周囲の教師が止めることもなくいつのまにか常態化していく。つまり、子供のいじめと同じような構図が教員間にもあるのです。
神戸教員間いじめ暴行事件に関する報告書の中でも、教員による次のような証言がありました。
- 「本小学校にずっといると、善悪の判断がわからなくなってくる」
- 「赴任当初から日常的に、職員室内で汚い言葉が飛び交ったり手が出たりしていた。違和感があったが、学校ごとに雰囲気が違うので、ここはこんな感じなのかなと思った」
最初は「この職員室はおかしいのではないか」という違和感を覚えていた先生もいたのです。しかし、人間は慣れていきます。だんだん感覚が麻痺していくんです。
神戸教員間いじめ暴行事件の中心的な加害者は、授業がうまく、保護者の評判や校長の覚えがよかった教師でした。この教師をかわいがっていたのが、加害者グループの中で最年長(40歳代)だった女性教諭です。
この教諭は前の校長が呼び寄せたとされていて、学校で最も実質的な影響力を発揮していたといわれています。学校管理職が職場を掌握するには、核となる教員を味方につけておこうと考えたとしても無理はありませんし、学校管理職が事なかれ主義者だと、職員室内の実質的なボスが幅を利かせるようになりがちです。
そうして結果的に、いじめを黙認・許容する雰囲気ができあがってしまうのです。
「違和感を持てる」というスキル
事なかれ主義の学校においては、ハラスメントというものが感じられにくいようです。この状況に「ちょっとこれはおかしい」という違和感を持つことができるかどうか。この「違和感を持つことができる」というスキルは、教員にとって最も大切な力の一つです。それは学級経営でも同じです。
効率よく学級経営をしようと思ったら、少数者よりも、大多数の人気をとるほうが楽でしょう。でも、もし多数を優先する学級経営をしたとすれば、切り捨てられた子供はそれを察して深く傷つきます。そして、その傷は癒されることがありません。クラスの中でいじめが起きるようにもなるでしょう。
だからこそ「ちょっとした違和感」を大事にして、取り残された人に心を寄せる続けることができることこそ、本当にいい教師の一番大きな要件であると私は考えるわけです。
そのためには、「少数者・弱者を見捨てていないか」という感覚や、「ちょっとおかしくないか」という違和感をふだんから意識しておく、アンテナを立てておくということが大切になります。
「ちょっとこの子を置き去りにしていないか」という感覚、「大多数の子の味方になっていて、少数の子を切り捨てていないか」という違和感、そして「なんか、この職員室の雰囲気はおかしくないか」という感覚。
そういうものに敏感になるということを、先生方にはぜひ意識してほしいと思います。
「へらへら笑っているけれど、あの子供はつらいんじゃないか」
「ちょっと待てよ。あの先生は実は嫌な気持ちではないか」
へらへら笑っているから大丈夫、ではありません。往々にしていじめられている人間は、自分を守るためにへらへら笑っているような行動を見せるものなのです。
へらへら笑っているように見える子供や同僚を見かけたら、「ちょっと待てよ」と違和感を持ち、その子に「大丈夫か」と声をかけてみる。そのような気遣いのできる教師こそ「本当にいい教師」の要件を満たしているのではないでしょうか。
< 第3回へ続く >
第1回はこちらよりご覧いただけます→「いい教師」の条件とは?
諸富祥彦●もろとみよしひこ 1963年、福岡県生まれ。筑波大学人間学類、同大学院博士課程修了。千葉大学教育学部講師、助教授を経て、現在、明治大学文学部教授。教育学博士。臨床心理士、公認心理師、上級教育カウンセラーなどの資格を持つ。「教師を支える会」代表を務め、長らく教師の悩みを聞いてきた。主な著書に『いい教師の条件』(SB新書)、『教師の悩み』(ワニブックスPLUS新書)、『教師の資質』(朝日新書)、『図とイラストですぐわかる教師が使えるカウンセリングテクニック80』『教師の悩みとメンタルヘルス』『教室に正義を!』(いずれも図書文化社)などがある。
諸富先生のワークショップや研修会情報については下記ホームページを参照してください。
https://morotomi.net/
取材・文/高瀬康志