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職場に「答えのない問い」を語り合える「だんらん」がありますか?【赤坂真二「チーム学校」への挑戦 #76】

連載
赤坂真二の「チーム学校」への挑戦 ~学校の組織力と教育力を高めるリーダーシップ~

上越教育大学教職大学院教授

赤坂真二
チーム学校への挑戦

執筆/上越教育大学教職大学院教授・赤坂真二

授業における「あたたかさ」は、学びにとって本当に必要なものなのでしょうか。それとも、教科のねらいを達成するうえでは削ぎ落とされるべき「ノイズ」なのでしょうか。成果や効率が重視されるなかで、教室や職員室から失われつつあるものは何か。今回は、授業における「あたたかさ」の意味をあらためて問い直しながら、心理的な安全性を支える教室づくりと、学校組織に血流を生む「おしゃべり」の価値、そして管理職が職場のだんらんを意図的に育てていく視点について考えます。

授業と組織を支える「あたたかさ」の再考

ある研究会に参加したときのことです。その日の協議の焦点は、図らずも「授業における『あたたかさ』とは何か」という、正解のない問いへと収束していきました。

その日の公開授業は、まさにその「あたたかさ」を体現したような場でした。子どもたちは大勢の参観者に囲まれていたにもかかわらず、安心感に包まれ、互いの意見を尊重しながら、自分の言いたいことを自由に、かつ活発に言葉にしていたのです 。こうした外部の人間に対する開放性は、心理的に安全なクラスによく見られる特徴です 。

しかし、その後の授業批評会で、ある教科の権威と思われる参会者が、少し厳しい口調でこう指摘したのです。

「なるほど、子どもたちは楽しそうだった。しかし、〇〇科としての学びはどうだったのか。教科の本質から見て、この授業には問題があるのではないか。」

その指摘を境に、それまで子どもたちの姿を肯定的に捉えていた会場の空気は一変しました。子どもたちが熱心に対話していた事実はどこかへ追いやられ、授業としては「失敗」であったかのような重苦しいムードで幕を閉じたのです。

私は考え込んでしまいました。ひょっとすると、こうした光景が全国のあちこちで繰り返されるうちに、現場では「あたたかな雰囲気」が、教科のねらいを達成する上では価値の低いもの、あるいは「ノイズ」として扱われるようになってきたのではないでしょうか。あたたかさが削ぎ落とされ、目標達成という「結果」だけが至上命令となる。そんなノルマの達成だけが評価される「工場」のような授業から、子どもたちが密かに、しかし確実に逃げ出しているのではないか――。そんな不安が頭をよぎるのです 。

目標達成における「あたたかさ」の意味

もちろん、あたたかさは授業の直接的な「ねらい」ではありません。しかし、そこへ至る「通り道」としては極めて重要な価値があります。あたたかさのない冷え切った空気の中では、発言力のある子ばかりが目立ち、自信のない子にとってはやりがいを感じにくい、ただ指示に従うだけの苦痛な時間になってしまうでしょう 。

そもそも「主体的・対話的で深い学び」とは、目標達成までの道筋を複線化し、多様な学び方を認めようという試みであったはずです。目標達成のプロセスに対話や協働が位置づくのであれば、他者が力を合わせ、心を開いて言葉を交わすための「あたたかさ」は、何よりも優先されるべき土台(OS)ではないでしょうか。

ただ、この問題の難しさは、あたたかさを重視し過ぎてしまうと、今度は真実を探求することよりも「空気を読むこと」や「周りに合わせること」が重視され、本来の探求が深まらなくなるといった側面も孕んでいる点にあります。目標達成機能(成長を促す機能)と、維持・癒し機能(居場所機能)のバランスをどう取るか 。授業におけるあたたかさをどう位置づけるかは、なかなか答えの出ない、しかし向き合い続ける価値のある問いなのです。

「おしゃべり」が組織の血流をつくる

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