ちょっと待って!学習指導案で気になる表記
学級経営・特別活動を長年、研究・実践してきた稲垣孝章先生が、教育現場で見て気になったことについて、ズバリと切り込みます。
文・稲垣孝章(元・埼玉県東松山市立公立小学校校長)
目次
学習指導案で「~させる」は使役的な意味に捉えられる
かつて、指導担当学校訪問で多くの授業を参観していました。
その際、各校から事前に提出された学習指導案を拝見しますが、ある地域のA校とB校とで、学習指導案上の表記にちょっとした違いがみられることに気づきました。
しかし、このちょっとした違いは、とても重要な視点の差を含んでいたのです。
それは、「指導上の留意点」の項目欄に記載される文章表記でした。
A校は「大きな声で発表させる」、B校は「大きな声で発表できるように、事前に自分の考えをまとめておくようにする」という表記です。
A校のような「~させる」という表記は、教師による使役的な意味合いが強く、具体的にどのような指導の手立てを講じるかが見えにくくなりがちです。
一方、B校のような「~できるように…する」という表記にすると、子どもを支える視点に立つとともに、どのように具体的な指導の手立てを講じるかということが、構想しやすくなるのです。
評価の表記で「~について理解できたか」は評価となりえない
ある5年次教員研修会で拝見した学習指導案の「指導上の留意点」の欄に、「評価」と表記されていました。また、その具体的な評価の記述欄には、「~ について理解できたか」と記されていました。この学習指導案の評価欄を見た時、ここには次の二つの課題があるように思われました。
1.「評価」という標題は、評価の何を記載する項目として取り上げたのかが明確ではありません。例えば、評価規準(質的判断)、評価基準(量的判断)、評価の観点(見取りの視点)、評価の方法(見取りの手立て)等について明確な標題にすると、次のように具体的な評価の記述もしやすくなります。
2.「~について理解できたか」という表記では、何をどの程度理解できればよいのかという指導を見取るための評価とはなり得ません。またこの記載では、できたかどうかを判断するための評価基準(量的判断)も必要となります。例えば、評価規準【評価の観点:評価方法】との標題にすると、次のような表記となります。「~が理解できる」【知識・理解:練習問題のプリント】としたり、「~について考えている」【思考・判断・表現:教師の“観察】としたりする 表記となり、具体的な評価についての記述となります。
教育指導に「仮説」は必要?
各学校の研究のまとめとして作成する研究紀要や、研究協議会等でのレポートの中に、「研究仮説」という項立てがなされているものをよく見かけます。
自然科学系の論文・レポートであれば、仮説を立てて実験考察するというプロセスは常識ですが、教育の場でこの項立てに違和感を感じる人もいるようです。
そこで問題です。
(問)
あなたは、「研究仮説」の表記は、必要と考えますか。不要と考えますか。また、それはなぜですか。
学校における研究の「仮説」という表記に違和感を感じるのは、「仮説」という言葉には、科学で扱う「実験」や「検証」という言葉が伴い、「定説」を導くといった意味合いがあるからでしょう。研究の対象が子どもである以上、「~であれば~であろう」と言った「仮説」としての表現ではなく、例えば研究の「視点(ポイント)」や「手立て」等の表題とし「~の力の育成を目指したい」等とする方が自然なのだと思います。
『小一~小六教育技術』2014年4月号~2016年2/3月号連載「正襟危座--伝えたい--耳に痛いかもしれないけれど、教室で大切な基礎基本」より