多数決は正しい決め方ですか? 「社会的合意形成」を学ぶ機会を、ぜひあなたのクラスで。そして学校で。
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- 大切なあなたへ花束を

大勢の人で決めごとをするとき、その意思決定の手段として多数決が使われることがよくあります。あるいは、ろくに議論することなく一部の声の大きな人の意見が通ってしまうこともあります。これらは本当に正しい手段なのでしょうか? 民主主義とは多数派の意見を通すことでも、リーダーの意見を鵜呑みにすることでもなく、少数派一人一人の意見もしっかりくみ取って、全体の合意を作ることではないでしょうか。その決め方が、誰もが安心できる学校づくりにつながり、ひいては誰もが安心できる社会へとつながるはずです。今回は、そんな社会をつくるための基本、社会的合意形成を学ぶことについて、考えていきたいと思います。
【連載】大切なあなたへ花束を #24
執筆/みんなの学校マイスター・宮岡愛子
教室での決めごとに多数決、使っていませんか?
みなさんは、教室で何かを決めるとき、どのようにされていますか?
挙手による多数決で決めてはいませんか?
あるいは、一部のリーダー的な、声の大きな子どもの意見に、結果的に皆が賛同するような決め方をしていませんか?
実は私も若手の頃を振り返ってみると、学級会で「どれにしますか?」と手を挙げさせていたことがありました。また、リーダー的な子どもの発言にクラス全体が流されて、同じような意見にまとまっていったり、自分の仲の良い友だちに「賛成してや」と根回しをしたりする場面を見たこともあります。
そして、反対意見をもっていた子どもに対し、「多数決で決まったから、ちゃんとやりや」と強いることもありました。
しかし、後に気づきました。
「多数決は少数意見を切り捨てること」です。言い換えれば、「多数派の専制」です。
これは民主主義とは異なります。民主主義とは、少数派の意見も大切にし、誰一人置き去りにしない、ということです。
これは、子どもたちにとっては、とても難しいことです。
今、私がサポートに行っている学校での一コマをご紹介しましょう。
班で話し合いをして、物事を決める、という場面です。
とある、普段はあまり発言をしない子どもが、よい意見を言いました。
「おーすごいやん!」と思いながら見ていたところ、班の空気はなんとなくリーダーの子が言った意見や、ふだん活発に話す子の意見へと流れていき、結局は多数決で決めてしまいました。あまり発言をしない子の意見は全く採用されませんでした。
子どもたちは一生懸命話をし、傾聴もしていたのにです。残念なことに「多数決ではなく、みんなが納得できるものにしようや」という声は上がりませんでした。
今の社会では、多数決があまりにも当たり前に使われていますから、子どもたちの中でも当たり前の意思決定手段だとされているのでしょう。
子どもたちには、ぜひとも、ものごとを決めるときの方法は社会的合意形成であるべきだ、ということを伝えていけたらと思います。
「社会的合意形成」とは、社会の課題に対し、多様な意見や利害を持つ人々が互いを尊重し、話合いや議論を通して、皆が納得できる解決策や結論を目指すプロセスです。単に多数決で決めるのとは異なり、少数意見の背景にある理由(利害や関心)を理解し、それを満たすような提案をしながら進めることなのです。
合意形成を目指す特別活動の研究授業
ある日、明石市の市立小学校で特別活動の研究授業を参観し、授業について意見を伝える機会をいただきました。
今回の授業は、学級活動の中の(1)学級や学校における生活づくりへの参画として「学級や学校における生活上の諸問題の解決」を目指すものです。そして、学級活動(1)の特質とは、「集団の討議で、集団の目標を、集団で決める(合意形成)」と言うことです。

この目標を達成するための考え方を子どもに伝えるとき、私は
「自分がよい、隣の友だちもよい、みんながよい。それをみんなで決めて、みんなで納得する」
そんな納得解をみんなで作るものだと伝えています。一人残らず「いいね」と言える答えを見つけることなのです。
研究授業の指導案は以下のものでした。
学校で開催される一大イベントの音楽会に向け、みんなの心が一つになり、元気をためられるような(学級レク的な)活動をしたい。それを「エネルギーチャージ会」と名付け、何をするかみんなで決めていこう、という授業です。これは大人もワクワクするようなテーマですね。ついつい、私もどんなことをしようかと考えてしまいました。

この時間のねらいには、
「自分の思いや考えを表出したり、心配の解消策をみんなで検討したりすることを通して、学級全体で納得度の高い結論を導くことができる」
とありました。
