みなさんの周りに、こんな景色はありませんか? 教室の「当たり前」を考え直してみましょう

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教育現場において、教員は日々、何の戸惑いや疑いもなく「当たり前」として実践している行為や環境づくりがあります。この現象を筆者は、「学校に存在する特有の磁場」と称してみようと思います。そこに立ち入ると、誰もがあっという間に「当たり前」のこととして影響を受けてしまうのです。具体例を交えながら、この「特有の磁場」を紹介していきますが、読者の皆さまの多くが幼少の頃から経験してきたことでもあるでしょう。多くの教員がこれらを「当たり前の風景」として受け入れ、日々の学級経営や生徒指導に欠かせないものとして扱ってきました。しかしながら、改めて問われると明確に理由を説明できないこれらの「当たり前」の実践が、本当に現代の教育環境や子どもたちのニーズに合っているのか、再考する時期に差し掛かっているのではないでしょうか。

【連載】学校の「当たり前」を問い直す のびのび教員論 #1

執筆/神戸市立小学校教諭 森脇正博

教室の「当たり前の光景」

今日は9月20日(金)です。教室の黒板には、日直が〇〇さんと△△さんであることが一目で分かるように名前カードが貼られています。黒板の反対側に目を向けると、係からのお知らせや学校に提出すべき書類の未提出者名が無造作に書かれ、その傍には配布プリントの余りが磁石で貼られています。これらは、教室の「当たり前」として溶け込み、一日の授業がスタートするのです

このような光景は、見慣れたものとして誰も疑問を抱かないかもしれません。しかし、それが本当に必要なのか、あるいはもっと良い方法がないのかを考える機会にしなければならないのではないでしょうか。日付や日直さんの名前、これらの掲示がなければ、「今日は何日か分からないから不安で授業が受けられない」「日直が分からないと授業理解に影響が出る」と、子どもたちは戸惑い、学びが阻害されるのでしょうか。連絡事項の記入やプリント掲示に関しても同様です。およそ黒板の2割を占めるスペースを、一日中占拠させておくことに、どれほどの価値があるというのでしょうか。学習指導案の板書計画にそれら授業で活用できないスペースの存在をどのように表現するのでしょか。子どもたちにノート指導をする前に、自身のノート(黒板)の使い方を見つめ直さなければいけません。とくに、連絡事項の伝達やプリント配布に関していえば、デジタル化の進展に伴い、より効率的で、児童生徒にとってより負担の少ない方法を検討する余地があるでしょう。例えば、黒板の連絡事項をデジタル掲示板に変更したり、オンラインプラットフォーム化したりすることで、情報の共有や提出物の管理がスムーズに行えるようになるかもしれません。

また、教育現場において、授業前の「起立・礼」は、ほとんどの小学校や中学校で「当たり前」のように続けられている習慣です。多くの教室で、子どもたちは授業の始まりに「起立!」という指示に従い、一斉に立ち上がり、教師に向かって「礼!」と挨拶をします。これには、規律を守らせること、教師に対する敬意を表すこと、そして授業への集中力を高めることが目的として挙げられます。しかし、現状を鑑みたとき、この形式が本当に効果的なのか問い直す必要があるのではないでしょうか。

特に小学校では、教科担任制が導入されつつあるものの、まだまだ多くの教科で学級担任制が採られています。そのため、授業を受ける児童も変わらなければ、授業を行う教師や教室空間も変わりません。にもかかわらず、「起立! 今から算数の授業を始めます。礼! 着席」と挨拶した児童が、授業終わりになると、「起立! これで算数の授業を終わります。礼! 着席」といい、その数分後には、また「起立! 今から国語の授業を始めます……」と繰り返します。残念ながら、多くの子どもたちにとっての「起立・礼」は、ただの儀式に過ぎず、心のこもった行動とは言い難いのが実情でしょう。形式的な動作に対する意識の低さは、単なる習慣の一部として流れてしまっていることを意味します。これでは、礼儀や規律を教えるという本来の目的が果たされているとは言えないでしょう。

現在の教育のニーズは、教師と子どもたちの双方向のコミュニケーションを重視する方向にシフトしています。教師が一方的に指示を出し、子どもたちが従うという従来のスタイルではなく、共に学び合うパートナーシップが求められています。この観点から見ると、「起立・礼」という儀式的な行動は、教師と子どもの対等な関係を阻害する要因ともなり得ます。むしろ、授業の開始時には自由な対話やアイスブレイクを取り入れることで、よりリラックスした雰囲気を作り、子どもたちが主体的に学びに取り組む環境を整える方が効果的ではないでしょうか。例えば、授業の始まりに教師が簡単な質問を投げかけたり、最近の出来事について話し合ったりすることで、子どもたちの関心を引き出し、授業への集中力を自然に高めることができるでしょう。

以上のように、教育現場の「当たり前」を問い直すことは、現状を否定することではなく、より良い授業空間としての教室環境を整えるための第一歩だと考えます。「見慣れた光景」や「起立・礼」という伝統的な習慣を改めて見直すことで、教育の質を向上させるための新しい方法を探ることができます。形式的な儀式に頼るのではなく、実質的なコミュニケーションや教育方法を模索することで、現代の子どもたちにとって本当に必要なスキルや価値観を育むことができるのではないでしょうか。

このコラムが、教育現場における「当たり前」の再考を促す一助となれば幸いです。教育は常に進化し続けるものであり、その進化を牽引する存在であり続けるために、現状に満足せず常に再考を続ける姿勢を読者の皆さまと考え続けていきたいと思います。

参考文献 道徳教育のキソ・キホン 道徳科の授業をはじめる人へ /相澤伸幸・神代健彦 編/ナカニシヤ出版


森脇正博(もりわき まさひろ) 
前京都教育大学附属京都小中学校教諭、 京都教育大学非常勤講師を歴任するなど京都府公立学校教員として25年間勤務。現神戸市立小学校にて総務兼学力充実担当。 教育学修士。 専門は、学級経営、 算数・数学教育、道徳教育等。日本教育経営学会・日本教育行政学会会員。
著書に、「教育経営実践における「笑い」の可能性─「笑い学(教育漫才)」を通じた学級風土の醸成過程に注目して─」(日本教育経営学会、 2023)、『道徳教育のキソ・キホン道徳科の授業をはじめる人へ(分担執筆)』(ナカニシヤ出版、2018)などがある。また、独立行政法人教職員支援機構(NITS) の「Plant 全国教員研修プラットフォーム」内「児童生徒に対する性暴力等を防止するために」研修講師を務める。





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