【木村泰子の「学びは楽しい」#17】評価観を転換しましょう

すべての子どもが自分らしくいきいきと成長できる教育のあり方について、木村泰子先生がアドバイスする連載第17回目。今回は、新しい学力観のもと、評価はどうあるべきかについて考えていきます。(エッセイのご感想や木村先生へのご質問など、ページの最後にある質問募集フォームから編集部にお寄せください)【 毎月22日更新予定 】
執筆/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子

目次
学びのデザインは変化している
子どもを主語にした新たな学びがスタートしている今、従来通りの評価が実施されていては本末転倒です。「教員が教えたことを子どもがどれだけ習得したか」を数値で測る評価は、新学力観の評価にはつながりません。「子どもが何をどう学んだか」の評価が求められるのです。その評価は、その子が「社会につながる力」をどれだけ獲得したかの評価でなければならないのです。
教員の仕事の上位目標は、「自律的な子どもが育つ」事実をつくることにあります。「社会につながる力」とはどんな力なのでしょうか。それは、自分とは違う他者とともに、多様性の中でなりたい自分になるための自律する力です。そして、「誰一人置き去りにしない社会」をつくる当事者になるための学力です。現在の学習指導要領では、学校での学びのデザインは大きく転換されているのです。
従前の学びの場との違いを一言で表現すれば、学校は社会を学ぶ場所になっていなければならないということですね。しかし現実には、これまで通り、教員が手厚く教えることを求められ、これでもか、これでもかと子どもに知識を詰め込み、保護者の求めに応える教員たちが次から次に疲弊していき、「働き方改革」や「ブラック企業」の言葉がメディアの主流をなしている……、それが教育界の現状です。その一方、子どもの事実はというと、「自殺・不登校・いじめ過去最多」です。
この負のスパイラルをいかに断ち切るかが問われています。先に述べたように日々の授業の学習観が転換されているでしょうか。子どもが学びの主語になった授業が行われているでしょうか。
評価と通知表の関係は?
全国には、子どもを主語にした授業をつくっておられる先生方もたくさんいらっしゃいます。だからこそ、評価に悩むのです。
毎時間の評価が通知表に反映されるのが、これまでの慣習です。そして、残念ながら通知表について一人の教員の考えで変えることができないのが現在の学校現場です。学校として、評価をどのような形で子どもや保護者に伝えるのか、全教員が合意しなければなりません。この問いは堂々巡りになってしまうのですが、子どもを主語にした学びを展開しているからこそ、新たな評価観の転換を全教員で合意することができるのです。
前回のこのコーナーでいただいた先生の困り感のように、新たな学びに向かう授業を実践すればするほど、学期末の評価に悩む先生たちは後を絶ちません。
大空小も同様の困り感をもちました。通知表をなくせば解決するだろうかとも考えましたが、そうではないことに気づき、とにかく日々の授業の上位目標について、まずは合意しました。各教科の学習は手段であり、「社会につながる力」を子どもが獲得することが授業の目的であるということを合意したのです。