子供の思考を深める板書はどのように書けばよい?<後編> 【教師の悩みにピンポイント・アドバイス 田村学教授の「快答乱麻!」#35】
先生方のお悩みに対し、國學院大學の田村学教授にお答えいただくこの企画。前回まで、子供の思考を促す構造的な板書について説明していただきましたが、今回はGIGAスクール時代の板書について説明していただきます。
教員になって2年目なのですが、板書をどうしたらよいか悩んでいます。「子供の思考を促す板書」とか、「ふり返りをしっかり書けるような板書」が大事だと聞きますが、具体的にどのような工夫をすると子供が深く考えてくれるような板書になるのでしょうか。(小学校、20代)
黒板の右側1/3か1/4では電子黒板機能で動いていくものを示す
前々回、GIGAスクール時代のICTを活用した板書については、別途考えることが必要だというお話をしましたので、今回は、GIGAスクール時代の板書についてお話をしていきたいと思います。
現在の学校の状況を見てみると、黒板の中の1/3もしくは1/4くらいをパソコンからのデータを投影するスクリーンのスペースとし、残り2/3か3/4を従来の黒板として使っている学校(教室)があると思います(写真1参照)。あるいは学校の設備状況によっては、黒板とは別に電子黒板を設置している学校もあるでしょう。その状況は学校によって異なると思いますが、いずれの状況においても重要なのは、黒板と電子黒板(プロジェクター投影の黒板面も含む)、両者の機能を意識して使い分ける必要があるということです。
この両者の機能をごく簡単に言えば、前者の黒板は残るものであり、電子黒板などは移りゆくものということです。黒板は情報をプロットしたものがある程度残るものであるのに対し、電子黒板などでは最初に写真を映し、そこから授業が展開したら別の図表に変わり、さらに動画が出てきて…というように動いていくわけです。ですから、残ることによって価値がある情報と、動くことに価値があるもの、それらを本当に意識的に使い分けているだろうかというのが大きな問題だと思います。
動いていることに価値があるものであれば、例えば、動画を見ることで「ああ、あんなふうに動くのか」と確認できるということがあると思います。一方、黒板は前々回、前回と説明してきたように、授業の中で残すべき情報を記録として残すとか、子供たちの思考を促す局面として情報を構造的に整理するというように意識してつくり込んでいく必要があると思います。
そのように両者の機能を考えると、ひょっとすると黒板上の「思考ツール」を目の前で動かしていくことで、その機能がより効果的になるような場合も考えられるかもしれません(写真2参照)。これまでは、例えばベン図を黒板の真ん中にチョークで書いてきたと思います。チョークで書くと残念ながら動かせないので、それを何とかするために、出てきた情報をカードに書いてベン図の中に貼っていたでしょう。それを電子黒板に代用させると、ベン図の位置や大きさを変えたり、配置した情報を簡単に動かしたりすることもできます。ですから、子供たちの議論の展開に応じて、適宜変えることで、より子供たちの思考の展開に即した板書を整理できることになるでしょう。
ただし、授業の展開に応じて適宜、黒板と電子黒板の両者の機能を行き来しながら使っていくのはむずかしいので、簡単に言えば、基本的には左側2/3か3/4の黒板には残しておくものを記し、右側1/3か1/4では、電子黒板機能で動いていくものを示すということを、まず意識していくことが大切だと思います。もちろん電子黒板があるなら、まず黒板と電子黒板の機能を意識して使い分けるのが大事だということです。
残るものと動くものの両者をどれくらい自覚して使っているか、ご自身の活用状況を見返してみると、おそらく「あまり意識をしていなかった」「何となく使っていた」という先生も少なくないのではないでしょうか? ですから、まずは「これは残す情報」「これは動くもの」と使い分けることをしっかりやってみることをお勧めします。
発問・指示と板書の2つは直接的な指導の2トップ
先にも触れた通り、両者の機能をうまくシンクロさせ、授業中のグループ・ディスカッションから全体の話合いに移ってきたときに、電子黒板を使ってより動的に板書を整理し…というように活用できれば、とてもおもしろい授業になるとは思います。しかし、そもそも意見交換や話合いの場面で、ICTがどれだけ活用されているかと言うと、まだまだだとも言われている状況ですから、一足飛びにそれを求めるのはむずかしいだろうと思います。
少し話がそれますが、一般的には個人やグループで考えて整理した情報を、一気に全体でシェアするようなことは行われているでしょう。ただそれは、見て共有しているだけなので、もう少しそこからの展開や機能活用を考えてもよいように思います。例えば、子供たちが書いたデジタルデータをテキストマイニングのようなものにかけて、一気に全体のふり返り情報をワードクラウドで示して、「みんなが今、出した情報にはこんな傾向があるね」と見直した上で、改めて対話をして深めていくといった展開があれば、ICTを活用する効果がより大きくなると思います。
話を戻すことにしましょう。ここまで多様な説明をしてきましたが、板書もICTも子供たちの学びの質を高めるために使いこなすことが重要です。当然そのためには、期待する子供たちの学びのありようや高まった姿が、より具体的にイメージできていることが必要で、それがなければ板書もICTもより効果的な機能の活用はむずかしいでしょう(写真3参照)。
私たち教師には、子供たちに資質・能力を育むことが求められているわけで、それは学習者がどう学ぶかによって決まるわけです。子供がどう興味・関心を示すか、子供がどう思考するか、子供がどのような結論を導き出すかが大事で、どう考えたらよいかを先生が伝えたらできるわけではないし、先生が結論を教えるかどうかという問題でもありません。資質・能力は、子供自身が期待される力の発揮を繰り返すことで確かなものになっていくわけです。例えば、「比べる」とか「関連付ける」といった期待される思考も、何度も繰り返し安定的に実施されることで、子供たちの中で確実なものになっていきます。その意味では、学習者自身がどうしているかが最大のポイントですし、教師は子供の視点に立つことが必要です。
最初に説明した通り、これまでは結果としての記録の板書になりがちでしたが、子供たちの思考力を育むために、授業中にこんな思考をさせたいとか、こんな意見交換をさせたいという話になってくると、結果としての板書ではなく、授業のプロセスを充実させるための板書というイメージになっていくと思います。プロダクトとしての板書ではなく、プロセスを充実させていくような板書です。そのようなイメージが広がっていくと、板書の価値がさらに上がっていくと思います。
最後に教師の授業力について考えてみると、かなり重要な要素として教師が音声で伝える発問・指示と、教師が文字によってリプレゼンテーションしていく板書があると思います。この2つは直接的な指導の2トップではないかと思います。その他の間接的な指導に、グループをどう形成するかとか、学習環境をどう整えるかとか、場の設定などがあるでしょう。やはり板書と発問・指示は教師が子供たちに直接的に働きかける重要な行為です。ですから、板書(と発問・指示)をどうしようか考えることによって、教師力が磨かれていくことでしょう。
【田村学教授の「快答乱麻!」】次回は、11月9日公開予定です。
執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之
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