「授業中に立ち歩く子ども」は大問題? いえいえ、あなたにとって、教育観を変える大チャンスです
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- 大切なあなたへ花束を


クラスで授業中に、じっと座っていられずに立ち歩く子ども。皆さんも経験がおありだと思います。こうした子どもたちにどう対応すればいいのかと、思い悩んでいる先生はいらっしゃいますか? もしかしたらそれは、あなたにとって大きなチャンスかもしれませんよ。ぜひ、宮岡愛子先生の言葉に耳を傾けてみてください。木村泰子先生に師事し、現在は「みんなの学校マイスター」として講演活動や各校の支援で大活躍中です。
【連載】大切なあなたへ花束を #02
執筆/みんなの学校マイスター 宮岡愛子
「すべての子どもの学習する権利を保障する学校をつくる」
これは、先生方が学級や学年をつくるときにいつも心にとどめておいてほしい言葉です。
教室には、多様な個性をもっている子どもたちがいます。黙って話を聞いている子どももいれば、立ち歩く子ども、先生や友だちの言葉にいちいち反応する子どももいます。
「そんな様々な個性をもつ子どもたち、一人一人の学習する権利を保障するなんて無理や!」
と思いたくなることが、私にもありました。
でも、それは子どもの可能性や未来をつぶすことにつながる、と言っても過言ではありません。
では、どうするか? あなたの「教育観」を変えるのです。
私も(木村)泰子さんと出会い、学ぶことにより、自分を変えていくことができました。
前に立つ先生が変われば、子どもは確実に変わります。
それでは、具体的にどう変えていくのか、一緒に考えてみましょう。
ここは、小学校3年生の教室です。あなたは授業をしています。黒板を背にして、教卓の前に立ち、話している場面です。子どもたちは、あなたの方を見て静かに座って、聞いています。
あなたの心の声は、
「みんな、私の話を聞いてくれている!」
その静かな教室で、一人の子どもが突然、立ち歩き始めます。
あなたは、びっくり。
「今、ここで教室の中を立ち歩くなんて! この子、なんなの? いつも授業中に立ち歩いて。どうして座ってられないの? 本当に困る子!」
私にもそんな場面がたくさんありました。
そして声をかけます。「今は、座ってだまって話を聞くときです。早く席に戻りなさい」
でも、その子は戻りません。
だんだん心がざわざわしてきます。
「いつもいつも授業中に勝手に動いて。この子の勝手な行動を認めたら、他の子どもも、これから勝手なことをするかもしれない」
「今の私の言っていることを聞けないということは、これからどんどん言うことを聞かなくなるかもしれない」
「それは、もしかしたら、学級崩壊につながるのでは?」
と、どんどん不安が膨らんでいくのでした。
そうなったら、次にとるあなたの行動は、大きな声で必ず言うことを聞かせなくてはならないと考え、「さっさと席に座りなさい」
と厳しく言うしかなくなってしまいます。
びっくりした子どもは、教室から飛び出していきました。
大きな声は教員の思い込み?
さあ、あなたは、どう考えますか?
もしかして、あなたに話を聞いたら、
「立ち歩く時間ではないのに、勝手に歩くんですよ、それは注意しますよ。他の子どもの邪魔になるのですから」
という答えが返ってくるかもしれません。
ほとほと、その子どもに困っていたのなら、そう答えたくなるのも無理はありません。
でも、それはもしかしたら、あなた自身が困っていることを知られたくないのかもしれませんね。
これはとってもしんどいことです。
私も一つの子どもの行動から、多くのことを考えこんでしまうことは何回もありました。
そして、「あかん」とわかっていても、子どものせいにしてしまいたくなることもありました。
この場面の問題は、
「授業は、先生が前に立ち、子どもたちは黙って、先生の話を聞く」
という思い込みがあるということだと考えています。
確かにそんな時代もあったでしょう。
でも今は、多様な子どもたちが、教室にいて、主体的に自分の考えをもち、まわりの人に自分の考えを伝え、そこからまた、自分の考えをもつという、主体的、対話的で深い学びが求められています。正解を求めるだけではなく、どうしてそう考えたのかを伝え合い、学び合う授業をつくっていくのです。
では、その場でできることは何だったのでしょうか?
その子には何か、立ち歩く理由があったのかもしれません。
いつも子どもの行動には意味があるから、まずは子どもに話を聞いてみてください。
「だいじょうぶ?」「どうしたん?」「どうしたいん?」「私がサポートできることは何かある?」と、3つのDと1つのSで聞いてください。
もしかしたら、そのとき、その子は答えないかもしれません。
でも、そのように教室にいる大人が立ち歩いた子どもに問うたことを、周りの子どもたちは必ず聞いています。この言葉は、大人は私たちが困ったときに助けてくれる、という安心感をもつことにつながります。
もう一つ発想を転換し、先生が、立ち歩いた子どもをとがめるのではなく
「ずっと座っていたら、ちょっと歩きたくなるよね。隣の人や近くの人、立ち歩いていろいろな人に自分の考えたことを伝えてきて」
と話すだけで教室の空気は変わっていきます。
今回のように、一方的に聞くこともせずに、厳しい言葉で伝えたら、言われた子どもはもちろんのこと、それを聞いた子どもたちも、
「何があっても、授業中は立ったらあかんのや。トイレに行きたくなったらどうしよう、しんどくなったらどうしたらいいん?」
と思うことにつながっていきます。
そしたら、教室という場所が怖くなり、教室の空気が冷たくなってしまいます。
この積み重ねが不登校につながり、立ち歩く子どもに対するいじめになっていくのです。
立ち歩く子どもは違う教室で学ぶ必要があると考え、みんなと同じ教室から排除することになるかもしれません。
私は、教室の中に多くの安心感や、温かい笑いがあり、どれだけたくさん失敗できることが許されるか、先生が失敗を子どもの経験としてとらえていけるかが、不登校、いじめを防ぐ手立てであると考えています。
