【木村泰子の「学びは楽しい」#19】指示を聞かない子どもの指導に悩んでいませんか?

子どもたちが自分らしくいきいきと成長できる教育のあり方について、木村泰子先生がアドバイスする連載第19回目。今回は、精いっぱい努力をしているのに、子どもが指示通りに動かない、そんな悩みを抱える先生方にぜひ読んでいただきたい内容です。(エッセイのご感想や木村先生へのご質問など、ページの最後にある質問募集フォームから編集部にお寄せください)【 毎月22日更新予定 】
執筆/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子

イラスト/石川えりこ
目次
きまりやスタンダードを守らせる目的は何か?
みなさん、指示・号令・命令は、問いかけに変わっていますか?
子どもを主語にした授業をつくる当事者は、子どもです。子どもが学ぶ・子ども同士が学び合う授業を組み立てるのが教員の役割です。
これまでは教員が主語の授業をつくっていたので、時間内にどれだけ計画通りに子どもを正解に到達させるかが求められていました。ところが、授業観が変わり、今、学びの主語は子どもです。
子どもと言っても、30人の子どもが学ぶ学級には30通りの自分を持った子どもがいるのです。「誰一人取り残さない授業」なんてできるでしょうか。不可能ですよね。残念ながら、教員が主語になって「誰一人取り残さない授業」なんてできるわけがないのです。教員が持つ正解に近づけようと、子どもたちを指導する。この指導を、子どもを主語にして問い直すと、「洗脳力」に変わってしまうことに気付きました。
教員は時間をかけて教材研究をして授業に臨むが、子どもが指示通り動かない。教えようと精いっぱい努力しているのに、子どもが指示通り動かないのです。当然、指示を聞かない子どもには指導しますね。「椅子に座りなさい」「不規則発言はやめなさい」「手を挙げなさい」「前を向きなさい」「姿勢を正しなさい」……。
これらの指示をする目的は何ですか? 目的が、きまりや学習スタンダードを守らせることに置かれていませんか?
小学校に入学当初の1年生がこんなふうに指導されると、子どもは(学校は先生の言うことを聞くところ・先生の言う通りにしないと怒られる、あの子はいつも怒られているダメな子だ、自分はほめてもらえるようにがんばろう……)などと、学校での学びをスタートさせてしまうのではないでしょうか。
県や市から下りてくる通知や学習スタンダードを守らなくてはと考えるのが、これまでの当たり前だったかもしれません。ところが、これまでの指導の結果、「自殺・不登校・いじめ」過去最多の子どもの事実を突きつけられている現状があるのです。
「授業観」を転換することが急務です。
他人と違うことに価値がある時代になった
これまでの学校教育の中で、「みんなと同じことをしなさい」「勝手なことをしてはいけません」「普通のことくらいできるように努力しなさい」「みんなはできているでしょう。どうしてあなたはみんなと同じことができないのですか」「普通のことぐらいできるようになりなさい」「学習スタンダードが守れなかったら、大人になったら困りますよ」「規律を守れる人になりなさい」という指導が行われてきたことと思います。
これが指導であるとするなら、これらによって子どもたちが育っている事実が目の前にあるかどうかを、教員が見極めなくてはいけません。しかし、残念な子どもの事実を突きつけられているのが今の学校現場です。
「不登校」が当たり前の学校にだけはなってはならないでしょう。