避難訓練をやめて見えたこと:木村泰子先生インタビュー
大阪市立大空小学校では、東日本大震災以来、避難訓練をやめて「いのちを守る学習」を実践しています。想定外の状況下、自分で考え、信念を持った行動をとるにはどうすればよいか。初代校長を務めた木村泰子先生の言葉を手掛かりにして、防災の日に向けて改めて考えてみましょう。
木村泰子・きむらやすこ
大阪府出身。映画「みんなの学校」の舞台となった、大阪市立大空小学校初代校長。校長退任後も講演で全国の教育現場を飛び回っている。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと』『「みんなの学校」流・自ら学ぶ子の育て方』(小学館)など
目次
3・11から学んだ大切なこと
3・11は、大阪もかなり揺れました。想定外が起こったとき、人は冷静ではいられないということをそのとき学びました。あの地震があったとき、私はたまたま校長室に一人でいて、子供たちは教室にいた。だから、校長がすべての子供の命を守るなんてきれいごとだと思いました。
それまでも、「誰一人死んだらあかん。そのための訓練や」という目的をみんなで共有し、正解はどこにもないなかで、「走らなきゃ死ぬやん」、「でも、押したら潰れる。じゃあ、どうしたらいい?」とか、みんなで考える避難訓練はやっていました。
それでも、避難訓練は想定内の教育です。想定内の教育では、想定外の災害には通用しないということを3・11で学んだのです。
一方、個々に高所へ逃げた岩手県釜石市の子供たちは助かりました。「津波てんでんこ(津波が来たら自分の命は自分で守れ)」を、普段から学び、いざというときは自分で考え、弱い子の手を持って山へ逃げるのが、釜石の日常だったのです。
「非日常」で使える力は「日常」でしかつけられない
ここから学ばなければならないと思ったとき、授業も全部変わりました。先生の言うことを聞く子供をつくったらあかん。先生の言うことを聞く子供をつくるなら、その子の命を100%守らなければならない。でも、そんな保障はできない。
だから、避難訓練はやめました。訓練どおりのことが起きなければ、何の対処もできないからです。想定内の訓練は、想定外では役立たないそして、「非日常で使える力は、日常でしかつけられない」ということを、教職員みんなで共有したのです。
「先生の言うことを聞く子どもをつくるなら、その子の命を100%守らなければいけない」
ー木村先生ー
突然の避難指示に、走って集まる子供たち
突然のことが起きたら、学校はどう反応するのか。それが知りたくて、ある日の授業中、校内放送で「今から講堂に集まりなさい」とだけ呼びかけました。急いで講堂の入口で待っていると、子供たちは次々と走って来るのに、先生は2人しか来ません。
しばらくしてから、先生が集団でやって来ました。先生が揃ったところで子供たちを数えたら、誰一人もれずに全員集まっていました。子供たちに「どんなふうに思ってここに来た?」と聞くと、「何が起きたかわからないけど、校長先生が集まれと言ったから、とにかく行かなきゃと思った」と答えました。
先生たちはというと、教室からあっという間に子供がいなくなって、隣の学級の先生と廊下で「何やろう?」と話し、次に職員室に行って話を聞こうとしたけど、誰もいないので講堂に行くことにした。これが多くの先生の取った行動でした。
自ら考えて獲得した4つの力
なぜ、大空の子供たちが自分の考えを持ち、すぐに講堂に走ることができたかというと、それは「4つの力」が付いていたからだと思います。大空では、見えない学力=10年後に必要な力として、次の4つの力を設定しています。
▼子供に付けさせたい4つの力
- 人を大切にする力
- 自分の考えを持つ力
- 自分を表現する力
- チャレンジする力
授業においても、子供たちがこの4つの力をどれだけ獲得したかをいつも考えています。だから、正解のない問いを問い続ける授業を大事にしています。先生がいつも正解を教えていたら、子供は考えることをやめてしまいます。
講堂に行くべきだと考えたのは「自分の考えを持つ力」、それをすぐに行動に移したのは「自分を表現する力」、教室を出るとき友達に声をかけたのは「人を大切にする力」です。
全員が講堂に集まっていたので、そのまま「全校道徳」(テーマを決めて、子供たちが学年にとらわれない偶発的なグループをつくって話し合い、自由に発表する。大人はじゃましない)を始めました。
全校道徳のさなか、一斉に4階へGO
「こうやって集まって、今気付くことは何? 誰一人死んだらあかんということを大空は大事にしてきたけど、どうやったらそれが実現できるんだろう?」と問いました。
さらに、「みんなはここに避難した。でも、3・11は想定外の津波が来て、命が奪われることになった。数分後に大空にも津波が来る。今すぐ4階に避難します。ゴー!」と言いました。
先生たちは「えっ!?」となったけど、子供たちは一斉に入口へ走りました。入口で子供たちは団子状態になり、1年生のある子が転びました。「ストップ!」と一言かけると、みんな止まり、「巻き戻し」と言うと、みんな一旦元に戻ります。
ここで、「転ぶから順番を守って、並んで行きなさい」と言ってしまったら、そのマニュアルが想定外においてじゃまになるのです。
「3・11の瞬間、校長が子ども全員の命を守るなんて、きれいごとだと思いました」
ー木村先生ー
「〇〇さんが今こけたでしょ。もし自分だったらと考えてみて。もう1回やり直ししような。津波が来ます。ゴー!」と言うと、今度は6年生が入口で、「順番に行けよ。1年生が先に行けよ」と指示を出していました。
その後、もう1回巻き戻し、「なぁなぁ、講堂から外に出る手段ってこの入口だけ?」と、疑問を口にしてみました。普段は正面の入口しか使っていないのですが、講堂には5つの 入口があります。3回目はすべての入口を開けて、「ここからも出られるでぇ!」と、6年生が声をかけていました。
全員が4階に上がると人数確認です。教頭らが椅子の上に立って確認するけれど、1年から6年までが雑然としているので四苦八苦。避難先での人数確認には相当な時間がかかることもわかりました。
最後に、「すごい体験したね。教室に帰って、今自分が感じたことを書こう」と言いました。子供も大人も自分の考えを書いて出し合ったのです。その考えはすごかった。特に6年生が書いたことが一番の学びになりました。
リーダーとしての自覚ある反省
大空の子供は6年生になると全員がリーダーになります。
▼リーダーの3つの条件
- 先生に頼らない
- しんどい嫌な仕事は自分がする
- 文句を意見に変える
リーダーにはこの3つの条件があります。そして、6年生がチャレンジしてきたリーダーの条件は、代々受け継がれていくのです。
「自分は体力もあるし足も速い。それなのに、講堂脇の階段を使ってしまった。次は講堂から一番遠い階段を使って、講堂脇の階段は体力のない人たちにゆずる」
と、ある6年生はこう書いていました。「1階から4階まで休憩しないで上がるのは無理」という低学年の意見で、災害から身を守るには体力が必要だという課題も見えました。先生たちからは、校長頼み、リーダー頼み、指示待ちだったという反省が出てきました。
このように、10秒の校内放送から見えてきたことをみんなで課題にして、普段の学びに変えていったのです。「おはよう」から「さようなら」まで、カリキュラムの根幹に「いのちを守る学習」を据えました。
地域住民と学んだ「いのちを守る学習」
先述の釜石市には防災のプロがついていました。やはり、外部とのつながりが必要だと考え、同じ区内にある大阪市立大学と3年間の小大の連携を結びました。目的は、「いのちを守る学習」をどう深めるか。大学から地質学などの専門家を招いて授業を行い、子供、地域住民、教職員が対等に学ぶ機会を持ちました。
▼「いのちを守る学習」
↑防災に関する専門家を招き、子供、地域住民、教職員が一緒に学んだ大空小学校での「いのちを守る学習」。地域住民宅にポスターを貼ってもらうなどして、子どもたち自らが告知しました。
ある防災の専門家は、「砂漠で地震が起きても誰も死なないよ」と言いました。この言葉の意味は重いと思いませんか。地震で人の命が奪われるのは、人が作った物が倒壊するから。言い換えれば、地震で人が亡くなるのは人災だということです。
学校は学びの場か、避難の場か
3・11はいろいろなことを教えてくれました。例えば、子供の学ぶ場である学校が、地域住民の避難する場所に変わりました。何か月も経って、授業を保障しようとしたとき、「子供の
勉強と地域住民の生活とどっちが大事だ」ということになり、そのストレスが原因で病んでしまうような二次被害もたくさん起きたそうです。
もし、「たったひとつの約束」(自分がされて嫌なことは人にしない・言わないという大空小学校唯一のルール)と「4つの力」があれば、こんな二次被害が起きると思いますか。やはり、そこが根幹だと思います。
授業をしたい。でも、みんなもここにいたいとなったとき、みんなの中で授業をすればいい。そうすれば、みんなが学べるのです。では、そういう日常はどうやってつくるのか。「学校は地域住民のものだから、学びたい人はみんな学校に来て、子供と一緒に学びませんか?」と声をかけるのです。
大空はいつも授業が開かれていて、どの教室でも地域のおっちゃんやおばちゃんがしんどい子に寄り添いながら学んでくれています。大人の学ぶ姿は、子供を学ぶ意欲へと向かわせます。Win-Winなのです。
3・11から数年経った頃、大川小学校を訪れる機会がありました。「今何が一番困っていますか?」と聞くと、教育委員会の人が「授業のじゃまをされることです」と答えました。復興が始まり、工事の騒音で授業が妨げられるというのです。驚きました。その音は未来をつくる幸せな音のはずです。
幸せな音がじゃまになるような勉強の仕方をしなければよいだけです。復興の音がじゃまになるという地で育った子供たちが、「みんなで一緒にやろうぜ」と協働する社会を将来つくれるでしょうか。
人が生きていく原動力は「人」
どんな困難な状況でも人が生きていこうと思えるのは、自分は必要とされているとか、物は失ったけどこの人といると安心するとか、最終的には人ではないでしょうか。お金でも物でも力でもなく、人との信頼関係、人と生きていこうということなのだと思います。
避難所で赤ちゃんの泣き声がうるさいと文句を言う大人がいるのか、少ない物資のなかで子供に先にあげてくれと言う大人がいるのか。想定外のコミュニティの空気は、日常の当たり前の空気とは違うものです。
だから、他人の痛みを自分ごとにはできないけれど、少しでもできることはないかなと考えることが大切なのだと思います。
自分が変われば、周りも子供も変わる
直接でなくても、先生という人間が力を持って指導して、その結果子供が死んでしまったという事実が、全国にはたくさんあると思っています。「指導」という言葉は一瞬にして「暴力」に変わって、人の命を奪うこともあるということを忘れてはなりません。
えらそうなことを言ってきましたが、大空がすごい実践をしてきたわけではありません。もちろん私がすごいわけでもない。大空は、「目の前の子供たちが安心して地域の学校で学んでいる」というこの事実をつくることを目的に、教職員や保護者、地域住民などの大人がつながっているだけなのです。
「大空小の職員会議では、校長の意見が却下されることも日常茶飯事でした(笑)」
ー木村先生ー
人間関係はつくろうと思うとつくれません。嫌いな人は嫌いでいい。でも、子供を見ていると、人間関係は勝手につくられていきます。嫌いな教師同士で子供に関わっていても、子供がふと前を向いたら、それだけで教師の仕事は評価されるべきです。チームをつくるために、私たちは仕事をしているのではありません。
どんなに「校長やリーダーに変わってほしい」と言っても、変わらないと思います。まずは自分が変わらなければならない。教師は校長に雇われているのではありません。ましてや、校長に人事権はありません。だから、若い人たちが変われば、学校は変われると思います。
撮影/五十嵐美弥 構成・文/長昌之
『小五教育技術』2018年9月号より