「アート思考で人と仲良くなれるって本当ですか?」後編

『13歳からのアート思考』著者の末永幸歩先生が「東大附属芸術祭」で行なった鑑賞ワークショップ(※)は、参加した生徒はもちろん、それを見ていた周りの大人にも大きな影響を与えたようです。後編となる本記事では、このワークショップを通して見えた、アート思考が人間関係にもたらすメリットについてそれぞれの視点から紹介します。

【関連記事】ワークショップの様子については、こちらの記事をお読みください。
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「アート思考で人と仲良くなれるって本当ですか?」前編
※「アート鑑賞、どう楽しむ?〜世界が広がる『自分なりの見方』」
【日時】2023年3月25日(土)
【場所】東京大学教育学部附属中等教育学校(「芸術祭」会場)
【主催】東京大学教育学部附属中等教育学校 芸術祭実行委員会
目次
鑑賞作品を手がけたアーティスト・O JUNさんが感じたこと
鑑賞者の感性に虚を衝かれた
今回のワークショップで鑑賞する作品を手がけたアーティストのO JUNさん。ワークショップの最後、参加者の前でこの日を振り返ったお話の中に印象的なものがありました。
ある1枚の絵の制作当時、O JUNさんには、あまりポジティブではない思いがあったそうです。
「絵の中には、あまりそういうものを刷り込ませないで、むしろカラッと描きたいな、と思ったんですけれど、ご覧になった人の何人かが感じ取ってしまったようで、描かれているものの中にそういう(ポジティブではないものを察する)言葉があったので、虚を衝かれました」(O JUNさん)
花や船などのモチーフのように直接的に表現したわけではないのに、「こういうものを描こう」とか、「こういう気持ちを描こう」という作者の“思い”が、作品を通して鑑賞者に伝わっていることを不思議に感じたとのこと。
「何十年も絵を描いてきて、今こういう形で皆さんと接触できて、しかも絵のタイトルっていうものを仲介にして何かが伝わっていることを感じられる体験をさせてもらいました」(O JUNさん)
『おにぎり』を一つひとつ“ほどいていく”アプローチ
また、ワークショップ終了後には、末永先生の活動についても次のように語っていました。
「美術とか、アートとか、名画とか、名作とかっていうもののイメージをみんな持っていますよね。教科書を通じてとか、テレビとか、いろんなメディアを通じて。だけど、それはやっぱりある程度最大公約数的につくられたもので、真実がないわけではないけれども『おにぎり』みたいなもので。それをもう一度ほどくっていうんですかね、個々にほどく、みたいな。
『13歳からのアート思考』の中のいろんなワークショップやそれに伴う考え方っていうのが、まさにその、“ほどいていく”という感じ。これだ、って固定化されたものを、一つひとつほどいていって、いろんなアプローチを試みるという。それを非常に実践的にやっておられる方だなと思いました」(O JUNさん)
既存の鑑賞スタイルでは出てこない、作家である僕にとっても新しい体験
この日のワークショップについても、あらためて次のように振り返ります。
「今日の『タイトルをみんなで勝手に付けてみようよ』っていうのだって、なかなか普通はやらないですよね。でもやってみたら、実際に僕にとっては、まさに響くようなキャプションがいくつもあって。この作品の種明かしをしてないのに、なんでそこまで深く感じ取るんだろうと思いました。こんな抽象的な絵ですから。
普通に、ワークショップですよ、美術の授業ですよ、展覧会ですよ、っていう既存のスタイルの中では出てこないような、鑑賞者の人たちにとっても、作家である僕にとっても、新しい体験をさせてもらったワークショップでしたね。
著書を読むと、いろんなことを幅広く体験、経験されて来ている方なので、そういうことをいろいろと実験されていると思うんですよね。その一端に触れたように思います。貴重な体験を僕もさせていただきました。刺激的でした」(O JUNさん)
末永先生が感じたこと
盛況に終わったワークショップのあと、末永先生にこの日を振り返ってお話を伺いました。
「美術館でこういったワークショップすることは、これまでもありましたが、特に数十年・数百年前の作品の場合などは作者不在の状態でやっているので、今日のように、同時代の作品を鑑賞して、そして作者さんがそこにいらっしゃるというのは、初めてでワクワクしていました。『作者と鑑賞者が共に作品を創るのだ』という考えで鑑賞をしましたが、今日は作者のO JUNさんも、鑑賞者に影響を受けたとお話ししてくださったのが嬉しかったです。
それから、O JUNさんがワークショップの最後にお話しされていたことが印象に残っています。その作品の元になった、ご自身が持っているわりと暗いイメージを直接的に表現せず、作品としては昇華させてカラっとしたイメージに描いたつもりなんだけれど、鑑賞者の言葉の中に、何かそういった重たいイメージを感じさせるようなキーワードが出てきていたと、おっしゃっていましたね。これは、O JUNさんがもっていたイメージがそのまま伝わったということではなくて、形を変えて“誤読”されているんだけれど、でも少し鑑賞者と作者の感情がクロスする部分もあって……。そういう『微妙な交差』が起こったのかなと思いました。
ダイレクトにO JUNさんがイメージしていた出来事が伝わる必要は全くないと私は思うんです。O JUNさんがもっていた感覚が形を変えて鑑賞者に伝わっていた、ということが、もともと作品がもっていた意味が広がっているかのように感じられ、興味深かったです」(末永先生)