インタビュー/須永吉信さん|正しい教育、よい教育は存在しない。だからこそ意味を考えさせる教育を!【注目の若手&中堅教師に聞く「わたしの教育ビジョン」Vol.01】

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注目の若手&中堅教師に聞く「わたしの教育ビジョン」
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教師だった父親の背中を見て育ち、自身も教師となった須永吉信先生。15年目という節目を迎えた今、これまでの教師人生を振り返りつつ、教師という仕事の在り方や日本の教育の未来などについて語ってもらいました。

栃木県栃木市立岩舟小学校教諭
須永吉信(すなが・よしのぶ)

1986年栃木県生まれ。教職15年目。山中伸之先生に師事し、「授業道場野口塾」青年塾生として研鑽を積みながら日々の授業や学級経営に臨んでいる。研究分野は国語教育、道徳教育、学級経営など。著書に『教師の待つ技術』『学級経営は「なぜ?」から始めよ』(いずれも明治図書出版)など著書も多数。

「意味を考えさせる教育」の追求―子どものBeingを決して否定しない

栃木市立岩舟小学校で働く須永吉信先生は、今年で教職生活15年目を迎えました。「授業道場野口塾」青年塾生として研鑽を積みながら学級経営に関する書籍も多数出版するなど活躍を続けていますが、これまでの教師人生を振り返ると「決して順風満帆ではなかった」と言います。

たくさん苦悩し、多くの壁にぶつかってきたという須永先生は、そのたびに教育技術を学び、研究し、実践し、常にトライ&エラーを繰り返してきました。そうした紆余曲折の教師生活を経て辿り着いたのが、現在実践している「意味を考えさせる教育」だと語ります。

「子どもが自分自身の行動の理由を考える、そして自分の言葉で説明できるようにすることを重視します。『なぜ学校にくるのか』『なぜ勉強をするのか』といったことを子どもたち自身に考えさせるということです。例えば、『なぜ宿題をやらなくちゃいけないの?』と聞かれたとき、まず『あなたはどう思っているの?』と、その理由を問うようにしています」

ここでのポイントは、なんとなく考えさせるのではなく、その行動の理由を説明できるほど「よく考えさせる」ことだといいます。

「子どもたちの『全部話せた』という納得感を重視します。そのため、教師自身の考えを強要したり誘導したりすることはせず、なるべく自由に話せるよう心がけます。子どもが自分の考えを言葉にしてくれたとき、その気持ちを理解し、ただただ受け止めることが大切です。

そして、教師も自分の考えが伝わるように、落ち着いて話します。指導者として『指示』するときと、一人の人間として子どもたちと『会話』するときの区別を意識することが大切です。さらに、教師・子どもの双方が『お互いの納得感』を実感することがなによりも大切なんですね」

須永先生いわく「気持ちを理解する」ということは、コーチングにおける“Being”の部分であるとのこと。これは、子どもの気持ちに対して「良い/悪い」の判断を絶対にしてはいけないということだそうです。

「例えば、いじめが起きたとき、いじめをした行為自体、つまり“doing”の部分については決してやってはいけないと叱ります。ただ、いじめをしてしまった理由、その子自身が抱いた気持ち、つまり“Being”の部分に、安易に評価を加えてはいけないんです。評価を加えるならば、子どもたちと一緒に考えていく姿勢が重要です」

評価を加えない、つまり「心のなかは自由だよ」という“Being”を認めたうえで、自分以外の人にも自由である権利があるから侵害してはいけない、と指導することが大切だと説明します。そうした、“doing” と“Being”を問う指導が「意味を考えさせる教育」につながっていきます。

「子どもが話しやすい雰囲気や環境、自分の気持ちを話すぶんには怒られないんだ、という空気をつくっていくことも教師の重要な役割。そのためには、教師が傾聴力をもち、受け入れる覚悟が必要ですし、リーダーシップをとる技術をもっていなくてはいけません」

初任早々に味わった挫折―救ったのは先輩教師の言葉だった

教師に必要な資質・能力とは「リーダーシップ」にあると語る須永先生は、教師になる以前の人生を振り返ったとき、生徒会や部活動などで指揮を執る経験がなかったために、クラス運営を円滑に行うことができず、1年目から大きな挫折を味わったといいます。

地元の大学の教育学部を卒業し、はじめて担任を務めたのが5年生のクラス。やる気十分に飛び込んだ教職の世界でしたが、待ち受けていたのは厳しい現実でした。

「はじめのうちは前任の先生の“貯金”で何とかできていたのですが、6月頃からクラスが荒れはじめ、7月には崩壊してしまい、8~10月にかけては本当に辛くて、子どもたちにも周りの先生にもたくさん迷惑をかけてしまいました」

自分の力量不足に打ちひしがれ、耐え忍ぶ日々――。しかし、どんなに過酷な状況でも学校を休むことは1日もなかったといいます。そんな毎日を変える大きな転機になったのが、先輩教師の「お前には子どもの心の声が聞こえないのか。先生の授業がわからないっていう声だよ」という言葉。まさに鶴の一声、須永先生はその言葉で目が覚めたと語ります。

「勉強を始めた1年目の11月。初めてやった実践は、『音読の早読み勝負』でした。その実践がいいかどうかは別として、子どもたちが目を輝かせて取り組んでくれたんですね。その時の感動は今でも覚えていますし、同時に改めて自分は授業が下手なのだと思い知りました。初任の時期につらい経験をすると、そこで辞めてしまう人もいると思うのですが、私の場合は『勉強するしかない!』とふっ切れて、一から学び直すことを決意したんです」

自分には才能もセンスもないと自覚し、まずは本を読むことに没頭。教育書に限らず、1日1冊、土日は20冊と、とにかく多くの本を読んだ結果、自分には「指導技術」が圧倒的に足りていなかったことを痛感したといいます。

「そこから、子どもを動かす技術、ほめる・叱る技術、授業での指示といった指導技術に夢中になっていきました。そして、さまざまな指導技術を一つ一つ学んでいった結果、『教師とは集団のリーダーである』という自分なりの答えを導き出したんです。そこから、教師と子どもという”縦のつながり”を構築するところから学級経営を始め、徐々に成果を出せるようになっていきました」

また、読書のほかに自分の考えていることや話したいことを「書く(文字に起こす)」作業にも取り組みました。

「とにかく書いて書いて書きまくりましたね。次の日の朝の時間に話すことや指導したいことを、すべて話し言葉で書いていました。人前で話すのが苦手だったので、文章にするしかないと。あとは、小さなメモ用紙をたくさん用意し、そこに思いついたことや気になったことを必ずメモするようにしていました。メモしたものも、話したいと思ったら、その後は必ず話し言葉に起こすんです」

須永先生いわく、ここでは「話し言葉」であることがポイントとのこと。実際に子どもの前で話すことをイメージして書き起こすことで、リーダーシップをとれるよう訓練していったといいます。

指導技術=リーダーシップをとる技術。授業をするということは、リーダー(教師)がメンバー(子どもたち)に何かを教えるということなんです。さらにメンバーの間を取りもち、調整することもリーダーの役割。教師は集団のリーダーであり、リーダーシップをとっているのだと自覚することが大切です。そして、そのためには技術がなければ何もできないんですね」

教師としての価値観を築いた20代尊敬できる先輩教師たちとの出会い

20代はリーダーシップをとる技術を研鑽した時期だったと振り返る須永先生は、その技術の習得にあたり外部の先輩教師たちに師事します。自身の力量のなさに苦悩していた1年目の冬には、同じ栃木県の公立学校に勤務し、研修会やセミナーの講師として全国各地で活躍する山中伸之先生の授業を見学。その際、同じく担当していた小学5年生の国語の授業を目にして衝撃を受けたと語ります。

「授業方法はもちろん、子どもたちの発言なども含めて『同じ授業なのか』と感じるくらい指導技術のレベルが高く、もっともっと勉強しようと自分を鼓舞するきっかけになりました。学校内にもベテラン・若手に関係なく、授業の上手な先生はたくさんいます。若い先生にはぜひ一度、『すごい!』と実感できるような授業を自分の目で見て、体験していただきたいです」

また、山中先生との出会いの先には、日本教育技術学会理事・名誉会長であり「授業道場野口塾」を主催する野口芳宏先生との出会いもありました。野口先生のもとで学んだことが教師としての土台をつくっていきました。

「野口先生がよく語られている『根本・原理原則が大事』という考え方を、私も大切にしています。ただ目の前のことを実行するだけでなく、なぜそうするのか、どんな意味があるのか、何の役に立つのか、という根本および原理原則に目を向け、自分で『考える癖』をつけるよう意識しています」

そして、この「根本と原理原則」を自分の頭で「考える癖」を身につけるためには、まず何よりも「実感する」ことが重要だと続けます。

「若いうちは、自分の『すごいな』『いいな』という実感をなかなか表に出せないんですよね。周りに従って仕事をしているな、と感じることも多いと思います。ただ、今はまだ実行できなくても、内に秘めているだけでもいいから、自分が本当にいいと思ったときの実感を大切にしてほしい。仕事に慣れた後もずっと持ち続けてほしいです。

右向け右をずっと続けていると、いつの間にか思考停止になってしまいます。なので、先輩教師の授業を見学したり、価値観に触れたりすることを継続し、考え続けて、いずれ自分の思うように仕事ができるようになったら、それを生かせるようにしてほしいです。続けていれば、チャンスは必ずめぐってきます。もし、その時に情熱も思考も止まってしまっていたら本末転倒です。若いうちに感じた実感・本音・情熱は『卵』だと思って、大事に温め続けてほしいです」

教壇に立つことが怖くなった30代―1冊の本がもたらした新たな教育観

試行錯誤した20代を経て、30代に突入した頃には指導技術も大幅に向上し、子どもたちは言うことをよく聞くようになり、活気のある授業もできるようになりました。しかし、須永先生は、そんな状況にも「限界」を感じるようになったと語ります。

「培ってきた指導技術の成果は出てきたものの、どこかしっくりきていない自分がいました。このまま子どもたちをロボットのように動かしていいのか、自分の色に染めてしまっているのではないかと恐怖を感じるようになり、『本当によい教育とは何か』という壁にぶつかったんです」

指示ひとつ出すことさえ怖くなってしまったという須永先生。そこで、今まで意識してきた、縦のつながりによる教育に加え、″横のつながり”による教育も意識するようになりました。ペアトークや話し合い、ファシリテーションの研究、クラス会議を実践した結果、クラスの雰囲気がやわらかくなったうえ、子どもたちから自由な発想やアイデアが出るようになったといいます。

「ですが、それでも『自分の行っている教育は正しいのか』という疑問や不安が払拭されることはありませんでした。そのことで頭がいっぱいになってしまい、夜も眠れなくなるほどノイローゼ気味になっていましたね」

そうした限界の状態が続いていた須永先生を救ったのは『どのような教育が「よい教育か」』(苫野一徳 著/講談社)という1冊の本。教育を哲学として問い直し、真理的に「よい」教育なるものは存在しないと説く著者の考えに、「正しい教育なんてものはない」「自分の行っている教育も間違ってはいない」と気持ちが楽になったとのこと。そして同時に、横のつながりを意識した新たな教育観も芽生えました。

「そこから『意味を考えさせる教育』、そして子どもたちとそのことを話し合う教育を重視するようになりました。真理的によい教育は哲学的に見ても『存在しない』のだから、逆にみんなで話し合って決めるんだ、という勇気が湧いてきたんですね。子どもたちだけでなく、保護者や周りの先生の話もよく聞くようになりましたし、協力していこうという気持ちが前にも増して強くなりました。

縦のつながりを意識しリーダーシップを学んだ20代を経て、30代では子どもたち同士の横のつながりを意識させる間接的な指導を心がけるようになったんです。それが今の教育観にもつながっているので、ここにきて初めて理想と現実がかみ合ってきたなと感じています」

教師である父の教え「実践したことは継続しなきゃ意味がない」を常に心に留めていると話す須永先生。

日本の教育現場の未来―「みんなで考える教育」に変わっていくべき

「意味を考えさせる教育」を理想とはするものの、実際に実践するにはなかなか難しく、日本人が苦手とする分野でもあると須永先生は語ります。

「これまでの教育は画一的であることがよしとされていましたし、それが日本の産業モデルとも合致していたから矛盾はなかったと思うんです。でも、現代において時代遅れな成長モデルであることは明確ですし、日本はいまだにそこから抜け出せていないのが現状なのではないでしょうか」

実際に、教員一人あたりが担当する生徒数は先進国においてはかなり多く、授業時数も膨大。近年、働き方改革の推進が叫ばれているものの、依然として教師の長時間勤務は解消されていません。そうした状況を受けて、日本の教育は「ソフトランディング」していくしかないと須永先生は続けます。

「昨今、日本の学校教育を見直し改善する動きが出てきたのはよい流れだと思います。しかし、これまで長い間変えられなかったことを急速に変えていくことは難しい。少しずつ緩やかに、しかし流れを止めることなく進めていくことが日本の社会にも合っていると思います」

教師の働き方改革においても闇雲に何かを削るのではなく、ビジョンを明確にして取捨選択していく必要があるといいます。そして、そのためにはやはり「意味」をよく考えることが大切であるとも――。

「さまざまな部分で見直しが図られてきているのはいいことですよね。ただ、『なぜ、それをやるのか』『どのような意味をもつのか』を考慮しないまま、ただ『やってますよ』のポーズをとるだけでは根本的な解決にはつながりません。『なぜやっているのか』『どこをめざすのか』といった方向性を話し合うことが重要で、まずはその時間を確保するための働き方改革であるべきです」

自身が向き合う教室、学校の範囲を超えて、日本の学校教育の未来に想いを込める須永先生。同じ立場で頑張る若手教師や中堅教師に向けて、次のようなメッセージを送ります。

「若いときは上手くできなくて当然。それはもう『しょうがない』と思いつつ、頭のなかは自由にして、いつか実現できるよう常に準備をしておきましょう。一方で、中堅といわれる立場にいる教師は、若い先生たちの気持ちを楽にしてあげられるよう動いてほしい。優秀な先生も、ぜひこれまでの自分の『できたこと』ではなく、これまでの自分の『ダメだったこと』と今の若い先生たちを比較してほしい。すると、若い先生は頑張っているなあという気持ちになりませんか。

それに、悩んでいることがないか話を聞いたり、ときには『しんどい!』とか、自分の弱い姿やダメな部分なども見せたりすることも苦ではなくなりますよね(笑)。子どもだけでなく、教師もみんなで協力し話し合い、ベストを尽くすのが最善だと思います」

決して平坦な道のりではなかったこれまでの教師人生。しかし、多くの挫折や失敗の経験が現在の須永先生をつくっています。自分自身の築いてきた教育技術・教育観を信じつつ、「正しい教育、よい教育は存在しない」との考えのもと、須永先生の探究はこれからも続いていきます。

須永先生の著書『小学3年の学級経営 ギャングエイジの担任術』(明治図書出版)。新任教師に任されることが多いという小学3年の学級経営および担任術を解説した1冊。低学年から高学年へと移り変わる3年という独特の発達段階を理解し、子どものよさを生かすための指導術が数多く紹介されています。

取材・文/鷲尾達哉(カラビナ)

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