学級づくりと授業づくりの両輪が同時に進んでいくことが大事 【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第37回】
前回は、宮崎県のスーパーティーチャー(小学校·国語科)である日高恵一先生が、附属小学校に異動し、国語の授業づくりに力を入れていく過程で学んだことを中心に紹介していきました。今回は、教職大学院に行って学んだことや、スーパーティーチャーという指導的立場から若手に伝えたいことなどを紹介していきます。
目次
子供たちの実際の文章を基に課題を洗い出して分析
私は附属小学校で5年間勤務の後に1年間、希望して教職大学院に行くことになりました。このときの研究テーマは「書くことの指導」だったのですが、当時の担当の先生から、「子供たちの実際の文章を基に課題を洗い出して分析したら、おもしろいのではないか」とのアドバイスを受け、実際にその研究に取り組みました。この研究では、表記上のいくつかのことを主に徹底して分析していったのです。
具体的には、あるテーマで子供たちに作文を書かせて、原稿用紙1~2枚程度書いたものを基に、平均的な1文の長さはどれくらいかとか、段落はいくつくらい作っているかとか、主語と述語のねじれがどれくらい起こっているかなどを調べるわけです。それを調べるために、一文の文字数を数えたり、段落数を数えたり、各文の主語と述語に丸を付けながらねじれが生じていないかなどを徹底的に洗い出していくわけです。
そうやって見ていくと、一文が長くなるにつれて主述のねじれが生じることが多くなるということが、はっきり数字の上で見えてきます。だからこそ、まず一文の長さは短めに簡潔に書かせることが大事だ、といった指導の重点もはっきりしてくるわけです。あるいは、一人称の主語は使えるけれども、三人称の主語はあまり使えていないということもはっきり数値で表れました。だからこそ、授業中に例えば、「学校は…」というような客観的な文章を書かせる場面を設けることが必要だ、ということが見えてきます。教員は日々、子供たちを形成的に評価するとき、何となく感覚的に捉えている部分も少なくないと思います。このような研究を通して、課題を具体的に分析することで、子供たちの文章を読むときの視点が明確になり、意図的な指導も可能になるということが改めて分かりました。
例えば、(これは当時の先生の受け売りですが)段落の作り方は英文なら一定のルールがあるわけですが、日本語ではそれが明確ではないというむずかしさはあります。しかし、それを踏まえて、なおかつきちんと数値化して見ていくことで、より的確な指導も可能になるのだと感じました。
1年後に附属小学校に戻ってからは、現場のニーズもあり、「読むこと」が研究の中心になっていくのですが、書くために読む、読むために書くという、inputとoutputの連関のようなこともこの時期に先輩方と共に学んだことです。また、時期は前後しますが、赴任した当時の附属小学校の副校長先生は、同校の国語科のOBで、子供への接し方から授業づくりまでとてもすばらしい先生で、非常に影響を受けました。今でもよく覚えているのは、附属小に異動直後に「発問と質問は違うよ」と言われたことや、「授業は真剣勝負。子供たちとしっかり向き合っていこう」と言われたことです。また、言葉ではありませんが、副校長先生の構造的に整った板書にも影響を受け、板書を研究の視点にした年もありました。
授業づくりがうまくいくと学級づくりもうまくいくということもある
私は(教職大学院も含め)10年間、附属小学校に勤務したのですが、その後、指導主事になるのか、指導教諭になるのかという話になり、もっと現場にいたいと思った私は試験を受けて、指導教諭の道を選びました。
若手の頃、学級づくりで苦労したお話をしましたが、改めて公立小学校に戻ったときに感じたのは、「子供は子供で、附属小学校でも公立小学校でもそんなに大きな違いはない」ということです。ただそれは、附属小学校時代に関心・意欲を引き出す授業改善に力を入れて取り組んだことも大きかったのではないかと思います。授業を工夫すれば、子供の関心も意欲も高まりますし、「授業が楽しい、分かる、こんなことができるようになる」と感じられれば、子供との信頼関係も自然に築けます。さらに、学級づくりもうまくいくものです。
ややもすると若手の頃には、「まず学級づくりができれば、授業づくりができる」と考えることもあると思います。しかし、学級づくりと授業づくりは両輪で、学級づくりがうまくいくと授業にもよい影響があるのと同様に、授業づくりがうまくいくと学級づくりもうまくいくということもあるのです。もちろん、そう言っている私自身も若手の頃に、学級づくりが先だと思っていたところがあったように思いますが、やはり両輪が同時に進んでいくことが大事なのだと思います。
指導教諭として、赴任校のある地域で先生方にアドバイスする立場になったのですが、3年間務めた後、より広く全県で、先生方の国語の授業づくりに関われるように、県のスーパーティーチャーという道を選びました。この立場で若い先生を見ていると、GIGAスクールでタブレットが入ってきて、それを新たに活用するむずかしさ、保護者対応のむずかしさ、働き方改革で時間が限られる中でより良い授業づくりを目指すむずかしさがある中で、真摯にがんばっていらっしゃるなと感じます。
そのような中で、伝えたいことがあるとすれば、子供の学びに寄り添い、子供たちに問いをもたせることを、これからも大事にしてほしいとも感じています。子供たちが問いをもって追究し、それをつなぎ合わせながら、45分間の授業をつくっていってほしいのです。
先日、国語の授業をしていたとき、授業でクレーン車について「腕が伸びたり動いたりします」という記述から、「腕ってどこかな」という問いが出てきました。そのとき、ある子供が「腕って、この部分だと思います」とアーム部分の先から下ろされているワイヤーとフックを指したのです。それ自体、呼称として間違っていると言ってしまえば、それまでなのですが、そこから子供たちの間に多様な意見が出てきて、「自由に動かせるのがアーム部分」「ワイヤーの先に大事なもの(フック)が付いている」「フックはものを引っかけるだけの指先や爪のようなもので、腕ではない」ということが明確になり、より確かな理解(あるいは概念形成)ができました。このように表面的に見ると間違いになってしまうことも、うまく生かし、つないでいくと、確かな学びをしていくための重要な要素になります。そうした子供たちの疑問や気付きをうまくつなぎながら、授業づくりをしてほしいと思うのです。
もちろん、そのような間違いに見える気付きも大事にして、深い学びにつなげていくためには教材研究が必要なのだと思います。先のクレーン車に関する表現には、「つりあげる」という言葉があり、それを辞書で調べると、「引っかけて上げる」とされています。そのためにはフックが必要ですから、単純に「腕ではない」というのとは異なるわけです。それは単なる間違いではなく、より重要な深い理解を生むための誤理解なのです。そうしたことも、しっかり教材研究を重ねていくと次第に見えるようになっていくと思います。私が幸せだったのは、比較的若手の頃に附属小学校に異動になり、そこでの先輩方からの厳しい質問に答えるため、学習指導要領を読み込み、教材研究を深めたことだったと思います。
ちなみに、全教材の教材研究に力を入れるなど現実的には不可能ですから、「今年は、この単元、この教材だけはしっかり研究をしてみよう」というくらいでよいと思います。その教材研究も多様な方法がありますが、国語であれば、まずは教材を何度も読むことです。何度も読んで気になる言葉があれば、意味を調べてみましょう。そうやって読み込んだ上で、学習指導要領を読んでみると、教材の見え方、授業づくりの考え方が少し変わってくるのではないでしょうか。
違うと思ってもまず受け入れて、真似してやってみることが大事
最後に、特に若い先生方に伝えたいことの一つは、まずいろんな先生方のアプローチの仕方や授業展開の仕方を受け入れてみようということです。若い先生の中には、「こんなふうになりたい」という思いが強く、「それは自分のやり方とは違う」と拒絶しがちになる人もいます。しかし、違うと思ってもまず受け入れて、ちょっと真似してやってみるということが大事だと思います。そうやって咀嚼してから、「やはり違和感がある」と横に置くのはかまいませんが、まずは受け入れて幅広い視野を求めていくことが必要です。授業に正解はないと思いますので、アプローチの仕方や授業の展開の仕方を広く取り入れていくことがよいでしょう。
それは隣のクラスの先生の授業でもよいし、他の学年の先生でもよいし、学校外の勉強会の先生でもよいと思います。いろんな先生に関わって教えられ、上手になりながら、取り入れてみて成長していってください。
もう一つは、とにかく授業を楽しんでやりましょうということです。教員の姿勢は自然に子供にも伝わるものですから、まずは先生が楽しそうに授業をしていくことが、子供にとっての楽しい学びの入り口になります。そのとき、もし教材研究がしっかりできていれば、きっと自然と楽しそうな表情になってしまうのではないでしょうか。
ただし、教材研究をした上で、授業がうまくいかなかったとしても、それを悲観する必要はありません。先にお話ししたクレーンの腕の話と同様に、そこで起こったことをきちんとその先の理解につなげられれば、それは表面的に見れば間違いであっても、必ずより確かな理解(あるいは概念形成)につながっていくのですから。
【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」】次回は、12月15日公開予定です。
執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之