【明日の教室セミナー】千葉孝司先生・宇野弘恵先生・堀裕嗣先生「道徳授業づくり」セミナー受講レポート
文/糸井登(「明日の教室」代表、京都女子大学附属小学校副校長)、吉川裕子(立命館小学校教諭)
みなさん、こんにちは。「明日の教室」代表の糸井登です。今回報告するのは、1月11日(土)、京都・山科にある新学社の会議室に北海道から3人の講師(宇野弘恵先生、千葉孝司先生、堀裕嗣先生)をお招きして開催した「生徒指導・生徒支援セミナー」のうち、午前中の「道徳授業づくり」パートの紹介です。
あれは、いつ頃だったか。Facebook上で、堀先生が「千葉孝司先生と2人で生徒指導のセミナーをやろうと思っている。どこか事務局をやってくれるところはないですか」といった内容を書かれていました。それを見た私は、「京都で、『明日の教室セミナー』として実施してもらえませんか」とのメールをお送りしたのです。
ちょっと、そこからのメールのやりとりが面白い(笑)
堀先生:これ、「明日の教室」でやって、人集まりますかね。
私:うーん、それは分からない。ただ、大事な講座だと感じています。
これで、終了。今、読み返しても私らしいなと思っています。でもね、堀先生と千葉先生の生徒指導のセミナーでしょ。そりゃあ、凄いものになること間違いなしじゃないですか。
池田修先生と「明日の教室」を立ち上げた時、セミナーの運営に関して、確認していたことが2点ありました。
・講師は、私たち2人が「この人に登壇いただきたい」と思った一流の方。
・セミナー運営で赤字はいいけど、儲けるようなことはしない。
北海道から2人の講師の方にお越しいただけば、相当なお金が必要となります。でも、そのことはまずは考えない。それが大事なのかどうか、ということだけを考えるのです。
さらに、それから堀さんとのやりとりで、宇野弘恵先生も登壇いただけることになりました。さらに充実した講座になること間違いなしです。
最初の計画では2日間に分けて開催する予定だったのですが、朝から夕方まで行えば一日で詰め込めることが判明し、えいや!と一日セミナーとして実施することになりました。
そして、予想通り、いや、予想以上に素晴らしいセミナーになりました。
今回も受講レポートを書いてくれたのは、吉川裕子先生(立命館小学校)です。どうぞご覧ください。
目次
千葉孝司先生・宇野弘恵先生・堀裕嗣先生セミナーレポート(報告者:吉川裕子)
千葉孝司先生「カウンセリング機能を活かした道徳授業づくり」
まずお一人目の千葉孝司先生は、中学校教師を退職し、いじめ防止や不登校対応に関する啓発活動に取り組んでいらっしゃいます。千葉先生には2本の模擬授業を行っていただきました。
1本目の模擬授業は「自分の考え、自分の目」という授業です。最初の発問で何を喋ってもいい状況を作った上で、4枚の絵を見て自分が飾りたい順に並べ、順位や理由について交流する活動を行います。交流の後、4枚はそれぞれ「通信販売サイトで人気ナンバーワンの絵」「目がよくなる絵」「高校生イラストコンクール1位の絵」「有名な画家が描いた27億円の抽象画」だったことが知らされます。「それを聞いて、飾りたい順番は変わりましたか?」と聞かれると、参加者は話が尽きません。
その後、岡本太郎の「自分のいいと思うものはいいという態度を貫く」という言葉が紹介されました。自分で考えているようで、人の評価を気にして選んだり、人から影響を受けたりしているのではないか、という問いかけが含まれています。「子どもたちは表面的な問いをしていると、こうすべき、こう言うべきだという表面的、表層的なことしか語らない。教科書に書いてあるようなことを正解のように語りがち。国語の授業では、本文の中に『答え』があるかもしれませんが、道徳の授業の『答え』は常に本文ではなく本人の中にあります」と語られました。
2本目は「どうして?」という授業です。最初に泣いている子どもの絵を見て、なぜ泣いているのかを考えました。この絵はバンクシーの作品で、全体像を見ると、子どもはスマホを持って泣いているので、SNSの投稿に反応がなくて泣いているのかな、と推測できます。
千葉先生は「群れをつくって生きる動物にとって、集団の中で自分がどういう存在であるかは重要な問題であり、まわりから注目されないと苦しくなってしまう。人間にとって周囲から自分が認められているかどうかは重要な関心ごとなのです」とお話しされました。そして続けて、SNSで反応が得られなくても気にせずにいられる子どもの画像を並べ、「人は、自分とは全く違うと思うような性質であっても、そのような面を少なからずもっているものです」と語り、自分自身が持つ多面性に目を向けさせます。
そして、『他人からの賞賛や感謝など求める必要はない。自分は世の中に貢献しているという自己満足で十分である』というアドラーの言葉が紹介されました。なるほど、と思いますが、ここでは終わりません。心の中に生まれる反論を放置すると、子どもたちとの距離が広がるそうです。「本当にそんな生き方ができるのでしょうか?」と問いかけると、多くの人は「難しい」と答えます。
続けて「他人の評価を気にせずに生きることは難しい」という前提に立った上でアントニオ・ガウディの建築や生き方が紹介されます。ガウディの建築に住んでみたいと思う人と住みたくないと思う人は、ちょうど半々でした。「言いたいように言わせておけばいい、認めてくれる人が作りたい建物をつくらせてくれる」というガウディの言葉とともに、「誰にでもガウディに似た部分はある、あなたの中のガウディは今のあなたを見てどう思いますか」と「『どうして?』に続く言葉を考えてみましょう」という問いかけで授業が終わりました。自分の考えを話しやすい工夫と、表面で終わらずもう一歩踏み込む発問で、現代の大きな課題である「承認欲求」について考えさせられる授業でした。
宇野弘恵先生「学校あるあるネタを活かした道徳授業」
続く宇野弘恵先生からは、どれも学校で起こりそうな状況の模擬授業を3本体験しました。
1本目は「わたしにできること、わたしのすべきこと」。活動のグループを決める場面で、「男女混ざったほうがいい」という意見と「男女別の仲良しグループがいい」という意見が対立します。「男女混ざったほうがいい」という意見を持っている「私」ですが、ある女子の発言からクラス全体の意見が「男女別の仲良しグループ」側に傾いていきます。「私」は「反対意見を言うと嫌われる」「同調しないと弾かれる」と不安になります。さらに、男女別の仲良しグループで分かれることになったのに、結局、仲の良い子と同じにはなれませんでした。どうしたらよかったのだろう、と考える内容でした。
2本目の模擬授業は、修学旅行のグループ分けの場面。男子15人を3人ずつ5部屋に、女子12人を3人ずつ4部屋に分けます。ただし、仲良しグループの子どもたちが離れないとグループ分けができません。結局、男子も女子もあるグループの1人が譲ることで、何とか決めることができました。
男子のグループでは、仲良しグループから離れた1人の子は寂しい思いをしていました。あとの2人が自分には分からない話をして2人で盛り上がってしまうのです。女子のグループでは、仲良しグループから離れた子にも分かる話題で話してくれるので、嫌な思いをせず、楽しく過ごせました。さて、どうしたらよかったのだろう、と考えます。
3本目は、女子のトラブルをめぐるエピソードです。些細な行き違いからトラブルが起こります。それぞれの目から見た状況が説明され、5人の登場人物の中で「悪いのは誰か」をランキングします。宇野先生は、ランキングにすると話が活性化する良さがあるが、誰が悪いかを追求することで自分のことを棚に上げた悪者探しになってしまう面があるので、「何がトラブルにつながった?」「どうすればよかった?」という問いが良いのではないか、とお話しされます。実際にありそうな具体的な例をもとに、客観的に話し合うことで、どのような行動がトラブルにつながりやすいかを考えることができます。
3つの模擬授業を通して、「考え方を子どもたちと共有したい」と宇野先生は語られました。大切なことは学級の中の一部の人だけが満足するのではなく、みんなが同じぐらいの満足度になることを子どもたちが実感、納得していること。そのために、事前に考え方を共有する必要があると話されました。
現実に起こった問題を題材に授業をすると、「お説教されている」と感じられがちです。事前指導で「これから起こりそうなこと」を子どもたちと共有することで、先生が問題を解決していくのではなく、子どもたちと一緒に学級をつくっていくことができるのではないか、と感じました。
堀裕嗣先生「時代の閉塞感をえぐる道徳授業」
続いて堀裕嗣先生です。1本目は社会的に話題となった事件を題材にした授業です。
マッチングアプリで知り合った男性に恋愛感情を抱かせ、総額1億5000万円の詐欺を行った「頂き女子りりちゃん」の事件と、マッチングアプリで出会った女性から投資詐欺に遭い、保育園のお金に手をつけた男性保育園長による2億7000万円業務上横領事件。どちらも同時期に起こり、1日違いで一審判決が出ました。この事件を、恋愛を軸に考えると、りりちゃんは強者で園長は弱者、社会的地位で比べると園長が強者でりりちゃんが弱者です。DVを受け、小中不登校、専門学校を中退したりりちゃんと、保育園長になるために社会人になってから大学院にまで通った園長は対照的ですが、やっていることには大差がない。それはなぜか、学校教育の意味とは何か、と問われます。
思考力が身についていなかったり、短絡的だったりする子どもたちに対して、このような実例を挙げた授業を行うことは今後重要になるのではないか、と堀先生はお話しされました。そして、ICTを考えて活用できる人もいれば、短絡的に技術を悪用する人も出てくるのではないか。比喩的に言うと、スマホは外付けハードディスクを持つようなものですが、生成AIは外付けOSを持つようなものであり、今後人の在り方や考え方が大きく変わっていくのではないか、という懸念を示されました。
2本目は「もくせいの花」という授業です。日本生命のCMを見比べて時代の変化を考えるというものです。まず、同じ会社のCMを時代ごとに並べて考えるという目の付け所がすごいです。
1970年代から80年代には自転車に乗り世間話をしながらふるさとを回る生命保険の営業職(日生のおばちゃん)が描かれ、90年代から2000年代には肩パットの入ったスーツでビジネスライクに一生懸命元気いっぱいに頑張る姿(ニッセイレディ)、2010年代は契約内容の確認に戸別訪問をする求められる姿(ニッセイトータルパートナー)、そして現在のCMからは営業職に現場の裁量がないことが伺えます。続けて見ると、保険の営業職に求められるものが、時代によって大きく変わってきたことが分かります。
生命保険の営業と教員の仕事には重なり合うところもあります。時代が変化していく中で、現在は現場の教員が自分の裁量で判断できる範囲が狭くなり、閉塞感へとつながっている、とお話しされました。納得感とともに、自分はどうすればいいのだろう、と戸惑います。
最後は「Gianism(ジャイアニズム)」という授業。まずドラえもんの登場人物ジャイアンの「お前のものは俺のもの、俺のものもお前のもの」という有名なセリフの使われた2つの場面を比べ、同じ言葉でも背景、状況によってとらえ方が違うことを確認します。帯広で発行されている「サイロ」という児童詩を紹介する冊子から、「お母さんのものはお母さんのもの、お父さんのものはお母さんもの」と言って大笑いする家族の詩、同じ子の書いたお母さんが亡くなったという詩を紹介されました。2つの詩を読み比べるだけで、「お母さんのものは…」というセリフは闘病中の家族の一コマであっただろうことが分かり、言葉の背景に思いを馳せます。
この2つの詩を見つけること、ジャイアンの言葉とつなげること、私には思いもつきません。この授業を受けると、子どもたちの言葉の受け取り方が変わると感じました。堀先生の発想の大胆さと授業のち密さに驚く時間でした。
質疑応答
最後は3人の先生方に、会場からの質問にお答えいただきました。
「将来犯罪に巻き込まれないか心配な子がいる。教師ができることはどんなことでしょうか」という質問に、千葉先生は「世の中の恐ろしさばかり伝えると外に出られなくなる。意識してその子の価値を伝え、恐ろしさの前に世の中には素晴らしいことがたくさんあると伝える。自分に自信があって世界が素晴らしいと思えると、誰かに会いに行きたくなる。それができるのが道徳の授業です」というお答えでした。
宇野先生は、「いつも心がけていることは「いいよ」っていうこと。教えたり、厳しく叱ったりすることも含めて、その子が存在していることが「いいよ」っていうことを伝える。そのときそのときの対応は違っても、受け止めることだと思います」と語られました。
堀先生は、「世の中には、無条件に自分を愛してくれる人間がいるのだと思わせること。それができるのは義務教育まで。中学校3年生までに、能力、資質、性質などに関係なく、自分を無条件に愛してくれた存在の記憶を持つことができれば、根幹のところで踏みとどまれると信じています」とお話しされました。
また、若手の成長のステップについての質問には、千葉先生は、「目に見えない部分を見ることを勉強していくのも大事。なぜこの子はこういうことをするのか、そこに至った経緯は何かを考えること。そうせざるを得ない悲しみや苦しみがある、という前提で見ていくと、何か違うものが見えてきたり、言葉が通じるようになったりしてくる」とお話しされました。
宇野先生は、「マニュアルは方法だと受け止められますが、方法をいくら試しても駄目で、その方法の下にどういう論があるかを見る力をつけることが必要ではないか。教師の満足を得るための方法なのか、子供をどう育てたいかの先にある方法なのかを、自分の教育観とともに、見る目を育てていくといいのではないか」とご自身の体験をもとに話してくださいました。
堀先生は、「『なぜ』を考える発想に変えていくこと。この子が立ち歩かないようになるいい方法はないかという発想を、なぜこの子は立ち歩くんだろうと変えるだけで、背景に目が向く。保護者と話してみようか、本人と面談してみようかと変わっていく。 もう一つは、本を読む、仲間と語り合う、セミナーや研修に参加するなどで、今の自分の力量が20だとすると、25にしていくことを徹底して考える。そして30にして、40にして、と積み上げていくうちにマニュアルを機能させる力が変わってくる」と励ましてくださいました。質疑応答も深い思考が促される時間でした。
全体を通して、具体的な道徳授業から、生徒指導、生徒支援を支える側面について考えることができました。教師の居方・あり方について教えていただいたように思います。3人の先生方の思考の深さに圧倒されました。私自身も子どもたちのことをよく見て、考えて、実践を重ねていきたいです。(吉川)
※明日の教室セミナーの予定についてはコチラをご覧ください >>公式HP
堀裕嗣先生の連載を当サイトでお読みいただけます:
・堀裕嗣なら、ここまでやる!国語科の教材研究と授業デザイン
・堀裕嗣&北海道アベンジャーズのシンクロ道徳の現在形