そのお説教は誰のため?【連載小説 教師の小骨物語 #2】
新米でもベテランでも、教師をしていると誰でも一つや二つは、「喉に詰まっている”小骨”のような」忘れられない思い出があります。それは、楽しいことばかりではなく、むしろ「あのときどうすればよかったの?」という苦い後悔や失敗など。そんな実話を取材して物語化して(登場人物はすべて仮名)、みんなで考えていく連載企画です。
2本目 そのお説教は誰のため?全体の前で延々とお説教
後味悪く思い出されるのは、子供たちを叱った場面ばかりだ。教師13年目のぼく(中井大輔)は、そのうちの9年が高学年の担任だった。高学年には宿泊行事が多い。宿泊を伴えば、安全やマナーなど守らせることが多くなり、普段以上に叱る機会が増えてしまう。
教師7年目で、まだ20代だった頃、2泊3日の臨海学校へ行った。海に入る行事は安全面でとくに神経を使うのだが、2日目の夜、花火大会があった。子供たちが花火を楽しんでいたとき、突然、パチパチッという音がした。見ると、バケツの中で花火が燃え盛っている。誰かが、燃えたままの花火をバケツに突っ込んだのだ。
「何やってるんだ! 誰がやったんだ?」
危険な悪ふざけをした犯人を、ぼくは突き止めようとした。周りの子に聞くと、「コウタを見たよ」と言う。コウタくんはやんちゃな悪ガキタイプで、明らかに犯人であろうと思われた。
「コウタ。おまえがやったのか?」
「やってないよ!」
「そんなはずないだろう。あの場におまえがいたのを、みんなが見たと言っている」
若かったぼくは、理詰めで「おまえしかいない」と言い、コウタくんは、あくまで「やってない」と言う。そんなやりとりにたっぷり時間をかけ、花火大会も臨海学校も楽しい終わり方にはならなかった。
臨海学校から帰ると、コウタくんの母親から電話があった。
「うちの子はやってないと言っているのに、先生は一方的に叱ったそうですね」
「でも、状況的にはコウタくんしかいないんです」
(こんな親だから、子供も反省しないんだ)
この夏の騒動以降、コウタくんは卒業までぼくの前で笑うことはなかった。
◇
もう一つ、思いっきり叱った記憶がある。それは、次に高学年を担任したときの移動教室だった。
移動教室では、宿泊施設で他校と一緒になることが多いが、そのときも食堂で他校の子供たちと同席した。すると、他校のなかに話すことに障害がある子がいて、その様子を見て、うちの学校の子供たちがクスクス笑ったのだ。これは許せなかった。私は全員を体操座りさせて、こんこんと1時間説教をした。その移動教室も、最悪の夜になった。
「いいクラス」だと思われたい! 体面のために叱っていた?
それから数年経った今、ぼくは当時の叱り方を大いに反省している。まず、宿泊行事のような場面では、全体に向かって長時間叱ってしまうことで、楽しいはずの雰囲気をぶち壊してしまった。若い頃は“うちの学校の看板に傷をつけてはいけない”という気持ちが強かったので、何かあれば有無を言わさず一方的に叱った。宿泊先での体面もあって、きつく叱っていたかもしれない。“学校の看板”も大切だが、「いいクラスに思われたい」という“自分の看板”にもこだわっていたのだ。
今だったら、「集団としてどう見られるか、考えてみようよ」と静かに話すことができる。こう言うだけで、変われる子もいるはずだ。
だいたい、怒鳴り声なんて心理学的にもよくない。威嚇だ。怒鳴るなんて、聞く耳をもたない者のすることだ。
実際、ぼくは聞く耳をもっていなかった。花火のときにも、「どうしたの? どうしてそんなことをしてしまったの?」と聞いていれば、コウタくんの心を開くことができたかもしれない。
問題を起こした一部の子のために、全員を叱るやり方もよくはない。せっかくの楽しい行事の雰囲気を台無しにしてしまうだけでなく、問題を起こした子が「おまえのせいで、先生にたっぷり叱られちゃったじゃないか」とあとで責められ、そこにまた上下関係を作ってしまう。
そんなことも、当時は気が付かなかった。
子供の話を“聞くふり”ではなく、「何があったの?」と本気で聞く
「いいクラスにしなくては!」「自分も教師として成長しなくては!」という焦りがあった。だから、子供たちの話も聞かず、一方的に抑えつけたのだろう。だが、それも上手くいかず、ついには「先生は私たちのこと嫌いでしょう?」と言われ、クラスの子供たちに受け入れられなかった学年もあった。誰にも助けを求められず、その年は1年で7キロも痩せてしまった。
そんな月日を経て、今は「子供の話を聞こう」と決めている。昔のように“聞くふり”ではなく、話してくれたからには、それを受け止めて責任をもつようにしている。高学年の子供同士のけんかなどは、解決しなくても話を聞いてあげるだけで子供は納得する。時間がなければ、「あとで聞くから」と返答するだけでも不満顔は消える。
こんなふうに自分が変わってからは、“延々と説教”という叱り方はほとんどなくなった。
取材・文/谷口のりこ イラスト/ふわこういちろう
『教育技術』2019年11月号より
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