ギフテッドへの合理的配慮に診断書は不要
2022年7月17日(日)に、北海道教育大学札幌駅前サテライトで「ギフテッドの生きづらさ ~子どもたちが望む世界とは~」と題したシンポジウムが行われました。その様子を毎週火曜日、全5回で紹介します。

シンポジウムのトップバッターは、小学館から刊行された『ギフテッドの個性を知り、伸ばす方法』の編著者である、北海道教育大学旭川校教授の片桐正敏先生です。「ギフテッドの特性と学校」と題し、主に学校での対応について講演されました。
目次
「合理的配慮の提供」の要件とは?
「合理的配慮」とは、一人ひとりの特性やその場に応じて発生する障害・困難さを取り除くため、個別の調整や変更をすることです。
片桐先生は、言います。
ギフテッドが 「合理的配慮」を受けるにあたり、学校から診断書の提出を求められる場合があるようですが、診断書がないと、合理的配慮を受けることができないというのは誤解です。
この発言を受け、本記事では、学校現場での「合理的配慮」にフォーカスします。
法律では、合理的配慮を受ける際に医師による診断書を求めていません。そもそもギフテッドが抱える障害・困難さは、「全員が一斉指導という形態で授業を受けるべき」「『みんな』がやっていることは、同じようにやるべき」といった、いわゆる慣行が「社会的障壁」となっていることも多いのです。個々の教育的ニーズに応じて、社会的な障壁を外すことは、合理的配慮の一つです。
環境調整で「生活と行動の制限」を外す
「合理的配慮」「社会的障壁」と、難しい単語が並びました……。
そんなに難しく考えることはありません。端的には、「この子が学校(授業)に参加するには、どんな配慮や支援が必要か?」と、考えてみるとよいでしょう。
片桐先生の、「この子が授業に参加するには、どんな配慮や支援が必要か?」という発言を理解するには、「障害とは、社会への参加を制限されること」と捉えるWHO(世界保健機関)の「障害の社会モデル」という考え方を知っているとよいでしょう。
WHO(世界保健機関)は、2001年5月から、障害を「個人(医学)モデル」ではなく、「社会モデル」で捉えています。前述の通り、「障害とは、社会への参加を制限されること」です。
たとえば、足に機能障害があった場合で考えてみましょう。「個人(医学)モデル」は、足の機能障害を個人的な問題として捉えています。これは、医療や介護といった医学的アプローチをする、いわば従来の障害の捉え方です。一方、「社会モデル」の場合は、必要とする人には車椅子を支給し、社会全体にバリアフリーを完備するなど、環境調整をすれば、社会への参加は制限されませんから、障害とは捉えません。
最近、よく耳にするSDGsも、地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」を掲げています。個人が困っていることを自己責任だけに委ねるのでなく、社会の問題として捉え、環境調整で是正していくという発想、大切だと思います。持続可能という視点でも、特定の個人に負荷がかかるのではなく、社会全体で支える方が、「持続可能な支援」なのだと思います。