石井英真准教授⑴|今求められている数学や理科はどうなっているのか、を考えることが必要 【教育キーパーソンにインタビュー! 令和の教育課程「その課題と未来」#07】

教育キーパーソンにインタビュー! 令和の教育課程「その課題と未来」
石井京都大学准教授
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去る2024年9月17日、2年弱にわたって今後の教育の在り方について議論を重ねてきた、「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」が、最後の会議を行いました。ここでは論点整理案についての最終確認が行われましたが、これが今後の日本の学校教育の在り方を考えていく上でも重要な軸となります。そこで、この有識者検討会の委員として議論をしてこられた京都大学の石井英真准教授に、現在の学校教育の課題と改善のポイントなどについて伺うことにします。

 「〇〇な学び」をなぞる形で授業を流すことになってしまっている

現在の学習指導要領実施上の課題としては、まず現場の先生方が「自分たちが教室での授業や学びを主体的につくっている」というオーナーシップを下げてしまっていることが上げられます。学習指導要領の告示以降、「〇〇な学び」が多数出されたため、現場は「それをしなければならない」という意識が強くなってしまっています。そのため、「〇〇な学び」という型をなぞるようになってしまい、先生方が自分たちで授業をつくっているという感覚をもてないでいるように思います。

現行の学習指導要領は、コンセプトとしてはよくできているところもあると思います。ただしキーワードも多く、その後、令和答申による「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」など、新たなキーワードが加わり、現場が翻弄されている状況があるでしょう(編集部引用=資料1参照)。ですから、この機会に改めて学習指導要領の趣旨を熟成させていくことが大事だと思います。

具体的には、現行学習指導要領の趣旨を再確認することから始めていくのです。例えば、コンテンツ・ベースからコンピテンシー・ベースへということであれば、AからBへと単純に捉えられてしまっているところがあります。コンピテンシー・ベースというのは、決してコンテンツ・フリーという意味ではないのですが、そのように形式化して捉えられてしまっています。コンピテンシー・ベースというときに、「〇〇力」というものを目標にしてしまい、子供の具体的な姿がイメージされていないのではないでしょうか。

授業における「主体的・対話的で深い学び」も、コンセプトとしてはバランスが取れていますが、新たに示された「個別最適な学び」をこなす形になり、そこにコンテンツ・フリーが重なることによって、授業を型通り流すようになっているように思います。優れた教材や内容に即した発問があれば、子供たちの思考は自ずと動き出し、授業は流れていくのですが、(教師側が無理に)「〇〇な学び」をなぞる形で授業を流す、こなすことになってしまっているわけです。

【資料1】「個別最適な学び」と「協働的な学び」

資料1
「令和の日本型学校教育」の答申に関する文部科学省の概説資料より、「個別最適な学び」と「協働的な学び」に関する部分を引用。

学校現場では「個別最適な学び」や「ICT活用」のような授業の手法の話ばかり

コンピテンシー・ベースはコンテンツ・フリーではないとお話ししましたが、ではコンピテンシー・ベースとは何かと言えば、ひと言で「世の中ベースの改革」です。

それはPISAショックに象徴されますが、「これが読解(国語)なんだ」「これが数学なんだ」「これがサイエンス(理科)なんだ」と、教科の新しいアイデアをたくさん提起してくれたところがあると思います。

例えば、「数学」であれば単純に問題を解くだけでなく、関数で現実世界を読み解く。「読解」で言えば、1つのテキストを詳細に読むのではなく、2つのテキストを読み比べて批判的に検討したり、自分の考えを組み立てたりする。「サイエンス」も遺伝子組み替えや環境問題など、論争的な問題を扱って判断する、などの問題が提示されました。それによって、「現代社会に必要な教科とは何か?」という新しい教科観の転換を、具体的な内容を伴って提案がなされたのです。

しかし、この間、学校現場においては、そのような中身を伴った新たな提案が弱いというのが現実です。そして、「個別最適な学び」や「ICT活用」のような授業の手法の話ばかりになってしまっています。それで子供たちが満足する授業になるとはとうてい思えません。教科の中身があってこそ、自ずと「?」も生まれるのですから。

さらに、子供観、教材観、指導観とあるとすれば、最近の授業づくりは指導観優先で、しかも手立てばかりを考える傾向が強まっているように思います。指導案を見ても、子供の捉え方が抽象的で目の前の子供の姿で書けていない、教材も「分数とは何か」というような教材・内容を主語にして書かれていないものが多数です。

研究授業後の検討会も、「この手法はよかったね」というような手法の話に終始しています。子供の学びはどうだったのか、その学びでの教材理解はどう深まっていたのか、そこから教材解釈の妥当性はどうだったのかという、子供理解と教材理解を深める方向で展開されていないのです。そのような手法論では必ず行き詰まりますし、特に若い先生方は育っていかないでしょう。

最終的には「教師の成長」は子供が理解できることと、それを通して教材が理解できることの2点に尽きます。そこを深めるような授業づくりや協議の在り方になっていないので、先生方の力量も高まらないように思います。一見すると子供たちを上手に動かしているように見えても、内容理解がなければ子供には寄り添えませんから結局、子供理解には至らないわけです。当然、授業の手応えも弱くなってしまいます。

そのように、コンピテンシー・ベースが意図しないところでコンテンツ・フリー化が進み、形式主義になっていることが、学習指導要領実施上の最大の問題点だと思います。ですから、コンピテンシー・ベースはコンテンツ・フリーではなく、社会につながる学びや社会を創る学びがもともとの趣旨であることを改めて確認し直し、今の世の中につながる学びは各教科ではどのように行えばよいかを考えることが必要です(編集部引用=資料2参照)。

【資料2】 文部科学省によるOECDキーコンピテンシーの解説

資料2
OECD “Definition and Selection of Competencies(2016年)を参考に当時、文部科学省が作成した資料より抜粋。

授業にDXの必要性が説かれながら、DXの世界観は実装されていない

今の世の中は変化していますから、そこに教材のタネはたくさんあります。それこそ、多くの教育関係者が「ICT」や「DX」の重要性を語りながら、そのうちのどれくらいの人が、今回のオリンピックで男子バレーボールが強くなったことにDXの姿を見たでしょうか。

以前、NHKの番組で解説していましたが、各選手がスパイクを打つ角度には一定の傾向があるため、そこを徹底して分析して頭に入れ、その選手がジャンプをした瞬間にボールが来る先にポジションをとって守るわけです。つまり、データサイエンスによって男子バレーボールは強くなったわけですから、まさにDXの産物です。そう考えてみれば、今、体育の授業の在り方は大きく変わらなければいけないはずです。今時、スポーツとデータサイエンスは深くつながり、かけ算されていますから、多様な方法が考えられます。

例えば、小学校の体育でも、リフレクションを大事にしていますから、その場面で各チームがスパイク決定率を計算してみるだけでも、「スパイク決定率が上がってきたな。次はディフェンスの改善が課題だな」と、各チームの課題が明確になってくるわけです。そうしたデータ分析を素朴な形で手作業でやっている授業を見たこともありますが、DXと結びつくものとは捉えられておらず、ICT活用と言えば学習方法面ばかりに目が行きがちです。DXの必要性が説かれながら、DXの世界観は実装されていないと言えるでしょう。

私は世の中のオーセンティック(本物)の学びの重要性を説いていますが、現在の運動の世界(学校なら体育)では、先のバレーボールのような例が本物です。本物の中には今や自然とDXが入っているはずです。

そのように今の世の中において求められる数学や理科や社会や言葉の学びはどうなっているのかを、先生方も考えていくことが必要です。例えば、数学なら指数関数を使った数理モデルにより、コロナ禍における感染者数の変動を予測していました。つまり、今の不確実な世の中においては、関数や確率や統計によって不確実な状況を捉えて予測することが大事なわけです。そういうことこそ、今の子供たちに伝えたいことだし、そういう内容を学ぶことによって、DXの世界観や世の中が本当に分かってきます。

コンピテンシー・ベースの根本には本来、そのような内容刷新運動があるわけで、PISAショック以降、その動きが進んだ時期もありましたが、現在はコンテンツ・フリーに陥ってしまっているのです。そのように、改めて学習指導要領の趣旨を見直していくことが大事なのです。

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之

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