【連載】堀 裕嗣&北海道アベンジャーズが実践提案「シンクロ道徳」の現在形 ♯8 何かをつくるために

堀 裕嗣先生が編集委員を務め、北海道の気鋭の実践者たちが毎回、「攻めた」授業実践例を提案していく好評リレー連載第8回。今回は北見市の小学校教諭・高橋拓也先生による小学4年生を対象とした実践です。
編集委員/堀 裕嗣(北海道札幌市立中学校教諭)
今回の執筆者/髙橋拓也(北海道北見市立美山小学校教諭)
目次
1 この授業をつくるにあたって
私は北海道オホーツク管内で教員をしております。北海道は広いものですから、移動するには自家用車が欠かせません。隣の町に移動するのに30分や1時間を要することは珍しくないものですから、必然的に長距離運転の機会も多くなります。その長い移動の最中、ふと車窓の外に目をやると気になることがたくさんあるものです。

例えば、この写真。これは、石北峠という峠を通る国道39号線の一部です。一体、どうやって作ったのでしょう。この場所は峠の少し手前です。石北峠は標高1050mですから、少なく見積もっても標高1000m程度の場所です。この道路はかなり深い谷の上に渡してあって、車で通るにしても毎回足がすくみます。車を降りて下を覗いても谷底ははっきりと見えません。それほど高い場所にあります。
こんなところに、一体どうやって橋を作るのでしょう。人力でないだろうことはわかります。しかし、どんな重機を使って、どんな工程で、どれだけの時間と人手と予算があればこんな道路ができるのでしょう。また、その計画はどうやって立てられるのでしょう。どんな予備調査が行われ、どんな基準を満たしたらゴーサインが出るのでしょう。そもそも、誰がこんな大事業に取りかかろうと発想したのでしょう。考えれば考えるほどわからないことばかりです。
道路だけではありません。私たちの目に映る全ての人工物は、誰かが作ったものです。あの鉄塔も、あのビルも、あの植え込みも、あの子のカバンにぶら下がっているキーホルダーも、いつか誰かが作った物です。それらがどうやって作られた物なのか、私は知りません。それら全てについて知り得るはずもありません。わかるのは、世の中には素晴らしい仕事をした人が大勢いるということだけです。
こんなことを車内で考えたからといって、どうということはないのかもしれません。ただ想像にふけっているだけかもしれません。しかし、私はこのような小さな疑問の種をたくさんもっていたり、それについて想像を膨らませたりしておくことは、自主教材開発を行う上で、非常に大切なことだと考えます。このような疑問の種や車内での想像遊びが、授業づくりにつながることも少なくないからです。
上記の疑問から生まれた授業を以下に提案します。
2 授業の実際
(1)『朝がくると』まど・みちお
朝がくると まど・みちお
朝がくると とび起きて
ぼくが作ったのでもない
水道で 顔をあらうと
ぼくが作ったのでもない
洋服を きて
ぼくが作ったのでもない
ごはんを むしゃむしゃたべる
それから ぼくが作ったのでもない
本やノートを
ぼくが作ったのでもない
ランドセルに つめて
せなかに しょって
さて ぼくが作ったのでもない
靴を はくと
たったか たったか でかけていく
ぼくが作ったのでもない
道路を
ぼくが作ったのでもない
学校へと
ああ なんのために
いまに おとなになったら
ぼくだって ぼくだって
なにかを 作ることが
できるように なるために
まど・みちおの詩『朝がくると』です。これは、光村図書が出版している小学4年生の道徳の教科書に採用されている詩です。
発問1:「ぼくが作ったのでもない」ものはいくつありましたか。
答えは9個です。「本やノート」をまとめて数えた子は8個と答えるでしょう。
発問2:「ぼくだって ぼくだって なにかを 作ることが できるように なる」必要はありますか。
ほとんどの子供たちは「ある」と答えます。「そうしなきゃ、作る人がいつかいなくなっちゃう」「自分が作らないのに、使うばかりじゃダメ」というようなことを子どもたちは言いました。
説明1:私たちの社会は、自分で作らなくてもよい社会になっていますね。水道をひねれば水が出てきます。井戸を掘らなくてもいいのです。ご飯はお家の人が作ってくれますし、店に行けば本でもノートでもランドセルでも靴でも買うことができます。さらに、最近では店に行かなくても買い物ができます。例えばAmazonですね。ご飯も、お家の人が作らなくてもコンビニやスーパーで作られたご飯が売られています。さらに、最近ではUber Eatsのような宅配のサービスもあります。自分が作らなくても、便利に暮らしていける社会に我々は生きていますね。
スライド資料を見せながら、我々の社会の利便性について簡単に説明します。
発問3:さて、私たちのところに色々な物が届くのは、あるものが整備されているおかげです。この詩の中でいうと、どれでしょう。
答えは「道路」です。いくらAmazonやUber Eatsのサービスが優れているといっても、道路がなければ品物を届けることはできません。また、各店舗に品物が届くのも道路があるからです。
(2)国道39号線について
発問4:この道路は、何という道路でしょう。
こう発問したあと、以下の資料をスライドで提示します。
<資料1>
答えは、「国道39号」です。この道路は、網走から旭川まで通っており、北見市では最も大きな道路です。上に示した写真は、それぞれ網走、北見、石北峠、旭川の写真です。子どもたちにとっては見たことのある景色ですから、これはすぐにわかってしまいました。
発問5:「ぼくが作ったのでもない」この道路を作ったのは誰でしょう?
答えは「囚人」です。旭川−網走を結ぶ道路は、明治時代に網走監獄に収監された、囚人を使役することで作られました。これは、オホーツク管内では有名な話です。


なお、当時国道39号と呼ばれていた道路と、現在の国道39号とは若干道筋が異なります。そのことは子供たちに補足をした上で、次のように続けていきます。
発問6:網走−旭川を結ぶ道路工事は「日本史上最悪の工事」と呼ばれています。一体なぜでしょう。
この発問に、子どもたちは「大きな事故があった」「災害があって大勢が亡くなったのでは」などと色々と予想をします。答えは、「多くの死傷病者を出した」からです。この工事に従事した者はおよそ1200名と言われています。そのうち、20%強の250名が死亡し、900名以上の傷病者が出たそうです。無事に済んだ者はほとんどいなかったと言えるでしょう。なぜ、それほどの犠牲者が出たのでしょう。その訳を探るために、以下の資料を提示します。

(3)「日本史上最悪の工事」と呼ばれる理由
<資料2>
<その1 過酷な労働>
当時の北海道は、開拓から取り残されていた。道路を作るためには、ほとんど人の手がつけられていない原野、原始林を切り拓いていかなければならなかった。しかも、全ての作業を機械も使わず、手作業で。斧を振りかざし大木を切り倒し、土砂や切り株をモッコに入れて担ぎ、夜にはかがり火をたき、松明をかざしながら、連日昼夜を問わない重労働が行われた。
<その2 労働条件の悪さ>
囚人たちは非常に粗末な服しか与えられなかった。冬になっても手袋、足袋の使用は認められなかった。綿入りの獄衣とモモヒキの着用は認められたが、監獄にはそれを買う金がなかった。雪が降るようになると、囚人たちは雪に足をうずめて作業を続けた。足は感覚を失い、終業後は歩けなくなる者も多くなった。
囚人たちの食事は、白米4、麦6の割合で炊かれた飯と、漬物が二切れ。たまに味噌汁がつく。商人はいるのだが、監獄には金がなく、米や麦を買うことも難しくなっていった。さらに、工事が進むにつれ、ただでさえ少ない食料が届かなくなった。山奥まで食料を運ぶことが困難だったからだ。囚人たちは、ろくに食事をとることもできずに重労働に駆り出された。
囚人たちは1本の丸太を枕に寝かされた。午前3時半の起床時刻になると、看守が丸太をハンマーで思い切り叩くのだ。頭の割れるような衝撃とともに囚人たちの朝は始まるのだった。
看守たちは、ピストルとサーベルで囚人たちを威嚇し、強制的に働かせた。逃亡したものは、その場で斬り殺されることもあった。
<その3 自然の厳しさ>
生地が薄く、隙間も多い獄衣を着た囚人たちを襲ったのは、大量のヤブ蚊やアブだ。囚人たちの傷だらけの体を狙って、大量の虫たちが襲来した。その勢いは凄まじく、夜も眠れないほどだったと言う。
道路工事はヒグマとの戦いでもあった。ヒグマに襲われる者もあった。襲われないにしても、常にヒグマと遭遇する恐怖はついてまわった。
寒さや疲労、食料不足からくる栄養失調から、水腫病と呼ばれる全身が膨れ上がる病が大量発生し、北見に着く頃には900人以上が発病し、230人以上が死亡したという。
これらの資料に写真資料を添えながら読み聞かせをします。
発問7:ここまで聞いて、どんなことを考えたか、ペアで話してください。
多くの子どもは、あまりに過酷な労働環境に言葉が出てこなくなります。「こんなに酷い中、道路を作っていたなんて知らなかった」「どうしてここまでして道路を作らせるかがわからない」というような意見がありました。
(4)まとめ
<資料3> 網走市の人口と世帯数の推移
赤い縦線は、この道路工事が行われた年です。これを境に、網走の人口は急激に増えます。道路ができたことによって、人や物が行き来できるようになったからです。道路は、それくらい生活に影響を与えるものだということです。
発問8:今では、道路工事でこれほど人が死ぬことはなくなりました。一体なぜでしょう。
この問いに子どもたちは次のようなことを答えました。
・便利な機械や道具が増えた。
・もう道路があるから食料を運ぶことができる。
・無理矢理働かせることがなくなってきた。
発問9:最初の詩に戻ります。「ぼくだって ぼくだって なにかを 作ることが できるように なる」のは何のためでしょう。
最後は、この発問についてノートに考えを書かせて、授業は終了です。次のような意見がありました。
・何かを作る人がいなくなったら、また危険な暮らしに戻ってしまうから。
・自分だけ何も作らないのは、作っている人に申し訳ないから。
・学校に行かないと、仕事をすることができなくなる。それでは、不便な社会になってしまう。
・今ある道路もいつか壊れる。そのときに直す人がいなくなっちゃうから。
3 シンクロ授業解説
光村図書の四年国語の教科書に『アップとルーズで伝える』という説明的文章があります。ここでいう「アップ」とは「ある部分を細かく伝える」ことで、「ルーズ」とは「広い範囲の様子を伝える」ことを指します。要は「具体」と「抽象」で伝えることが大事だと主張をしている文章です。あるいは「部分」と「全体」と言い換えてもよいかもしれません。物事を伝えるときには、この両方を示しながら伝えることで物事がよりはっきりとするものです。
さて、上に提案した授業の教材は大きく二つです。一つは『朝がくると』という詩、もう一つは「囚人による道路工事」の実態です。
この授業では、前者が授業の全体的なフレームを作る役割を果たしていて、後者がその具体的なエピソードを補うという関係になっています。詩の中にあった「道路」という言葉についてグッと拡大して、身近な道路がどのように作られたのかについて提示しました。そうすることで、「ぼくが作ったのでもない」という言葉の重みを、より具体的に想像できると考えたからです。
複数教材を用いて教材開発する場合には、それらの教材がどのような関係になっているのかを整理した上で構成した方がよいと考えます。上に提案した授業は二つの教材が「抽象−具体」「全体−部分」「フレーム−エピソード」というような関係になっていることを生かした構成です。
最後に、この授業の主題について述べます。この授業は「C勤労、公共の精神」の授業としてつくりました。『朝がくると』は、「消費者意識」や「ただ乗り」を批判している詩だと、私は解釈しています。社会から「生産者」がいなくなり、「消費者」ばかりになったとすれば、その社会はいずれ機能を失ってしまうでしょう。「ぼくが作ったのでもない」物を消費できることは、豊かさの表れかもしれません。しかし、その豊かさの全てを消費し尽くしてしまうことは許されることではありません。我々が生きているこの社会は、過去に生きた人々が作ってきた社会でもあるからです。
「ぼくだって ぼくだって なにかを 作ることが できるように なるために」
一人でも多く、そういう気になってほしいと願い、この授業をつくりました。
※この連載は原則として毎月1回公開します。次回をお楽しみに。
<今回の執筆者・髙橋拓也先生のプロフィール>
たかはし・たくや。1985年北海道北見市に生まれる。北海道教育大学札幌校卒業。2009年留萌管内に小学校教諭として着任。2013年オホーツク管内に小学校教諭として着任。
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