ほめ方、𠮟り方について教えてください(後編)【教師の悩みにピンポイント・アドバイス 田村学教授の「快答乱麻!」#10】
先生方のご相談について、國學院大學の田村学教授にお答えいただくこの企画。今回も前回に続き、子供のほめ方、叱り方をどうしたらよいか考えている先生のご質問に対し、さらに詳しく「快答」していただきます。
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Q6 昨年度、同じ学年を組んでいた先生はとても厳しい方で、授業中によく隣の教室から子供を叱る(怒る?)大きな声が響いていました。そのたびに、「ああ、あんなに厳しく叱らなくてもいいのに。私はなるべく子供たちをほめて育てたい」と思っていました。ただ、子供たちを成長させるには叱ることが必要な場面もあると思います。そこで、子供たちを伸ばしていくための、ほめ方、叱り方について教えてください。(20代・小学校)
日常生活の中で意識してトレーニングしてみる
A 前回は、ほめること、叱ることについての基本的な考え方についてお話をしました。今回は、もう少し突っ込んでほめ方、叱り方について考えていくことにしましょう。
先生は、よい行為や態度をほめ、問題のある行為や態度を叱るわけですが、その時に大事なのは、先生がほめたり叱ったりしている行為や態度、さらに先生とその子供とのやり取りが、周囲にもいろんな影響を与えることを知っておくことです。つまり、当該の子供をほめたり、叱ったりしていることを、周囲の子供たちも聞いている可能性があるということです。
ですから、どこでほめるか(叱るか)、どのようにほめるか(叱るか)を考えることも大切なポイントになります。みんなの前でほめたほうがよい場合もあれば、周囲に人のいない場所でほめたほうがよい場合もあるでしょう。例えば、小学生でも高学年になって思春期に差しかかり、周囲の子供たちの目が気になり始めると、「ほめることも個別に行ったほうがよい場合もある」と言う先生もいます。
あるいは、一人の子供をほめている(叱っている)ことはその子に(行動の継続や改善を)期待するだけでなく、学級全体にも期待しているということになります。そういったことも意識されると、より効果があると思います。
また、どのようにほめるかということで言えば、先生が直接ほめるほめ方もあれば、ほめたいことを第三者の口を通して語ってもらったほうが効果的な場合もあります。例えば、保健室の養護教諭から何気なく、「~先生が~ってほめてたよ」と話してもらうとか、家で保護者から「~先生が、連絡帳にこんなふうに書いてあったんだけど、よくがんばっているんだね」とほめてもらう、といった方法です。それは、子供たちにとっても嬉しいことだと思います。私自身をふり返ってみても、先生からほめられれば嬉しいわけですが、周囲の人から「~なふうにがんばっているんだってね」と言われるのは、悪くない気持ちになると思います。
それは、その子供の良い行動を校内の先生方とシェアすることにもなりますし、保護者とシェアすることにもなるわけです。そのように、ほめたり叱ったりする行為が、その場だけに限定されず、広がりがあったり、影響があったりすることを少し頭に入れておくと、多様な効果が期待できるのではないかと思います。
いずれにしても、ほめられるということは自己肯定につながるわけで、子供に限らず誰でも嬉しいわけです。それだけに、たくさん、小さなことでも、さりげなく、上手にほめられる教師であれば、多様なことがうまくいくのではないでしょうか。
余談ですが、それは大人でも同様で、WBCの栗山英樹監督も、きっとそうだったのではないかと思います。そのために、栗山監督は手紙を書いて出したといったことが報道されていましたが、それ以外の場面でも上手にほめていたのではないでしょうか。ほめ上手は、人心を掌握するだけでなく、集団をまとめていったり、指導を確かな形で浸透させていったりすることにつながるのだと思います。
怒りで、長期にわたっての行動の変革を図ることは不可能
そういう意味では、日頃からほめることを心がけてレッスンしていけばよいのではないかと思います。例えば、職員室で他の先生方と話をしているときに、ちょっとしたさりげないことを、「ああ、いいですね」「なるほど、そうなんですか」「そんなふうにやればいいんですね」と、言葉に出せるようなことを日常から心がけてレッスンしておくとよいと思います。
もちろん日頃から教室でささいなことにも気付いて、例えば、「字が上手だね」と言葉にできる若い先生もいることでしょう。それは教師としてすてきなことだと思います。逆に、なかなか言葉が出てこないという先生もいるかもしれません。しかし、そのようにパッと気付いて言葉に出せるかどうかは、トレーニングで変わってくることです。その意味では、自身をふり返って、「あまりほめるのが上手ではなかったな」と思う先生は、日常生活の中で意識してトレーニングしてみるとよいと思います。相手が子供の場合に限らず、まずほめるという行為から入ったほうが、相手が話を受け入れてくれる可能性が高まるものです。それだけに、日頃から意識してトレーニングをすることは決して無駄にはならないと思います。
先生方には1年間に約1000回、授業をするチャンスがあるわけです。その中で、子供とどのように接するとうまくいくのか、うまくいかなかったのかを常に考え続けて授業を行っていることでしょう。そのように、自分自身の行動を自問自答できる先生であれば、ほめるや叱るだけでなく、発問や板書など、多様な面で高まっていく可能性が高いと思います。どうしても教師の仕事は多様で多量であり、ここまでやったらよいというものがない、際限のないものです。それだけに、自身のありようを常に問い続け、自己変革を求め続けながら、日々の自らの行動を省察できることが、教師力を右肩上がりに高め続け、より確かなものにしていくのではないかと思います。
最後に、質問者の先生が昨年度一緒に学年を組んでいた先生は、高圧的な、力による指導を行っていたのかもしれません。もしかしたら、同様の指導をされる先生がほかにもいるかもしれません。それによって、一瞬は子供の行為を変化させることができるかもしれませんが、それが長期にわたっての行動の変革になるかと言えば難しいでしょう。
(先生の)怒りに対する(子供たちの)恐怖によって行動が抑えられているにすぎませんから、担任が変わってその恐怖がなくなれば、たがが外れて元に戻ってしまうわけです。それは、前回もお話ししたように子供たちの中に望ましい姿の価値観が形成されることで期待する行為がなされているわけではなく、せざるを得ない外的な要因があることで、そうしているにすぎないからです。
もちろんそうした先生には、「子供たちの行為を改善したい」という思いがあるのは間違いないでしょう。子供のことですから聖人君子のようにはいきませんし、困ったことや嫌なこともすることでしょう。それを短期的に変えたい、急いで結果を出したいという思いが強すぎるのかもしれません。大きい声を出して怒鳴っても、安定的で継続的な態度が形成されるとは考えにくいのです。そのような視野をもてるとよいなと思います。
子供たちに望ましい価値観を形成していくには手間がかかります。しかし、子供たちの中にいったん価値観ができ上がってくると、何もかもいちいち言わなくても済むわけで、教師にとっても日々の指導が楽になるものです。そのように、自分で考えて行動できる子供を育てていくことが何よりも大事だと思いますし、それを意識しながら、ほめ方、叱り方を考えてみてください。
若い時には、あまり上手ではない叱り方をしてしまうこともあるでしょう。しかし、子供が修正の方向性を考えながら成長していくように、先生自身もうまくいかなかったことを省察し、修正しながら教師として成長していけばよいのだと思います。
【田村学教授の「快答乱麻!」】次回は、4月27日公開予定です。
執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之
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