「研究授業での失敗から学べることも楽しい」【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第5回】

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授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」
「研究授業での失敗から学べることも楽しい」【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第5回】

前回は、大阪府の公立小学校で「学力向上担当」を務めた岡本美穂教諭が、多様な人との出会いを通して教職を選び、教師の仕事にやりがいを感じるようになっていく若手時代を紹介しました。今回は、現在の専門である国語の指導について学んでいった過程などを紹介します。

岡本美穂先生

吉永幸司先生を研究会に招く

私は現在、国語を専門としていますが、それはたまたま在籍した学校の研究教科がほとんど国語だったことが大きく関係しています。私の16年間の教師生活の中で、3年間だけ学校の研究教科が算数だったのですが、それ以外は国語だったのです。

そうした学校の研究もありつつ、私自身が国語の指導をしていく上で最初に力を入れていったのは、ノート指導でした。国語でどんな力がついたかという証拠として(学ぶ本人にとっても、育んだ力を見とる教師にとっても)ノートを残していくことが大切だと考え、そこに力を入れたのです。ノートで学びの足跡を残すとともに書く力を育んでいくわけです。ただ最初にノートにこだわると、結局は(写すべき手本としてではなく、ノートの見本となる)板書にもこだわることになります。さらに、その板書になっていくような授業づくりにもこだわっていくことになるわけです。そうやって、ノート指導に力を入れたことをきっかけにして、国語の授業づくりを追究していくことになりました。

ただ、国語のノート指導で書く力がついてくると、子供たちはふり返りにしっかりとした文章を書けるようになるわけで、「じゃあ、算数のノートやふり返りはどうすればよいか」とか、「この教科ならどうすればよいか」と広がっていきます。ですから当初、私自身は国語の指導だけに力を入れていたわけではなかったのです。そうして、ノート指導を中心に実践を続けてきた7年目くらいの頃に、板書とノート指導に関する書籍を出すお話をいただきました。それは全教科に関するものなのですが、このおかげで、どうしても学ぶ上で中心となる国語力の育成について考えていくきっかけになったのです。また書籍化以降、少しずつ国語での原稿依頼もいただくようになり、さらに国語について考える機会が増えていきました。

ノート指導に力を入れたことが板書や授業づくりを深めることにもつながった、と話す岡本先生の板書。

国語の実践研究をさらに深めていく上で大きかったのは、教師になって10年目に京都女子大学の吉永幸司教授(当時)と出会えたことです。ちょうどその年も国語の研究をしている学校に在籍していたのですが、研究の指導者として招く先生を誰にするかという話になりました。その時に、「どうせなら吉永先生のような国語の著名な指導者を招きたいよね」という話になったのです。そこで、私が京都女子大学まで行ってお願いをしたところ、「いいですよ」と快く指導を引き受けてくださったのです。吉永先生には、そこから3年間指導をしていただき、また近年も別の在籍校で指導に来ていただき、いろんなことを学ばせていただきました。

吉永先生の指導を受けて授業を見ていただくと、つたない授業でも本当に小さなところまで目を配ってほめてくださるのです。例えば、「音読がいいですね」とほめていただくととても励みになりましたし、私もそんなふうに子供たちと関わりたいと改めて思えました。あるいは授業中に吉永先生が撮ってくださった写真を見ると、同じ子供の姿を見ているはずなのに、まったく異なったキラキラとした子供の姿が写っているのです。そのように子供を見る目をもちたいとも思いました。

それから、「国語力は人間力」と吉永先生はおっしゃっていますが、国語力はすべての教科の学びにつながることだから、改めて大事にしようと思うようになりました。例えば、挨拶一つをとっても、それは大事な国語力で、それは人とつながる力だと言われると、「日頃、『挨拶は大事』と分かったようなつもりになっているけれど、改めてそのように言語化されてみると、本当の意味では分かっていなかったな」と思ったのです。

そして、「国語力は国語の授業だけで育むのではなく、日常の生活から育むことが大切だ」と考え、朝の会で子供たちが順番にテーマに沿って話をしていくような取組も始めました。最初は朝ご飯に何を食べたかといった簡単なことから始めて、少しずつ話す力がついてくると、テーマに沿って多様な話をしていくわけです。もちろん朝の会だけでなく、多様な場面で表現する機会を設けることによって、子供たちが表現する力が少しずつついていきました。そうやって日常から育んだ力が授業中にも発揮され、いっそう子供たちの対話の質も高まっていきました。

このように1年目に久保先生、3年目に赤坂先生、10年目に吉永先生といった先生方との出会いに恵まれ、そこから多くの学びを得たと思います。そのほかにも、詳しく話すとキリがないのですが、すてきな管理職との出会いも多く、若手の頃から信頼して大きな仕事を任せていただいたり、若手も一緒に学校をつくり上げていくような取り組みを体験できたりするなど、本当に人に恵まれていたと思います。

積極的に手を挙げて、年間3本以上の研究授業をした年も

国語に限らず、授業づくりを学ぶということで言えば、若手の頃から積極的に取り組んだのは研究授業です。校内研究、市や府の研究発表、府の人権に関する発表など多様な研究発表の機会があったので、自ら積極的に手を挙げて研究授業に取り組みました。月に2本、研究授業をしたときもありましたし、年間3本以上の研究授業をした年もあります。

研究授業というと、「大変なものだ」「やりたくない」と思う若い先生もいるかもしれません。しかし、私は研究授業が嫌いではないというか、むしろ好きでした。それは、「どんな感じに子供たちはがんばるかな」「子供たちのがんばっている姿を見てもらえたら嬉しいな」「子供たちがいっぱいほめてもらえたらいいな」と思うからです。学びの主体である子供たちが生き生きと活動する姿を見てもらえるのは、とても嬉しいものです。

それに私自身、自分が完璧でないことを知っているし、だからこそ新たなことに挑戦しながら学ぶ機会をもちたいと思うし、失敗して当たり前だと思っています。だからこそ、研究授業での失敗から学べることも楽しいと思っていたのです。そのため、積極的に研究授業を行って学んでいきました。

そうして研究授業を通して学んだことが多いことを実感しているので、現任校では学力向上担当として全クラス授業公開をしてもらっていますし、子供の姿を通して授業づくりについて語り合うようにしています。

斎藤喜博全集を読み直す

若手の頃から本もいろいろ読んで勉強しましたが、今も私のバイブルの一つと言えるのは、斎藤喜博全集の第1巻にある「教室愛」です。

私は初任のときに、久保齋(いつき)先生から「斎藤喜博の本を読みなさい」と言われました。それですぐに斎藤喜博の全集を買って読んだのですが、当時はピンとこないままで本棚に置いてしまっていたのです。その後の勉強会でも、久保先生はよく、「斎藤喜博がこう書いているでしょ」と話されます。私はもちろん真剣に聞いてはいるのですが、何だか「ふ~ん」というくらいで、あまりピンと来ていないままでした。

その後、5年目くらいに長野県の平田治先生という、自問清掃で知られた先生にお世話になって、いろいろ教えていただいたのですが、その先生も斎藤喜博さんとつながりがある方で、そのすばらしさをいろいろと話してくださったのです。例えば、「子供を信じで子供に任せ、追究していく授業とはどういうものか」といったことも、斎藤喜博の実践を引用しながら話してくださったのです。

そうした経験があって、10年目くらいの頃に、改めてもう一度読んでみようと思って読み直したのです。その全集の第1巻に収録された「教室愛」は、戦前の実践について書かれたものなのですが、学び手である子供を今の教育から考えてみても「ああ、大切だな」と思う言葉がたくさんありました。私自身も日々授業づくりをする上で、「子供は今、どうだろう?」と常に子供の姿を意識していますが、時代を超え、そんな教育の不易の部分を感じられるすばらしい本なので、機会があれば若い先生方にも読んでほしいと思います。

今回は、岡本先生が国語という教科を学んでいった経緯や授業づくりを学ぶために積極的に研究授業に取り組んだことなどを紹介しました。次回は、学級づくりという視点での考え方や、これまでの経験を通して若い先生方に伝えたいことを紹介していきます。

次回【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第6回】「授業づくりも学級づくりも別のものではない」は、こちらです。

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之

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