【木村泰子の「学びは楽しい」#24】排除する前に「どうすればできるか」を見つけませんか

連載
木村泰子の「学びは楽しい」【毎月22日更新】

大阪市立大空小学校初代校長

木村泰子

子どもたちが自分らしくいきいきと成長できる教育のあり方について、木村泰子先生がアドバイスする連載第24回目。今回は、保護者と連携しながら、子どもが安心して学校に通える環境をつくるヒントをお伝えします。(エッセイのご感想や木村先生へのご質問など、ページの最後にある質問募集フォームから編集部にお寄せください)【 毎月22日更新予定 】

執筆/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子

排除する前に「どうすればできるか」を見つけませんか イメージイラスト
イラスト/石川えりこ

読者の声から

先日、読者の方から編集部に届いた声をご紹介します。

息子は発達障害のある小学5年生です。
通っている小学校では、問題行動があると排除の方向に動きます。パニックになる度、先生に力尽くで押さえつけられ、息子は怪我をしてしまいました。 パニックにならない声かけをお教えしていますが取り入れてもらえません。
息子は学力が高い一方、皆が当たり前にわかることはわかりません。 学力が高いので授業を聞かない、と誤解され態度が悪い、と決めつけられています。授業の進度が合わないのは仕方ないことだし先生を責めているわけではないのに「つまらない授業はしていない」等、逆ギレされてしまいます。
言葉が通じない学校とのやり取りに疲れ果てました。

みなさんはこの読者の方の声をどのように受け止めましたか? 私は学校現場の現状を物語っているように感じます。これが全国の学校で負のスパイラルに陥る1つの要因となっているのです。教員の側から見ると「困る保護者」なのでしょうが、保護者の側から見ると「困る学校」なのです。ただ、学校と保護者の違いは、教員は給料をもらっているプロだということです。プロが「困る保護者」をつくってはいけないでしょう。

「対立」から「対話」へ

人と人がつながるツールは「対話」です。プロとして優先順位の一番にしなければならないのは、子どもがどうすれば安心して学校で学ぶことができるか、その手段を見いだすことです。ただし、それは学校の力だけでは無理です。子どもが何に困っていてどうすれば安心するのか、保護者とともに見いだす必要があるのです。そのツールが「対話」です。

なぜか、学校は保護者から文句を言われている気になって、自分たちが不利にならないように学校を守る言動に出てしまいがちです。その結果は誰も幸せにしないどころか、保護者をモンスターにしてしまい、ますます学校は疲弊していくばかりです。

「教員観」の転換を

時代は激変しています。みんなと同じことができることが評価される時代は終わりました。他人と違うことに価値がある時代になってきたのです。社会のニーズに応じて学校での学びを転換しなければ、10年後の社会で「生きて働く力」は育ちません。みんなと同じことをさせようとする中で、子どもは困ってしまい、暴れだすのではありませんか。

「発達障害」だから問題行動を起こすのではありません。環境に安心できないから問題行動を起こすのですよ。

このコーナーでは何度も伝えている気がしますが、暴れたり逃げ出したり暴力をふるう子は、「困っている子」です。狭い枠の中から出てはいけないと言われているように感じるから、不安でその場から抜け出すためにもがいているのです。

大空小には何人もそんな子どもがいましたよ。確かに、はじめのうちは私たち教員もわからなくて、自分たちが困ってしまった結果、その子が「困る子」になってしまったことが何度もありました。読者の方の学校の教員のように、教員自身を正当化したくなるのです。

私たちも1人で仕事をしていたら無理だったように思いますが、教職員同士が自浄作用を高め合おうと合意してからは、互いに「アウト!」と言い合って気づき合えるようになり、「人の力を活用する」力をつけることができるようになりました。教員は、一生懸命になればなるほど自分が主語になってしまうものです。指導できなければダメな教員と思われてしまうのではないかと、無理をしてがんばればがんばるほど、なってはいけない「熱心な無理解者」になってしまうのです。

教員1人の価値観で、多様なすべての子どもの学びを保障することなど不可能な時代になっているのです。そのことをすべての教員が理解し、納得することから始めなければ負の連鎖は止まりません。

忘れてはいけないのは「子どもが主語」ということ

「子どもを主語に」ということは、その子が自分だったらと想像することです。不安で、逃げ出そうとする自分が、教員につかまり、「暴れるな」と言って押さえつけられるのですよ。当然、学校には行けないでしょう。そうなると、教員も疲弊する一方です。この負の連鎖を止めませんか。

読者の言葉の中にある「つまらない授業はしていません」という教員こそ、プロではありません。つまらないかどうかを決めるのは子どもです。言い換えれば、私たちはつまらない授業しかできないかもしれないことを自覚するからこそ、「子どもが学ぶ・子ども同士が学び合う」授業を子どもとともにつくっていけるのではないでしょうか。

教員ががんばらなくても子どもが育っていればいいのです。「暴れるな」と叱っている教員と叱られている子どもを、周りの子どもたちが見ていることを忘れてはいけないでしょう。この子は「困る子」と周りの子に思わせてしまっている状況から大空小では何度もやり直しました。

教室から飛び出す子がいるのが当たり前
座っていない子がいるのが当たり前

この当たり前の環境を調整すれば、子どもの事実は必然的に変わってきます。

子どもとも保護者とも対話を重ねて共にできることを見つけていきましょう。

「学びは楽しい」ですよ。

〇優先順位の一番は「子どもがどうすれば安心して学校で学べるか」。保護者との対話を通して、ともにその手段を見いだそう。
〇問題行動を起こす子どもは、みんなと同じであることが評価される狭い枠組みの中で不安を感じてもがいている子。他人と違うことに価値があるこれからの時代、社会のニーズに応じて学校での学びを転換させていこう。
〇「その子がもし自分だったら」と想像し、「教室から飛び出す子どもがいるのは当たり前」と考えて、子どもが学ぶ、子ども同士が学び合う「子どもが主語」の授業をつくっていこう。

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木村泰子先生

きむら・やすこ●映画「みんなの学校」の舞台となった、全ての子供の学習権を保障する学校、大阪市立大空小学校の初代校長。全職員・保護者・地域の人々が一丸となり、障害の有無にかかわらず「すべての子どもの学習権を保障する」学校づくりに尽力する。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと』『「みんなの学校」流・自ら学ぶ子の育て方』(ともに小学館)ほか。

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