【相談募集中】教員を辞めることは無責任でしょうか?

学力や規律を求める自分のやり方が子供のよさを削っているとの罪悪感から、教職を辞めるべきかと考えている先生からの相談が、「みん教相談室」に届きました。ここでは、元・岩手県公立小学校教諭で現在は大学院にて学びを深めている古舘良純先生からの回答をお届けします。

目次
Q.自分のやり方は子供のよさを削っている。教員を辞めた方がいいのでしょうか
教員を辞めることは無責任でしょうか?
教員を始めてから大変素晴らしい経験を数多くさせていただき、心の底から素晴らしい職と感じている一方、私の生来の性格(子供よりも職員室での評価を優先してしまう)(感情的になり、子供に叱るのではなく怒ってしまう等)から、ストレスもそれ以上に感じています。
手前味噌になってしまうので、「雑にやって投げ出すわけではない」ということの証明として受け取っていただきたいのですが、荒れた学級も落ち着かせて次年度に渡している自負はありますし、データとして学力も相当伸ばしています。
ですが、子供は私を怖がっています。学習規律が大切と思い、崩壊気味だった子たちを4月からかなり厳しく指導し、今はかなり落ち着きました。しかしそれは自律ではなく、私を恐れての他律の様子も伺えます。
学習に関しても、「私が担任だから学びに向かおう」といった様子で、学びを楽しむといった様子からは懸け離れているように感じます。
確かに大変な子たちですが、心根は本当に素敵な子たちです。私が学力や規律にかかわるばかりに、この子たちの良さを削っている気がしてなりません。
この罪悪感とともに1年過ごす中で、続ける気力も尽きてしまいました。辞めたいのですが、それはそれで無責任な気もしています。教員を辞めるということはどのくらい深刻に考えたらよいのでしょうか?
世間一般の退職と分けて考えるのもおこがましいですが、事実子どもたちの未来を預かる仕事でもあるので、こんないっときの感情に流されることへの不安もあります。
文章がまとまらなくて申し訳ありません。助けてください。
(中山先生・30代男性)
A.周囲の目を気にするのではなく、子供たちとしっかり向き合って考えてみることで、自分の進むべき道が見えてくるはずです
教員を辞めるという選択肢は、人生を大きく左右する相談だと受け止めます。よって、忖度なしに僕自身の考えをストレートにお伝えしたいと思います。
厳しい物言いに聞こえるかもしれませんが、真剣な相談だからこそ表面上の回答の方が失礼になると考えてのことです。ご容赦願います。
まず、「辞めること=無責任」という表現ですが、僕はそう思いません。私自身、自分のキャリアを考えて「あと数年で現場を離れる未来」を考えています。そこに「無責任さ」は感じていません。
つまり、中山先生が「無責任」と感じているのは、「辞めることではない」のではないでしょうか。これは僕の想像の域を出ませんが、「自分自身に対しての無責任さ」をどこかで感じているのではないでしょうか。
大人の評価を気にしたり、感情的になってしまったりするという記述からも、自分が子どもたちときちんと向き合えていないと、どこか自覚しているのではないでしょうか。そんな半端な状態で逃げるように辞めることに、「無責任さ」を感じているのではないでしょうか。
子どもたちが落ち着き、学力も伸びたなら、きっと保護者も子どもたちも喜んでいるはずですよね? このタイミングでお辞めになれば、「先生、ありがとうございました」「先生、新天地でも頑張ってください」「先生、いつでも戻ってきてください」という温かい言葉を投げかけてもらえるはずです。「無責任だ」なんて思われないでしょう。
それなのに、中山先生はそう思えていないように感じます。それは、大人の評価を気にしたり、感情的になったりしているせいで子どもたちが「育っていない」とご自身が分かっているからです。怖がっている。恐れている。学びを楽しんでいない。良さを削っていると痛いほど分かっているからです。
落ち着いたが自治的ではない。点数は伸びたが勉強は他律的。目の前の子どもたちの「心根」を分かっていながら伸ばせていないと、心の奥で強烈に自覚しているからです。
本当に辞めたいのは、「教室」ではなく「職員室」ではありませんか?
続けられないのは「担任」ではなく「同僚」ではありませんか?
子どもたちをその罪悪感に巻き込んでしまっているため、深刻さが増しているのではないでしょうか。
人生100年時代において、担任が関われるのは1年間です。子どもたちは、残り99年間は他の誰かとうまくやっていきますから。子どもたちが大人になったとき、「中山先生が辞めたせいで私の人生が変わった」という子は何人いるでしょうか。ほとんどいないように思います。
でも、そのたった1年間でも、大人の都合で落ち着いたとか数字が伸びたとかではない、「子どもたちの成長」を心から願うなら、まだ担任し続けてほしいと思います。
罪悪感があるなら、その罪悪感を背負って、「君たちのおかげで先生は今頑張れているよ」「あのときの1年が、先生の今の支えになっているよ」と感謝しながら自分の気持ちにまっすぐ担任し続けてほしいと思います。
正直、こうしたケースで自分自身と向き合えないなら、たとえ辞めても同じような状況は遅かれ早かれ訪れます。「いっときの感情」なんて、これから何度も訪れます。
僕自身、30代に入ってすぐ学級が立ち行かない年を迎えました。体中にじんましんが出て、腹痛で朝起きられず、学校に行きたくないと思った1年間がありました。早く終わってくれ、早く3月になってくれと思いながら過ごした1年間でした。
もちろん他責思考になるし、もちろん子どもたちに向き合えなかったし、辞めて実家に帰りたいと何度も思いました。
でも、そんな1年も今考えると「いっときの感情」でした。むしろ、あの経験が今の自分の教育観をガラッと変えてくれた転機とも言えます。そういう意味では、あの子たちに感謝の気持ちでいっぱいですし、その十字架を背負って今も歩み続けています。
中山さんがどう選択されても構いませんが、ここまで頑張り、それでも悩まれているなら、気持ちよく辞めてもらいたいなとは思います。スッキリ未練なく終わってほしいと思います。だったらあと1年。来年度で辞めると決めてみてはいかがでしょうか。最後だと思えば、失うものなど何もありません。やりたいようにやって、大人の目など気にせず走り切ってみてはいかがでしょうか。
他人の人生に足を突っ込むようで申し訳ありませんが、せっかくご縁をいただいた相談でしたので、オブラートなどかぶせずにお返事させていただきました。
どの人生を歩まれるか分かりませんが、いつかどこかで「あのときの」と声をかけていただける日を楽しみにしたいと思います。そのときは、キンキンに冷えたビールで乾杯しましょう。
みん教相談室では、現場をよく知る教育技術協力者の先生や、各部門の専門家の方が、教育現場で日々奮闘する相談者様のお悩みに答えてくれています。ぜひ、お気軽にご相談ください。