ページの本文です

カンボジアの子供たち【伸びる教師 伸びない教師 第60回】

連載
伸びる教師 伸びない教師
関連タグ

栃木県公立小学校校長

平塚昭仁
第60回 伸びる教師 伸びない教師
バナー

豊富な経験によって培った視点で捉えた、伸びる教師と伸びない教師の違いを具体的な場面を通してお届けする人気連載。今回のテーマは、「カンボジアの子供たち」です。JICAの教師海外研修で訪問したカンボジアでの体験の話をお届けします。カンボジアでたくましく生きる子供たちが登場します。

執筆
平塚昭仁(ひらつか・あきひと)

栃木県公立小学校校長。
2008年に体育科教科担任として宇都宮大学教育学部附属小学校に赴任。体育方法研究会会長。運動が苦手な子も体育が好きになる授業づくりに取り組む。2018年度から2年間、同校副校長を務める。2020年度から現職。主著『新任教師のしごと 体育科授業の基礎基本』(小学館)。

伸びる教師は明と暗の両方の部分を伝え、伸びない教師は暗の部分のみを伝える

小学校でのカンボジアの子供たち

今から20年前、JICAの教師海外研修に参加し、カンボジアを2週間ほど訪問したことがあります。
授業で、カンボジアの子供たちについて学習したとき、
「豊かな日本で何不自由なく暮らしている自分が、実際に見たこともないカンボジアの子供たちの大変さを伝えることができるのか」
そんな思いが自分の中に湧いてきて、気が付いたら応募していました。
カンボジアでは、日本人教師12名と公立の学校を訪問し、現地の教師と意見交流をしたり、ゴミ処理施設や保健センターを見学したりしました。
現地の学校を訪問したときのことでした。学校に近付くと、スコールの後の水たまりだらけの校庭でサッカーをしている子供たちの姿が見えました。
日本の学校にあるようなゴールはありません。離して置いてあるビーチサンダルの間を抜ければゴールです。水たまりですべり、派手に転んでいる子もいました。ふと、子供たちの足元を見ると全員裸足でした。
校舎は小さな石倉のような建物でした。その中に、50人近くの子供たちが2人で1つの机を使い、肩を寄せ合って授業を受けていました。ノートはなく、石板のようなものに何かを書いていました。どの子も教師を真っすぐ見ているのが印象的でした。教師の言葉を一言も聞き逃さないようにしているのが周りにいた私たちにも伝わってきました。

学校へ行くことが生きる希望

現地の教師から、小学校には入学するけれど、そのうち家の手伝いで学校に行けなくなってしまう子がたくさんいると聞きました。学校に行けなくなってしまった子供たちの多くは、農作業をしたりゴミ山で働いたり、家計を支えるために家の手伝いをさせられているとのことでした。
教師の言葉をあれほどまでに真剣に聞いている理由が分かりました。カンボジアの子供たちにとって、学校に通うことは生きる希望そのものだったのです。

郊外にあるゴミ処理場に行ったときのことでした。
そこは、見渡す限りのゴミの山で、バスを降りた途端、異臭が漂ってきました。水たまりに足を取られながらゴミ山に近付くと、人垣が見えました。小学生からおじいちゃんまで、実に様々な年代の人々がゴミの中から換金できる空き缶を争うように拾っていました。
歩いてゴミ山の奥へと進んでいくと、遠くからこちらへ歩いてくる子供たちが見えました。
幼稚園から小学校低学年くらいの4人組でした。手には、木の枝で作ったゴムでっぽうを持っていました。くつは履いていません。
ガイドを通して子供たちと話したところ、学校に通っていないことが分かりました。
同行していた日本人の教師が聞きました。
「みんなにとって大切なものって何?」
みんな答えは同じでした。
「学校へ行くこと」

イメージ

たくましく生きる子供

この記事をシェアしよう!

フッターです。