「愛すること」を教えることこそ教師の最大の課題【先生のための学校】
学級づくりの中で愛することを教えることが、教師にとって最も大切な課題なのです。子供たちが担任教師を愛していないことこそが、指導困難、学級崩壊の根源であり、教室に愛があふれていれば、学級はおのずとまとまるのです。子供を愛し、子供に愛される、キラキラ輝く教室愛に満ちたクラスづくり・授業づくりのために、「愛すること」を指導してください。
執筆/「先生のための学校」校長・久保齋
目次
教師の「よい香り」とは
教室を回っていくと、いろいろな匂いがする。よい授業をしているとき、それは廊下まで匂ってくることがある。そういうときは引き込まれるように中に入ってしまうし、おもしろくてその授業の中にとり入れられてしまい、外に出ることができなくなってしまう。さっぱりおもしろくなくて、すぐに外に出たくなるような教室もあるが……。
このようなことを斎藤喜博が言っていました。確かによい香りのする教室と、そうでない教室があります。何が違うのでしょうか。有り体に言うならば、それは「愛」なのです。
子供が先生を愛し、子供同士が愛し合い、先生が子供たちを愛している。そんな教室愛に満ちた教室では、子供たちの発言やしぐさの一つひとつから愛のよい香りがして、参観者をここちよく、うっとりとさせて授業に引き込んでくれるのです。では、よい香りのする教室、教室愛に満ちた教室は、どのようにしたらできるのでしょう。
「子どもを愛する」から「子どもに愛することを教える」という視点へ
それは、こういうことです。
子供を愛する教師は多い、しかし、子供に「愛すること」を教えることができる教師は少ないということです。
そこで、今回は「心」、すなわち愛を育むこと、愛することを教えるという視点で、昭和の教師の魂を伝えたいと思います。
社会心学者のエーリヒ・フロムは「小学生の時期に、子供は愛される自分だけでなく、人を愛するという萌芽をもつ」と述べています。学力づくり、授業づくり、学級づくりの中で、愛することを教えることこそ、現代日本の小学校教師にとって、最も大切な課題であり、営みではないでしょうか。
子供を愛し、子供に愛される、キラキラ輝く教室愛に満ちたクラスづくり・授業づくりのために、ぜひ参考にしてください。
愛のミスマッチ
どんなに子供を愛していても、子供たちが先生を愛するとは限らない。私は学級崩壊したクラス、そこまでいかなくても、その寸前のようなクラスを何度も見てきました。そこでは、子供たちが担任を無視したり、なめたり、笑ったり、そんな愛のかけらもないようなことが平然と行われています。学級崩壊まではいっていなくても、そんなグループが存在し、毒を吐いているクラスもあります。
問題は、子供たちが担任を愛していないことなのです。それに対して先生は「友達を愛しなさい」だとか「友達を大切にしなさい」ということを盛んに言っていますが、「大人を愛しなさい」だとか「担任を愛しなさい」だなんて少しも言いません。そんなことを言うのは、とんでもないことだと思っているのです。
しかし、それが指導困難や学級崩壊の根源なのです。一生懸命、自分たちのために働いてくれている大人に感謝し、愛することのできない子供たちになっている――そうさせてしまったのです。
荒れたクラス、指導困難なクラスをリプレーして見ると、本質が見えてきます。世話になった大人に、自分のたちのために一生懸命いろいろやってくれている担任に悪態をついている子供に対して「あの子、そういうこともあるけれど、友達にはやさしいこともあるのよ」という意見を言う先生がいます。しかし、私はそんなことは信じません。その子の本質は「あの子は自分の都合のよい友達にはやさしいのだ。要するにわがままなのだ」と。
生まれてから小学校に入るまで、子供にとって、もっぱら問題なのは愛されること。つまり、ありのままの自分が愛されることだけです。しかし、このわがままでは社会に通用しません。どこかで我慢すること、そして、愛されることではなく、自分が人を愛することを学び、実践できるようにならなければなりません。それが、その子たちはまだできていないのです。
そう考えると、学級崩壊や指導困難はけっして担任だけのせいではありません。我慢すること、愛することを教えることができなかったすべての大人、我慢すること、人を愛することを教えるチャンスをことごとく逃してきた、今の担任も含めたすべての大人の責任だと言えるのです。
しかし、悲観することはちっともありません。愛すること、我慢することを教えるチャンスは これから無限にあるのです。目覚めさせ、愛の萌芽を育てればいいのです。
担任への行為で愛することを教える
私は、子供に愛することを教えるとき、自分に対する行為として教えることにしています。理由は簡単です。友達への行為を通して指導すると、けっこう不発が多く、逆効果を生むことがあるからです。
愛は心と行為の問題です。愛を感じるかどうかは本人でないとわからないものです。その点、担任への行為なら、愛の具合を直接吟味できるのです。愛することを教えるには、正確な評価と間髪を入れない賛美が必要なのです。
昨今は、子供に先生の面倒を見させるなどと言うと、ひんしゅくを買います。しかし、これは大いなる間違い、子供たちは愛されてばかりで育ってきているので、愛すること、人のためにすることの喜びに目覚めていなくて、愛されることばかり要求します。
これが日本の教育の最大の問題点です。大人は子供の面倒を見て、子供も大人のために全力を尽くす。こうでなければ、しっかりとした人間教育はできないと思うのですが、いかがでしょう。
「昔の教師は、放課後、教室に残っている子にタバコを買いに行かせていた」。これだけを聞くと、今では懲戒ものです。しかし、その先生がいつもタバコ買いを頼むのは、クラス一の難儀な子。その子は先生にタバコ買いを頼まれると、一目散でタバコを買いに行って、嬉しそうにタバコを先生に手渡すのです。その先生は、この行為によって、その子とかかわり、その子はその行為によって、人を愛することを体得していったとしたら、これは教育的美談と言えるのではないでしょうか。
私は子供に私の面倒を見させ、愛や「人のために」ということを教えてきました。給食時間、私が丸つけや学級通信を書いていると、日直の子がプレートに配膳して持ってきてくれます。机に置くところがなければ、ちゃんと机の上を整理してから置いていきます。一方、配慮できない子は、そのまま誰かのテストの上に置いてしまったりします。
そんなとき、私は「そんなことしたら、よくないでしょ、そんなことしたら、先生、気分がよくないよ」と伝えます。そして、「確かに日直として、すべきことはしているけど、それだけであって、先生が忙しくて大変だろうとかの思いやりをもってくれているとは思えないよ。大人も子供も関係なく、こういうときはちゃんと片づけて置いたら、キミが先生を大切に思っているのが通じるんだよ」、こんなふうに言うようにしています。そして、給食を急いで食べて、また作業を始めます。すると、今度は早く食べ終わった子が自分のプレートを片づけたあと、私のプレートを片づけてくれます。私は「ありがとう」と、ただひと言だけ言います。
日直は毎日変わるので、一人ひとりの子供に人とのかかわり方、○○のためにすることを自然な形で教えることができるし、早く食べた先生への配慮は、愛することのここちよさとして、私の小さな声での「ありがとう」に増幅されて、クラスの子供たちに伝わっていくのです。
子供たちは、私の面倒を見るのが好きで、ちょっとした気働きをいろいろしてくれました。私はそんなとき、その子だけに聞こえるような小さな声で「ありがとう」と言います。それは、先生との秘密のようで、子供たちはとてもここちよいらしく、私はこうして愛を教えていきました。
愛情不足の子供に愛を教える
愛に飢えている子供は、それを担任とのかかわりで満たそうとします。愛に満ちているか、満ちていないかは客観的条件では決まらず、本人がどう感じているかです。そのような子の特徴は二つあります。
一つは、特別扱いされないと愛されていると感じることができないことであり、もう一つは、担任にかかわること自体が目的で、かかわりの絶対値が高ければマイナスでもプラスでも構わないということです。多くの子供たちの中で、自分だけに強くかかわってほしいとすれば、マイナスのことをするのが一番です。プラスのことで担任を自分に振り向かせることは大変ですし、そんなことは思いつかない子供たちです。ところがマイナスのことをすれば、血相を変えて、担任はかかわってくれます。ここで大切な指導原理は、叱ってもいいし、指導してもいいのですが、それはその事実についてだけであって、小言や説教はしないこと。そして、担任の心に余裕をもち、演技して叱り、さっさと次に進めることです。さりげないかかわり、評価が愛を育むのです。
授業中にちょっといい発言をした。ノートをちょっと丁寧に書いた。そのちょっとした進歩をさりげなく褒めます。ここで大きく褒めると、また調子に乗ってしまうので、みんなと同じようにさりげなく褒めます。そして、廊下ですれ違いざまに「今日の発言、よかったね」などと、さりげなく個別に褒めます。こうすると、子供は担任にここちよさを感じ出すのです。そして、休み時間や放課後に教室にいてやると、何となくかかわりたそうに近づいてきます。そんなとき、学習以外のプライベートな話題をうんとしてやるのです。
こうして、難儀な子供と一対一の関係を築いていきます。これがすべての始まりです。授業中は特別扱いはされないけれど、授業以外ではけっこう特別にかかわってくれるんだと感じさせていくのです。
やんちゃはしないけれど、愛に飢えている子もいます。先生を遠巻きにして、自信のなさそうな子、このような子にも、すれ違いざまに「今日のノート、きれいに書けていたね」などと評価し、さりげなく個別にかかわりをもっていきます。
久保校長からひと言
講演で「愛することを教える」の話をすると、聞いていただいている先生方ははじめ、何のことかわからずに当惑されているようですが、話を続けると「同感、納得」という反応を示されて急に会場が明るくなります。いつも「子供たちを愛してますか」と問われ、自分でも自問していることが多いのですが、そんなことで悩まないで、子供に愛することを具体的に教えてやることが実はとても大切なのだと考えると、すごい前進です。特に低学年の頃は「愛すること」の萌芽が生まれ、行動力もついているので、子供たちは大きく成長していきます。発想を変えてクラスづくりに取り組みましょう。
写真/町田安恵
『小二教育技術』2018年11月号より