川上康則先生講演|「こうあるべきの呪縛」に気づいて〜学校を変えるために必要な常識の転換@北の教育文化フェスティバル
2024年8月10日に札幌市で開催された「北の教育文化フェスティバル」での、川上康則先生による特別支援教育についての講演の後半です。今回は教師の職場環境の話から、意識の持ち方についてお話しいただきました。「そろえる・整える」学校文化から、差異を前提にした文化への転換を提言しています。
取材・構成/村岡明
前半のお話はこちら:
特別支援教育にできること|杉並区立済美養護学校主任教諭 川上康則先生
目次
教師の仕事は「感情労働」
教育現場は「感情労働」の職場です。
教師は日々、子供たちとの関わりだけでなく、保護者との関係づくり、そして職員室での人間関係など、複数の層での感情的な関わりを持つことが求められます。こうした多層的な感情労働の現場では、感情の抑制や忍耐、適度な緊張感が常に必要とされます。
感情労働では、「気持ちの余白」が大切です。子供と向き合う場合であれば、経験によってある程度、気持ちの余白をコントロールできる教師も多いことでしょう。しかし、職員室内の人間関係に関する気持ちの余白を確保することは、どの世代の教師でも困難を感じる課題となっています。
教職を選ぶ人の特徴と潜在的な課題
教職に就く人々には、いくつかの特徴が見られます。まず、比較的真面目な人が多く、人に何かを教えることに喜びを感じる傾向があります。学校への適応度の高い人が多いという特徴も見られます。一見、これらの特徴は教職に適していると思われるかもしれません。
しかし、これらの特徴は同時に、教育現場での課題を生む要因にもなりえます。一般に次のような傾向があります。
- 真面目すぎるがゆえに、「融通が利かない」「善意の押し付けに気付けない」などの傾向
- 教えるのが好きな一方で、人の話は聞かない傾向
- 学校適応度が高いため、学校に馴染めない子供の気持ちがつかめない傾向
- 正直で裏表がない人が多い一方、「話を自分に都合が良いように解釈する」「思っていることをストレートに言い放つ」などの傾向
- チームワークよりも個人での活動を好み、協働・連携・協力には向かない人がいる傾向
これらの特徴は、教師個人の特徴というよりも、この職業を選択した人々に共通して見られる傾向です。これは善いことでも悪いことでもなく、特徴として理解する必要があります。
職員室の人間関係での軋轢
職員室での人間関係は、教育現場における感情労働を考える上で重要な要素の一つです。教師同士の関係性は、複雑で繊細なものとなることが多々あります。これは、教師としての価値観や信念に深く関わるものである場合が多いからです。
職員室での人間関係で生じやすい軋轢には、以下のようなものが挙げられます。
- 教育方針や指導方法の違い
- 業務負担の偏りに対する不満
- 個々の教育観や指導観のズレ
- コミュニケーションスタイルの違い
- 責任の所在をめぐる緊張関係
これらに対処するためには、まず自分の期待値を適切なレベルに調整することが重要です。 周囲の教師に対して過度な期待を抱くことは、自分の気持ちの余裕を奪うことになってしまいます。
「余白」が失われることの問題
通常の学級でも支援を必要とする子供が多数いる時代です。特別支援教育は、教師の感情労働の側面にどのように影響するかを整理してみます。特別な支援を必要とする子供たちとの関わりでは、教師の感情も大きく揺さぶられがちです。
とくに気持ちの余白がなくなっている状況では、以下のような問題が起こりやすい傾向があります。
- 問題の早期解決を求めすぎる傾向
- 「許す・許さない」「認める・認めない」といった二項対立的な思考への偏り
- 子供の行動の背景に気持ちを回せなくなる
- 支援方法の硬直化
- チーム内での連携の難しさ
気持ちの余白を作るための具体的な方策
気持ちの余白を確保するためには、以下のような対策が考えられます。
ネガティブ・ケイパビリティの醸成
ネガティブ・ケイパビリティとは、不確実性や曖昧さ、疑問、矛盾、答えのない状況に耐え、受け入れる能力です。特別支援教育では、とくに重要とされます。この育成のためには、以下のような習慣が求められます。
- 目の前の状況を「観察」する時間を意識的に持つ
- 即座の解決を求めず、状況の推移を見守る姿勢を保つ
- 自分の感情や思考のパターンを客観的に観察する
- 不確実性を受け入れる心の余裕を育む
正しい割り切りと使命感のコントロール
教育現場での様々な課題に対して、適切な「割り切り」を持つことは重要です。これは諦めるとか、放棄するといったことではありません。あくまで気持ちの余白を作るための「割り切り」です。そのためには、以下のような視点が有効です。
- 成長には個別の時間軸があることを理解する
- すべての課題を自分一人で解決しようとしない
- 完璧を求めない
- 周囲の視線を過度に意識しないようにする
さらに、使命感の正しいコントロールも重要です。もちろん、教師としての使命感は必要ですが、それが大人都合で一方的なものだと、お互いに苦しくなります。正しいコントロールのためには、次のようなことを実践してみましょう。
- 「今のうちになんとかしなければ」という焦りを意識的に手放す
- 長期的な視点で子供の成長を認識
- 自分の限界を認識し、受け入れる
- チーム全体での支援を意識する
「正義のフィルター構造」を脱する
教師の心の中には、「正義のフィルター構造」とも言えるような心理的メカニズムが存在します。
本当は「時間がないという切迫感」「責任感からくる重圧」「周囲の期待に対する不安」を持っているのに、職場のコミュニケーション不足や協力体制のない組織風土などにより、「私の感情は正しい」「私の指導は間違っていない」と考えてしまう、いわば「正義フィルター」が生成されてしまいます。このフィルターを通すと、自分の感情が、子供への怒りやいらだちに変換されてしまうのです。
このフィルターは、心の中の枠、つまり「学校とはこういうもの」「○年生とはこういう姿」という思い込みと言うこともできます。だからこそ、この枠からはみ出す姿に対して、心が波立ち、余白がなくなってしまうのです。
この呪縛から抜け出すためには、「とらわれない、とらわれない」と自分に言い聞かせましょう。そして「とらわれなくていい、大丈夫」と互いに支え合いましょう。
ハームフルな関わりをしない
「ハームフル(harmful)」とは、「有害な」「悪影響を及ぼす」という意味の言葉です。教師は様々な場面において、ハームフルな働きかけをしてしまいます。
- 質問形式の問い詰め
- 脅しで動かそうとする
- 下学年の子と比較した言い方
- 否定的な感情の吐き出し
- 冷やかし・からかい・茶化し
おそらく誰もが、一度は経験したことがあるでしょう。そして、これに教育的効果が無いことも知っています。それなのになぜやってしまうかというと、次のような原因が考えられます。
- 大人自身の不安、焦り、苦しさを早く手放したいという意識がある
- 大人が、自分自身の感情に気づけていない
- ハームフルな対応が、悪しき習慣になってしまっている
これらの要素を広く、意識的にコントロールすることが必要です。
「こうあるべきの呪縛」に気づく
今の学校には「こうあるべきの呪縛」とも言うべき雰囲気が漂っています。「こうあるべき」から外れた行動を叱ったり責めたりする前に、大人側の枠組みが子供の実態に合っていないことに気づく必要があります。そして「こうあるべき」に傷つけられた大人・子供の双方へのケア(手当て・いたわり)のきっかけにしていきましょう。
子供が主体的に生きることのできる場に
不登校も「こうあるべき」に耐えきれなくなった結果の行動かもしれません。学校復帰だけを目指すのではなく、多様な学びの場で成長していければよいのです。この考えは徐々に普及してきており、現在の不登校対策は、「居場所(サードプレイス)作り」という流れが中心です。多くの自治体が、居場所作りのために予算を投じています。
ところが、「セカンドプレイス」である学校や教室は、心理的安全性の検証が十分ではありません。相変わらず、子供は「学ばせる・直す・正す」対象と考える大人が少なくないのではないでしょうか。
子供は、自分の人生を主体的に生きる存在です。そのためには、枠組みを自分で決められる必要があります。
- 何をする必要があるのか自分で決められる
- 自分の意志や判断に基づいて行動できる
- 「しない・やらない」も選択肢の一つとして認められる
これまでの学校文化は、「子供たちがそろうこと、整うことが大事」というものでした。これを残したまま「子供の主体性を尊重」というのは難しいでしょう。揃えるのは表層ではなく内面です。
- 自分らしさで過ごせる安心感をそろえる
- 違う価値観の人とも同じ場を共有できる「共生の理念」をそろえる
- クラスのために少しずつ力を持ち寄るという意識をそろえる
子供たちがそろった状態でいることを「良い指導の成果」と考える文化は終わりにしましょう。これからは、異質さや違和感と「共存」することが求められます。「個々に異なる関わりを行う」ということが常識になるはずです。
こうした常識の転換を、「時代が変わったから仕方なくそうする」のではいけません。みんなが幸せになるために、差異を認め、多様な関わりを認める学校にしていきましょう。