【木村泰子の「学びは楽しい」#21】自分の働く学校を自分でつくっていますか?
子どもたちが自分らしくいきいきと成長できる教育のあり方について、木村泰子先生がアドバイスする連載第21回目。今回は、「不登校」のレッテルを貼られて転校してきたある子どものことを紹介しながら、学校のあるべき姿を考えていきます。(エッセイのご感想や木村先生へのご質問など、ページの最後にある質問募集フォームから編集部にお寄せください)【 毎月22日更新予定 】
執筆/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子
目次
自分の言葉を書き溜めていこう
読者の方の声を紹介します。
学校に通えなくなった当初、不登校という言葉を聞くだけで、悲しくて震え上がっていました。今は私自身が慣れてしまい、説明する時は不登校という言葉を使っています。木村先生の「不登校という言葉は失礼極まりない」という発言を聞いて、本当にそう、この言葉に傷つく親子さんが独りもいなくなることを望んでいます。
毎月、この「学びは楽しい」のコーナーでは、そのとき伝えたいことを伝えさせていただいています。読んでいただいたみなさまご自身が、私の言葉をきっかけにご自分の言葉で語っていただけることがこのコーナーの目的です。
ふっと浮かんでくる言葉や、(どうして?)といった疑問や、普段思いもしない自分の考えなど、ご自分の考えと向き合っていただけたら、こんなにうれしいことはありません。そして、小さなノートにその自分の言葉を書き溜めていってみてはどうでしょうか。積み重ねていくうちに、かけがえのない自分の学びのノートができあがっていますよ。私は、もう数十冊溜まっています。新たに学んだことを自分の言葉で書くと、自分の考えに変わります。
ぜひ、チャレンジしてみてくださいね。
すべての人が学校をつくる当事者に
教員研修の場で、「あなたは、自分が勤務する自分の学校を、自分がつくっていますか?」と質問することがあります。どの現場でも、「つくっていると思う」に手を挙げる人は、ほんのひとにぎりです。「つくっていないと思う」には、多くの方が遠慮がちに手を挙げられます。まずは、子どもの前にいる教員たちが「自分の働く学校を自分がつくる姿」を見せることからスタートしなければ、「不登校」の言葉が消えることは難しいでしょう。
従前の学校の当たり前は、子どもにこれでもかと言わんばかりに一方的に与えて、子どもが困らないように手を差し伸べることが求められていました。たくさんサービスをしてくれる先生がいる学校は「いい学校」と評価していませんでしたか。ところが、それだけサービスに徹しているにもかかわらず、「不登校」過去最多を更新し続ける、という子どもの事実があるのです。
「押してもだめなら引いてみろ」です。
自分がつくる自分の学校
「不登校」のレッテルを貼られて転校してきた一人の子どもを紹介します。
その子の家庭は、子どもが学校に行かないとのことで、母親が周りから責められてうつ状態になり、子どもと二人だけで大空小の校区に引っ越しをしてきました。家に行くと、その子は自分の部屋に立てこもって戸を開けさせません。5年生の3学期頃です。5年間、学校に困らされていた子どもです。教員たちが家に行っても出てきません。そこで、次のメモを紙切れに書いて、ドアの下の隙間から部屋に放り込みました。
大空小は自分がつくる学校です。先生たちが学校に行こうと迎えに来たりしません。一度大空小の空気を吸ってから、行くか行かないかを決めたらどうですか。学ぶのは自分です。学校に行くか行かないかを決めるのも自分です。自分で決めて行動するのみです。
すると、数日後、その子が、10時10分に一人で職員室のドアを開けました。大人たちは平静を装って、「何時に帰る?」と聞いたのです。すると、「10時20分に帰る」と答えたので、ホワイトボードに「10時20分さよなら」と書きました。10分間だけ職員室にいて、10時20分に帰りました。
次の日は10時過ぎに来て「10時30分さよなら」と書き、その次の日は10時頃に来て「10時40分さよなら」と自分で書きました。学習する場所も職員室と決め、内容も自分で決めました。そのうちに、食物アレルギーがあるということで、弁当を持ってきて職員室で食べて帰るようになり、6年生になりました。
音読が驚くほど上手だったので、運動会では演技や競技には参加しなかったのですが、最後まで本部席に座ってアナウンスをしていました。6年生の子どもたちは休み時間に職員室に来てその子に声をかけますが、自分たちと違って職員室を選ぶ友達をそっと理解していました。卒業式も一人の卒業式を選んだ友達にエールを送っていました。みんな違っていることが当たり前の空気が豊かに生まれていれば、誰も人を比べたりしなくなるものです。
午後からの一人の卒業式は午前中と全く同様に、全教職員が講堂で入場を待ち、教職員から贈る言葉や合唱もすべて同じように進んでいきました。この子のラストメッセージは「みなさん、ありがとう。僕はもう大丈夫です。地元の中学校に通います」でした。子どもの姿を目にしたご両親は「私たちもやり直します」と言って帰られました。この「一人の卒業式」を体験した私たち教職員は、それぞれに学校がある目的は何なのかを自分に問い直していたように思います。
その子がその子らしく育つ場が学校です
学校に子どもをはめ込もうとしている間は「不登校」の言葉はなくなりません。
大空小で私たちは目の前の子どもの10年後を想像しながら、学校をつくりました。10年後の社会は、「ルールを守る子ども」より、「ルールをつくる子ども」が必要とされるでしょう。そのためにも、失敗をやり直しながら、自分の学校を自分がつくる教員の行動を子どもたちに見せませんか!
〇新たに学んだことを自分の言葉で書くと、自分の考えに変わる。日々の疑問や自分の考えを言葉にして、ノートに書き溜めていってみよう。
〇子どもが自分で決めて行動し、その子らしく育つ場が学校。学校に子どもをはめ込もうとしている間は「不登校」はなくならない。これからの時代に必要とされる「ルールをつくる子ども」を育てるために、まずは、教員が自分の学校を自分でつくる姿を子どもたちに見せていこう。
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きむら・やすこ●映画「みんなの学校」の舞台となった、全ての子供の学習権を保障する学校、大阪市立大空小学校の初代校長。全職員・保護者・地域の人々が一丸となり、障害の有無にかかわらず「すべての子どもの学習権を保障する」学校づくりに尽力する。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと』『「みんなの学校」流・自ら学ぶ子の育て方』(ともに小学館)ほか。