小学校から特別支援学級をなくしたら①

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持続可能で誰一人取り残されない社会。それは我々大人にとっての課題であり、次代をつくる子どもたちとも共有していきたい概念です。これを学校づくりに落とし込んだらどうなるだろう。どんな学校の姿が見えてくるんだろう。宮岡愛子先生の言葉に耳を傾けてみませんか? 木村泰子先生に師事し、現在は「みんなの学校マイスター」として講演活動や各校の支援で大活躍中です。 

【連載】大切なあなたへ花束を #05

執筆/みんなの学校マイスター・宮岡愛子

どうして、違う教室に行くん?

あるとき、あなたは子どもから聞かれました。
「国語や算数になったら、どうして、〇〇さんは違う教室に行くん?」
違う教室へ行って学んでいる子どもは、特別支援学級に在籍しており、発達障害がありました。ある特定の教科の時間になると、特別支援学級に行って勉強をしているのです。
その子が教室を出るとき、「行ってきます」と伝え、まわりの子どもは「行ってらっしゃい」と言う。そんな風景が毎日のように繰り返されていました。きっと、それを不思議に思ったのでしょう。
あなたなら、何と答えますか?

私は、この話を聞いたとき、驚きと共に嬉しさを感じました。ふだん一緒にいる友達なのに、何時間かだけは、自分と同じ教室ではなく、違うところで勉強をする。
どうして? なんでだろう?
と不思議に思う素直な気持ち。
それと同時に私は、特別支援教室で勉強している子どもの方も、本当はみんなと同じ教室で勉強したいのではないだろうか?「行かなあかん」と思っているから、行くのではないか? と考えました。
そこで私は、特別支援学級に行く子に聞いてみました。
「なんで違う教室で国語や算数を勉強するんやと思う?」
と。そしたら、その子は「校長先生は何を言ってるんや?」と言う顔をして、
「それは、時間割で決まっているからやん」
と答えました。その子にとっては、そういうものだ、決まりごとだ、と受け止めていたのです。
「教室にずっといたくないの?」
と私が聞いたら、
「わからへん」
と答えました。

みんながいる教室はいつもいつも楽しいことばかりではありません。時にはしんどいこともあるでしょう。勉強で難しいこともあるでしょう。
でも、そんな困りごとや分からないことを、自分なりの言葉で伝え、友だちがサポートしてくれ、解決に向かう。困ったことがあったら「助けて」と言うことができるのも、それを受けて自分ができることをするのも、どちらも社会で生きていくうえで必要な力です。
この力をどの子も身につけられるようにすることこそ、小学校の使命ではないでしょうか。

ですから、初めから違う教室へ行く、という決まりごとを作るのはどうなのか、と悩みました。
「違いがあるのが当たり前」などと言いながら、子どもたちそれぞれの違いで分けて差別しているのは誰?
それは、学校の責任者である校長の私ではないのか。私が差別を作っているのだと思いました。
その事実を目の当たりにし、愕然となりました。

その頃、私が務めていた学校には、5年生に「重度」と言われる子どもが何人もいました。
その子たちは、あと1年もすれば卒業です。
もう1年だけであれば、今のような特別支援学級を中心に、必要な時間は通常の教室から抜き出したり、朝の会も特別支援学級でやったりして、これまで通り特別支援学級で学ぶ体制で行くのが誰にとっても安心なのではないか、と考えました。
しかし、その一方で、来年度は重度ではないものの、発達障害の子どもたちが複数人、1年生として入学してきます。その子たちにとっては、最初からみんなと同じ教室で共に学び、共に育ち、共に生きる教育を実践していくことが大切ではないだろうか。そう考える自分がいました。
そして5年生の子たちに対して、
「重度やから無理や」
「あと1年なら…」
と考えていた自分が恥ずかしくなりました。
また、他の学年にも、何時間か特別支援学級へ抜き出されるために、通常の教室に行きにくくなっている子どももいました。
私は決心しました。特別支援学級を事実上無くしていこうと。

そこで、理念として「すべての子どもを多方面から見つめる」ということを掲げました。今や多様な子どもたちが教室にいます。その多様な子どもたちを、一人の教員が見ることは不可能です。いろいろな子どもを、たくさんの目で見ていくことが必要なのです。
では具体的にどうするか? 学年チーム担当制を取り入れました。
2クラス以上学級がある場合は、学級数プラス1の担任数で学年をつくります。
1クラスしかないときは、そのクラスに2人が入って学年担当とし、さらに低学年・中学年・高学年の各担任でチームになる、チーム担当制としました。
そうすることで、教室には、複数の教員が入ることになりました。いわゆる学級担任制は無くし、学年チーム担当制をつくっていったのです。

【チーム編成表】

*1 サポーターは教職を目指す学生や地域住民の方。*2 学校司書は週1日。 *3 スクールカウンセラーは2週に1回。*4学びコラボレーターは週に2回。

これにより、教室で授業を進めていく教員と配慮を要する子どもにつく教員とで学級をつくっていくことになりました。そして、どの子も教室で学ぶことを大前提としたのです。
そうは言っても、教員の数には限りがあります。支援を要する子どもが多いクラスには複数の教員をつけ、それ以外のクラスでは教員数を減らすなど、クラス担当と支援担当に柔軟性をもたせるようにしました。
授業は、それぞれの教員の得意なことや強みを生かし、教科担当制や交換授業を取り入れました。

1年生は、どの子もすんなり教室で学ぶことができました。なぜなら、幼稚園や保育園、子ども園はごちゃまぜが当たり前だからです。
でも小学校に入学する前に、配慮を要する子どもは、通常の学級にするか、特別支援学級にするかを選ばないといけないことになっています。保護者の気持ちはとてもゆれることでしょう。配慮を要する子どもは、通常の教室では立ち歩いたり、教室から出ていったりすることもたくさんありますが、一緒に学ぶことからスタートできたのは大きかったです。この1年生でも、国語と算数では教える先生が代わりました。いろいろな先生と出会うのは子どもたちにとって、新鮮なことでした。

その一方で、6年生の保護者は、今までのやり方とは大きく異なったので、戸惑いは大きかったです。
「みんなと同じ教室にいることに意味があるのですか?」
「全く分からない学習を聞いているのはしんどいのではないですか?」
「家でもすぐに声を出すので、ほかの子どものじゃまになっているのではないですか?」
と不安の声があがりました。不安があって当たり前です。
私は、これからの社会で育つ子どもたちには、共に学び、共に育ち、共に生きることがいかに必要であるかを話していきました。けれども、最初のうちは、なかなか伝わりませんでした。

筆者が、小学校児童の全保護者に送った手紙

また、思いのほか、教員からもたくさんの声があがりました。
「これって、本当に子どものためになっているのでしょうか?」
「特別支援学級を希望して子どもを入れた保護者もいます」
「教室にいることが、その子のストレスになっていませんか?」
「配慮を要する子どもをサポーターにまかせきりでいいのですか」
などなどです。教職員も初めてのことで不安があったのは事実です。
しかし、「すべての子どもを多方面から見つめる」との理念を掲げ、子どもたち全員が共に学ぶことからスタートしたことが大きく、教員たちの協力体制は、少しずつですが確実に、できることから整っていきました。

10年後、20年後の社会を生きる子どもたちです。どの子も等しく大切な命であり、一人の人間です。困っていたら、サポートをするのは当たり前。「手伝って、助けて」と声をあげていいのです。自分とは違うから排除をする、という考えは絶対に持ってほしくはない。そんな考えですすめていきました。

イラスト/フジコ


宮岡愛子(みやおか・あいこ)
みんなの学校マイスター
私立の小学校教員として教職をスタートするが、後に大阪市の教員となり、38年間務める。教員時代に木村泰子氏と出会い、その後、木村氏の「みんなの学校」に学ぶ。大阪市小学校の校長としての9年間は「すべての子どもの学習権を保障する」学校づくりに取り組んだ。現在は、「みんなの学校マイスター」として活動している。


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