#21 教師にとっての喜び【連続小説 ロベルト先生!】
9月も終盤になり、長縄の練習も佳境に。精神力や集中力が大事な時期、子どもたちはどうやってスランプを乗り越えていくのでしょうか?
第21話 スランプ
運動会や写生会が終わり、気がつけば9月もまもなく終わろうとしていた。そして、市内親善運動会も目前に迫ってきた。
「無理だよ。こんなのやっても意味ないよ!」
思えば洋のこの言葉から始まった長縄跳びも、これからは技術よりも精神力や集中力が重要な時期を迎えた。
ここに来て記録が伸び悩んでいた。
これまでは悪くても700回をコンスタントに超えてきたが、急に600回台の記録が出ると、子どもたちにも重々しい空気が流れる。誰のせいでもない。
一人が引っかかると、連鎖反応を起こしたかのように、普段はひっかからない子までがミスをする。スピードを上げるよりも、一人一人が1回でもミスを少なくして跳ぶしかない。それは誰もがわかっている。決して気を緩めているわけではない。
「1、2、1、2」と声を出すが、その気力が記録に結びつかない。これがスランプというものなのだろうか。
それは、昼休みに練習をしている時だった。
緑ヶ丘小学校は、敷地の一角に幼稚園を隣接している学校で、ちょうど幼児を迎えに来ている親であふれていた。
私は、子どもたちに緊張感をもたせてみようと思い、拡声器を持ち出すと、幼児のお母さんたち目がけて叫んだ。
「皆さん、こんにちは!」
お母さんたちは、急に何が始まったのか、驚いたような顔でこちらに注目した。
「今、私たちは、10月2日に行われる親善運動会の長縄跳び大会に向けて練習をしています。
今から7分間跳び続けます。只今の記録は737回。もし、750回を超えましたら大きな拍手をお願いしま~す」
驚いたのはお母さんたちだけではなく、三組の子どもたちもである。周りのみんなの視線が自分たちに集中していることに気がつくと、恥ずかしそうにしていた。
私はそんなこともお構いなしに、
「位置について、用意…」
「ピーッ!」とホイッスルを鳴らした。
条件反射のように、子どもたちは跳び始めた。計時と回数のカウントはいつも私がやっていた。「1、2、1、2…」の声とともに、子どもたちは息を吹き込まれたかのように軽快に跳んでいく。
私の「1分経過」という声と「100回」という声のどちらが先に聞こえるかが、700回をクリアーするための一つのバロメーターとなっている。
最近までのミスの多さが嘘のように子どもたちは跳び続ける。最初の1分間が、その後リズムに乗るためにも大切な時間帯になる。
「100!」
そして、数秒経ってから、
「1分!」
という声をかける。子どもたちの顔つきがさらに真剣になった。お母さんたちも真剣な眼差しで子どもたちの様子を見ている。
「200!」
10数秒遅れて、
「2分!」
これまでにはなかなか見られなかった展開である。しかし、3分から5分の間が集中力が途切れやすく、ミスの連鎖反応が起こりやすい時間帯である。私も大きな声を出して、一人一人の子どもたちの心に届くように応援した。
「いいぞ、その調子!」
「ここからが大事だぞ、焦るな!」
「落ち着いて、落ち着いて!」
私が一番落ち着いていないようだった。
「5分!」
そして、数秒遅れて、
「600!」
これまで、1分間100回のペースで跳んできた子どもたちにとっては、約100回の貯金ができ始めており、味わったことのない未体験ゾーンに突入した。
しかし、誰一人として、その貯金を使い果たそうとするものはいなかった。私は心の中で、(いける、初めての800回だ!)と感じていた。
ついに、6分のコールよりも700回のコールが先に来た。子どもたちは集中しながらも、目をギラギラ輝かせている。そして、7分まで残り10秒となったその時、
「800!」
私も初めてのコールに声が震えた。
「ピー! 終了!」
合図とともに、子どもたちの目線は、私に注がれた。
「記録、815回!」
「やったー!」という言葉ではなく、「キャー!」という悲鳴に近いような歓声が沸き上がった。
ぴょんぴょんと跳びはねる子もいれば、抱き合って喜ぶ子もいる。まだ本番でもないのに目を潤ませる子までいた。
さらに、気がつくと、お母さんたちからの割れんばかりの大きな拍手に包まれていた。子どもたちは、お母さんたちに向かい、大きな声で、
「ありがとうございました!」
と挨拶をした。普段はあまり大きな声を出さない、あの真希ちゃんまでが、大きな声でお礼を言っていた。
私は改めて、教師という職業の醍醐味を感じた。教師という職業と一般企業との違いはここにある。
一般企業であれば、できるだけコストを削って、大きな利益を生み出そうと賢明に努力する。それに対して教師は、無駄だと思われるくらいに、あの手この手を使って子どもたちに関わっていく。
その利益(成長)と言えば、ほんのわずかなものかもしれない。しかし、そのほんのわずかな成長が、私たち教師にとっての喜びであり、それまでの割に合わない苦労も忘れられる。大きなやり甲斐を感じることができるのだ。
こうして、スランプに陥っていた子どもたちは、また、息を吹き返した。この後は、800回はなかなか超えられなかったものの、700台後半の記録が頻繁に出るようになってきた。
そこで、記録を安定させるためにも、毎日の生活を律することから記録を向上させようという作戦で、「縄跳び生活表」を作成した。
これは、毎日の長縄跳びの記録や個人のミスの回数を記録していくとともに、挨拶、靴揃え、手伝い、宿題など、毎日の自分の生活を振り返りながら練習に励んでいけるようにしたものである。
これも「すべてはつながっている」からである。
本番前までの最高記録は833回となった。よくここまで記録を伸ばしてきた。そして、親善運動会当日を迎えることとなった。
執筆/浅見哲也(文科省教科調査官)、画/小野理奈
浅見哲也●あさみ・てつや 文部科学省初等中等教育局教育課程課 教科調査官。1967年埼玉県生まれ。1990年より教諭、指導主事、教頭、校長、園長を務め、2017年より現職。どの立場でも道徳の授業をやり続け、今なお子供との対話を楽しむ道徳授業を追求中。