インタビュー/木村泰子さん|「働き方改革」の本来の目的を問い直し、職員室の改革から始めよう【今こそ問い直す!先生を幸せにする「働き方改革」とは①】
全国の学校で、今進められている「働き方改革」。ともすると時短ばかりが強調されがちですが、本当の意味で教師の仕事にやりがいや楽しさを感じられる改革になっているのでしょうか。学校教育のオピニオンリーダーの方々に改めて「働き方改革」の本質を語っていただきながら、子供も先生も皆が幸せになる「これからの教師の働き方」について考えていきます。連載第1回は、大阪市立大空小学校初代校長の木村泰子先生にお話を伺いました。
〈プロフィール〉
木村泰子(きむら・やすこ)
大阪市立大空小学校初代校長。大阪府生まれ。「すべての子供の学習権を保障する」学校づくりに情熱を注ぎ、支援を要すると言われる子供たちも同じ場でともに学び、育ち合う教育を具現化した。45年間の教職生活を経て2015年に退職。現在は全国各地で講演活動を行う。「『みんなの学校』が教えてくれたこと」(小学館)など著書多数。
目次
「働き方改革」によって学校から奪われているもの
今、全国の学校では「働き方改革」という名のもとで、時短(勤務時間の短縮)が盛んに行われています。それにより、学校から大事なものが奪われている事実に気づく必要があります。
まず、子供の育ちです。コロナ禍の後、運動会を午前中で終わらせるなど、行事の時間を短縮したり、行事そのものを廃止したりする学校が増えました。「『働き方改革』だからこの行事はやめよう」「授業以外のことは先生が大変だからやめよう」となって、多くの教員は毎日淡々と授業だけをしてきました。
その結果、今の職員室には三つの悪があります。それは①ヒエラルキー、②前例踏襲、③同調圧力です。この三つはこれまで隠されていたのですが、「働き方改革」という言い訳ができたことによって姿を表したのです。これらの三つの空気を大人がつくりだすと、子供もその空気の中にはめ込まれます。そんな環境では子供は育ちません。
結果として、全国のどの地域でも、子供のいじめ、不登校、自殺の件数が過去最多です。調査をやればやるほど、毎年過去最多の記録が更新されています。学校は子供が「働き方改革」のあおりを食っていることに、気づかなければいけないと思います。
このままいくと10年後の日本社会がどうなるかを考えてみてほしいのです。今の学校現場で育った子供たちが大人になって、どんな社会をつくると思いますか。きっと面倒なことは何もしない、可もなく不可もない、そんな社会ができあがるでしょう。
さらに、時短は教員たちの活力を奪っています。例えば、子供に寄り添っている若い教員が、運動会は1年に1回しかないから、地域の人と一緒に貴重な学びの場をつくりたい、と提案したとします。そうすると「『働き方改革』だからやめましょう。面倒だから何もしなくていい。何もしなければ保護者は文句を言ってこないから」という声が管理職やベテランから上がります。そうなったら、若い教員は何も言えないし、何もできなくなります。そうやって「働き方改革」は職員室の教員同士を分断しているのです。
ここ数年で、教員の仕事に魅力を感じなくなり、学校を辞めて自分でフリースクールをつくった人が全国に何人も出てきています。私のセミナーに来て、「学校はあきらめて、自分でフリースクールを立ち上げました」と話していくのです。その人たちは子供にとっては「いてほしい先生」なのですが、「早く帰れ」と言われ、やりたいことができない学校にはいてもしょうがないと思ってしまうのでしょう。
このように、今、多くの学校で行われている「働き方改革」のせいで、いじめ、不登校、自殺の件数は増え続け、若い教員はやる気をなくし、学校は貴重な人材を失っています。だからこそ、「働き方改革」をいったん止めなければいけないと思います。
「働き方改革」の目的は「教員が楽になること」ではない
そのうえで、教員の「働き方改革」について改めて考えてみる必要があります。その際に絶対に外してはいけないのは、その目的です。「働き方改革」はあくまでも手段であって目的ではありません。しかし、目的になってしまっている学校が多いのではないでしょうか。
では、「働き方改革」の本来の目的は何だと思われますか。しかも、企業でも病院でもなく、未来の社会をつくる子供たちが学んでいる学校で、教員の「働き方改革」をする目的は何でしょう?
多くのメディア等では、その目的は「先生たちが楽になること」だと捉えていますが、それは違うと思います。「働き方改革」の目的は、教員が楽になることではなく、「誰も取り残さない、子供のための学校をつくること」です。つまり、いじめ0、不登校0、自殺0の、すべての子供が育つ学校をつくるために、教員の働き方を改革するのです。
学校が「働き方改革」を進める理由の一つとして、教員のなり手不足の解消があります。そのために中央教育審議会の特別部会が、教職調整額を現在の4%から10%以上にする案を了承し、文部科学省は2025年の通常国会で教職員給与特別措置法(給特法)の改正案を提出する方針だそうです。教職調整額を4%から10%以上にして待遇を改善するから、どんどん教員になってください、ということのようです。
これに関しては「先生の仕事をなめないでほしい」と言いたいです。教職調整額が少々上がったから、「じゃあ先生になります」と、学生たちは思うでしょうか。
大事なのは、教員が楽しく働けるか、ということです。教員が毎朝学校へ出勤し、 勤務を終えて家に帰る時間が少々遅くなろうと、働くことが楽しかったら、教員は毎日生き生きと働きます。もちろん給料は、下がるより上がった方がいいに決まっていますが、給料が多少上がったら、それで教員の仕事が楽しくなりますか? ならないと思います。
では、どうしたら教員は楽しく働けるのかというと、「すべての子供が育っている事実があれば、先生は楽しい」のです。
例えば、子供たちがみんな学校に来て、ありのままの自分を出しながら過ごし、毎日トラブルが起きても、それによって子供同士がつながり、みんなが納得して「じゃあ明日」と言って家に帰っていきます。納得して家に帰れば、子供は学校でのストレスで保護者に当たり散らすことはないので、放課後、保護者から電話がかかってくることはありません。そして、次の日、子供がみんな元気に「おはよう」と言って学校にやってくる、そんな学校現場に変えることが「働き方改革」の目的です。
大空小の「働き方改革」、内容を決めるのは教員自身
本来の目的を踏まえ、学校は何をすればいいでしょう。ここからは校長時代に大空小学校で行った「働き方改革」をご紹介します。
まず、大空小では、「誰も取り残さない、子供のための学校をつくる」という目的に教員全員が合意しました。そして、その目的を達成するために、教員自身が「今の自分たちをどう変えたらいいだろうか」と考えることから、「働き方改革」をスタートさせました。
「働き方改革」の手段を決めるときに、大事なのは校長が決めないことです。今はもう、校長が上から目線でリーダーシップを発揮すれば学校が変わる時代ではありません。にもかかわらず、「校長のリーダーシップで」と言われるから、困った校長は「何もしなくてよい。何もしなければ誰にも文句は言われない」と考えるのです。教員の働き方を問い直すのは、文部科学省でも教育委員会でも校長でもありません。決めるのは教員自身です。
大空小では、「すべての子供が安心して学べる学校にするために、あなたは教員として何をしますか? そのために何を捨てればいいと思いますか? 自分の考えを書いてください」と問いかけ、全員が自分の考えを書きました。
そして、管理職は個人名を一切出さず、語尾まで一字一句変えず、全員の言葉を集めて一覧表を作りました。それをみんなで見ながら、「誰も取り残さない、子供のための学校をつくるために、みんなが挙げてくれた業務の中でどれを残す? どれを捨てる?」とさらに問いかけ、みんなで対話を始めて、一つ一つ検討していったのです。
多数決で決めることはしませんでした。多数決にすると、一部の人しか発言せず、何も言えない人が出てくるからです。「多数決で決まったから、みんなでこれをやりましょう」と言われても、少数側になった教員は、「なんでやりたくないことをやらないといけないのか」と思うでしょう。だからこそ、多数決ではなく対話をして、全員が合意する必要があります。
そうやって、大空小では教員が楽になるためにではなく、誰も取り残さない、子供のための学校をつくるために、たくさんのものを捨てました。その中から、今回は二つご紹介します。
大空小が捨てたもの①「先生が主語の授業」
大空小が捨てたものの一つ目は、「先生が主語の授業」です。文部科学省は授業には手をつけず、それ以外の部分で「働き方改革」を進めようとしていますが、これは教員という仕事の特性を理解していない人たちの発想でしょう。授業は、子供が学校で過ごす時間の8割を占めるのですから、子供のための学校をつくろうと思ったら、授業観を転換することこそ「働き方改革」につながります。
そのために考えなければならないのは、そもそも「よい授業」とは何かです。かつては、教員が徹底的に教材研究をして、授業の導入からまとめまで子供を導く、そんな授業がよい授業だと思われてきました。「先生が教える授業」、つまり、「先生が主語の授業」がよい授業だったのです。
しかし、今の学習指導要領を見ると、社会の変化が激しく、未来の予測が困難な時代の中で、社会で生きて働く学力を子供たちに培わなければならないと書いてあります。かつてのように先生の指示を待つ従順な子供たちではなく、多様な他者と協働しながら、自分で考えて動ける子供たちを育てようとしています。社会のニーズが変わったのです。だからこそ、それに合わせて授業観を転換する必要があります。
学習指導要領には「主体的・対話的で深い学び」をしましょう、と書いてあります。主体的とは、子供が考え、行動することです。対話的とは、常に自分の言葉で本音を語り合う子供同士の関係性をつくることです。深い学びとは、毎日毎日、子供の中に学んだことが積み重なり、社会で使える力になっていくことです。この部分さえブレなければいいのです。
そう考えると、子供たちに対して「今日はこの学習をします。教科書の〇〇ページを開いて。できた人は手を挙げて」などという言葉は必要なくなります。「今日の課題はこれだけど、みんなはどうすればいいと思う?」と教員が問いかけ、子供たちが考えて「こうしたい」と様々なアイデアを出します。教員が「分かった。じゃあそれでやってみよう」と同意し、子供たちが動き出します。こうすれば、誰でも「子供が主語の授業」ができます。分からないことがある子供がいたら、「ここが分からないなら教えるから、こっちに来て」「これを使ってみて」などと言って立ち歩くなど、子供同士で学び合う、そんな授業をすればいいのです。
「子供が主役の授業」へと変えていくために
今現在、不登校の児童生徒が約30万人という現実を突きつけられているのに、学校ではなぜこれまでと同様に、学級経営、教材研究、研究授業……などを熱心に行っているのでしょう。これらはどれも「先生が主語の授業」に対して効果があるとされてきたことです。
優れた授業をした教員がスーパーティーチャーとして表彰されるような、教員が主語の時代は終わりました。今は子供が主語です。誰も取り残さない、子供のための学校にふさわしい授業を一からつくっていくために、教員たちが手をつなぐのです。「子供が主語の授業」に必要なものは何かを考えるところから始めて、他者の力を活用しながら、チームで新しいものを生み出していきましょう。といっても、ベテランは、これまで自分が主語の授業をしてきましたから、どうしたらいいのかすぐには分からないでしょう。若い教員も分からないと思います。それでいいのです。みんな分からないから、どうすればいいのかをみんなで一緒に考えていくのです。
当然、授業観が変われば授業の準備の仕方も変わります。若い教員が、毎日子供が帰ってから夜遅くまで必死に教材研究をする必要はなくなります。そもそもそこまで教材研究をしないとできないような授業を要求するからいけないのです。
「子供が主役の授業」がうまくできなくて悩んでいた若い教員に、私は「教材研究はしなくてよい」とアドバイスをしたことがあります。教材研究をしないで授業をすれば、子供に委ねることができるからです。
授業の主語は子供です。課題とまとめがブレなければいいのです。「今日の課題はこれです。じゃあみんなどうぞ」と教員が言えば、子供たち同士が学び合っていく、そんな授業へと変えていきましょう。
ただし、教員は何も準備をしないわけではありません。職員室で「明日、この授業はどうしたらいいですか」と若い教員が声を上げたら、ベテランが「この教材があるから使って」などと言い、それぞれがもっているスキルを分け合うことが重要です。
大空小が捨てたもの②学級担任制
大空小が捨てたものの二つ目は、学級担任制です。そもそも一人の教員が毎日1時間目から6時間目まで、自分のクラスの授業を行うのはかなりの負担になります。そこで大空小では学級担任制からチーム担当制へとシステムを変えました。例えば、1、2年は4学級あり、低学年チームのメンバーは5人です。年度の最初に、この5人でどの教科を担当するかを決めて、4学級の授業をします。
教科を決めるときは、若い教員から選んでいきます。新任教員がいたら、「あなたはどの教科の授業を担当したい?」と最初に聞きます。その教員が「私は算数が得意だから算数を担当したいです」と言ったら、ベテランが算数を担当したかったとしても譲ります。そうやって、若い教員は得意な算数で「子供が主語の授業」をするための準備を楽しくやり、苦手な教科は他の先生に任せるのです。
チーム担当制のよいところは、学級が荒れないことです。例えば、若い教員が1組の算数の授業をしましたが、子供が騒いで授業が成立しなかったとします。それでも、同じチームの他の4人の先生が1組の他の教科の授業を担当しますから、次の時間のベテランの国語の授業では、「子供が主役の授業」ができます。チーム担当制に変えてから、学級崩壊は一度もありませんでした。
これからの教員は学校全体を考える必要がある
最近では教員の負担軽減のため、教科担任制を採用する学校が増えています。しかし、まだ多くの学校は学級担任制のままです。それは反対する人たちがいるからでしょう。
例えば、学級経営がばっちりできるベテランのいわゆる「スーパーティーチャー」たちです。彼らは「学級経営をやりたくて教員になったのに、なぜ自分のクラスだけではなくて、他のクラスの子供たちも見なくてはならないのだ」と主張し、学級担任制を維持しようとします。
このタイプの先生には、こんなふうに話をしました。
私「A先生のクラスの子供は、担任がA先生でよかった、楽しいと言っていますね。でも、隣のクラスの子供たちは、A先生のクラスになりたかったと思い、楽しくない毎日を送っています。もしもあなたの子供が、隣のクラスにいたらどうします?」
A先生「僕のクラスに来てほしいです」
私「そうでしょう? なんとかしてあげたいでしょう。誰も取り残さない、子供のための学校をつくるのですから、自分のクラスのことだけ考えるのではなく、学校づくりをしてください。すべての子供に授業をして、俺の学校づくりはこうだと、みんなに見せてください」
今は学級経営だけを個々の教員が考えていればいい時代ではないのです。学校の様々な課題を解決していくには、職員室のチーム力が必要であり、チーム力がなかったら1人の子供の命も守れないことにみんなが合意し、新任もベテランも、みんなが主体的に学校全体のことを考えていく必要があります。
まずは「職員室改革」から始めよう
教員が一人で仕事をしないで、できないことは他者の力を活用してチームで取り組むことが「働き方改革」のポイントなのです。だからこそ、「働き方改革」は職員室の改革から始めるといいと思います。
その際の校長の役目は人と人をつなぐコーディネーターです。校長がすべきことは指示、号令、命令ではなく、教員に問いかけをすることです。「どう?」「大丈夫?」「これ、どうしたらいいと思う?」などの声をかければ、相手の声を聞けます。そうやって校長が教員に問いかけていけば、職員室には「問いかけの空気」がまん延しますから、教員は教室で子供たちに対しても指示や命令ではなく、問いかけをするようになり、学校の当たり前が変わっていくのです。
「もしも先生方が主体的になったら、私はA案がいいと思う、私はB案がいいと思う、というふうに意見が分かれて収拾がつかなくなるのでは」と、これまで多くの教員は思ってきたと思うのです。そういうときこそ、対話をするのです。
今、みなさんの職員室では、どれだけ対話が尊重されているでしょうか。声が大きい教員だけが発言し、若い教員たちは黙ってしまっていませんか。
職員室で対話が行われ、当たり前のようにお互いの違いを尊重し合えるようになれば、 ベテランであろうが若者であろうが、対等な学び合う関係性ができます。まずは職員室から変えていきましょう。
最後に、各学校の「働き方改革」がうまくいっているかどうかを評価するときに、現在は時短の実現度合いが数値で判断されると思うのですが、そこは変えたほうがいいと思います。例えば、「今の職場で働くことは楽しいですか?」と問い、一人一人の教員が学校で働いていることを「楽しい」と感じているかどうかによって評価すればいいのです。
インタビュー・文/林孝美 イラスト/池和子(イラストメーカーズ)