「地域の学校」を変えない不思議 【木村泰子「校長の責任はたったひとつ」 #8】

連載
負の連鎖を止めるために今、できること 校長の責任はたったひとつ

大阪市立大空小学校初代校長

木村泰子

不登校やいじめなどが増え続ける今の学校を、変えることができるのは校長先生です。校長の「たったひとつの責任」とは何かを、大阪市立大空小学校で初代校長を務めた木村泰子先生が問いかけます。
第8回は、<「地域の学校」を変えない不思議>です。

「不登校」の現状に思うこと

2学期が始まる頃には、メディアが一斉に「不登校」について報じます。どの報道を見ても共通しているのは「無理して学校にいかなくていいんだよ!」との発信です。確かに無理していくところが学校ではありません。また、フリースクールや特例校などいくつかの選択肢をつくっています。国も「子ども真ん中社会」の公言に基づいて、様々な施策を出しています。

一方で「地域の学校」は何をどのように変えているでしょうか。誰一人取り残さない学校づくりに向かって、これまでの学校の当たり前を捨て、誰もが安心して学び合える学校づくりのためのシステムをどうつくっているでしょうか。

この夏は全国の学校の教員や校長・教頭のみなさん方から多くの学びをいただきました。その中で、「不登校」の子どものことが気になるが手段が見つからない。保護者の理解が得られないなどの困り感を出されていました。みなさんが一生懸命「不登校」対策について努力をされているのですが、どこか、「地域の学校」には来られない・これ以上先生たちが頑張れば疲弊してしまうなどとあきらめてしまっている現状を感じてしまいました。あきらめている限り、学校づくりの楽しさは逃げていきます。今一度、みなさんで問い直しをしませんか。

「不登校」というレッテル

まず、「不登校」の言葉の意味を問い直しませんか。子どもはだれしも学校に行きたい。地域の同年代の子どもが行くのが地域の学校なのです。行きたくない子どもは誰もいないが、行けないのです。「不登校」の言葉は、学校に行けない子どもに原因があることを示している言葉ではありませんか。

大空小には毎年多くの「不登校」のレッテルをはられた子どもが転校してきました。どの子も苦しんでいました。周りの子はみんな当たり前に学校に行っているのに自分だけ行けないのです。学校に行っている子どもが「ふつう」で行けない子どもは「特別」だと、本人だけでなく周りの子どもも思っています。

9年間の中で50人を超える子どもが「不登校」のレッテルをはられて引っ越してきました。当然、すんなりと登校できるわけがありません。

ある子どもは学校を恨んでいました。学校が在るから自分の家庭は壊れて、父さんと母さんがお別れをした。自分が学校にさえ行けていたらお別れしなくてよかった。自分のせいだと自分を責め続けていました。この子は幼稚園で、みんなと同じことができないから診断を受けさせられて「発達障害」の手帳を与えられて、公立小学校の特別支援学級で手厚い支援を受けていた子どもです。それなのに行けなくなった。4年生で転校してきた1年目は大声で怒鳴ったり、学校を飛び出したり、友だちを叩いたり、「オレ、教室がだいきらいなんや!」と教室には入りませんでした。そんな子どもに大空小の大人たちはいつも「自分がつくる自分の学校やで、どこで何を学ぶか決めるのは自分や! 人のせいにしたらあかん!」と言っていました。そんな大人の行動を目にする周りの子どもたちは、教室に入れないこの子が困っていると常に肌で感じていました。どうしたらこの子が安心できるかをそれぞれの子どもが言葉にしたり行動で表現したりしていました。「死ね!」と言われることも当初は当たり前にありました。この子が「死ね」というときはいつも何かに困っているのですから、「何困ってる?」と聞いてその子に教えてもらっていました。そのうち、「死ね」を周りの子どもが私たちに通訳してくれるようになりました。その頃には、何事もなかったようにみんなと一緒の教室に入って学び始めました。

特別支援学級で特別支援学級担任が一日手厚く自立支援をする環境から逃げ出してきた子どもが、みんなの中にいることが当たり前の環境で、毎日トラブルを起こしながら学び合うのです。トラブルが起これば起こるほど、子ども同士の信頼が深まり、学校と地域の信頼がつながっていきました。

学校をつくるのは自分

これまでは、教員が指導力を高め、保護者の理解を得る学校づくりをしなければと考えていました。ところが、次から次へと「不登校」のレッテルをはられた子どもが転入してくる学校では、これまでの学校の当たり前は通用しませんでした。「不登校」と言われる子どもはすべて違っていました。こんな指導をすれば登校できるといったマニュアルは何一つ見つかりませんでした。ただ、すべての子どもに必要だったことは「巻き戻し」でした。学校は何のために在るかを確認し、ゼロスタートに立ってその子と巻き戻しをする時間が必要でした。

「教室の空気が吸えない」
「友だちが特別の教室にいる自分をバカにする」
「ふつうの教室に行くと自分は迷惑だった」
「みんなといっしょのことなんてできない」
「勉強ができないからどれだけやっても追いつけない」

こんな言葉を語る子どもが多くいました。そのほとんどの子どもが、学校だけでなく家にも居場所を見失っていました。母親に「いっしょに死のう」と言われた子どももいました。その向こう側で、教員は「子どものために」必死で指導しているのに子どもは離れていく現実に苦しんでいるのです。

「学びの自由」をすべての子どもに

学ぶのは子どもです。なりたい自分を決めるのも子どもです。

子どもが主語の学校づくりは、ここからスタートです。様々な苦しんでいる子どもが来てくれたおかげで、「みんなの学校」をつくる必然性に気付かせてもらいました。

「すべての子どもの学習権を保障する」学校をつくることだけが、校長のたった一つの責任です。


 不登校」という言葉を問い直そう
 学校は、子どもが自分でつくる
 「不登校」の子どもに必要だったのは、巻き戻し
 校長は「すべての子ども学習権を保障する学校」をつくる責任がある


木村泰子(きむら・やすこ)
大阪市立大空小学校初代校長。
大阪府生まれ。「すべての子どもの学習権を保障する」学校づくりに情熱を注ぎ、支援を要すると言われる子どもたちも同じ場でともに学び、育ち合う教育を具現化した。45年間の教職生活を経て2015年に退職。現在は全国各地で講演活動を行う。「『みんなの学校』が教えてくれたこと」(小学館)など著書多数。


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