いかなる教師も、“リーダー” である 【菊池省三流「コミュニケーション科」の授業 #30】


教師と子供、子供同士のコミュニケーション不足こそ今の学校の大問題! 菊池省三先生が、1年間の見通しを持って個の確立した集団、考え続ける人間を育てる「コミュニケーション科」の授業の具体案と学校管理職の役割を提示します。
第30回「コミュニケーション科」の授業は、<いかなる教師も、“リーダー” である>です。
目次
若手を引っ張る意識が持てない中堅教師
20代後半~30代前半の教師から、「若手の教師たちをなんとかしたい」という悩みをよく聞きます。「『中堅として若手を引っ張っていきたい』ということか」と詳しく尋ねると、「『同じ若手として一緒に盛り上げていきたい』と考えている」と。「既に指導する立場にいる」という自覚を持っていないことに、私は少し驚きました。
一方、中堅という自覚があっても、動かない教師も少なくありません。
●教師になって、まだ○年目だから
●この学校ではまだ1年目だから
このように、自分の立場を言い訳に、責任逃れをしている教師が多いように感じます。
大切なのは、
●教師として
●学校集団という組織の1人として
「自分はどうしたいのか」を示すことではないでしょうか。
中堅教師をリーダーにして若手教師を育てる組織作りをしている学校は少なくありませんが、「何年か経つうちに形骸化していく」と聞きます。それは、「自分は中堅で、若手を引っ張っていく」という意識が持てないからではないでしょうか。
若手から、授業や学級経営の指導についてのアドバイスを求められるときに問われるのは、中堅教師自身の力量です。常に学び続けていなければ、適切なアドバイスができるはずがありません。
学びが足りない人、いつも受け身で聞いている人は、せいぜい勉強会終了後の打ち上げで、自分の学級や学校の不満を口にするだけです。勉強会全体が、そういう学ばない人たちの集まりであればあるほど、お互いの傷をなめ合う、愚痴のこぼし合いになります。新しい学びを求めて参加した人たちも、このような内輪の勉強会では得るものはない、と次から参加することはありません。
「中堅が学校外のことにエネルギーを注ぎ出すと、若手が育たない」ということをよく耳にします。地域の教科部会や運動部の事務局に属した途端、組織の活動に夢中になり、属した組織が掲げる目標が、自分の目標になってしまうようです。校内の学びに無関心になり、目の前の子供ではなく、外にベクトルが向いてしまうのです。