“刃を研ぐ”ことから考える、働き方を見直す意味【妹尾昌俊の「半径3mからの“働き方改革”」第16回】
学校の“働き方改革”進んでいますか? 変えなきゃいけないとはわかっていても、なかなか変われないのが学校という組織。だからこそ、教員一人ひとりのちょっとした意識づけ、習慣づけが大事になります。この連載では、中教審・働き方改革特別部会委員などを務めた妹尾昌俊さんが、「半径3m」の範囲からできる“働き方改革”のポイントを解説します。
執筆/教育研究家・一般社団法人ライフ&ワーク代表理事・妹尾昌俊
目次
刃を研いでいる暇なんてないさ、切るだけで精一杯だ
前回は、自称“温泉理論”をもとに、有限な時間を何に振り向けるか考えよう、という話をした。今回はその続き。拙著『こうすれば、学校は変わる! 「忙しいのは当たり前」への挑戦』の一部から紹介しよう。
大ベストセラーの『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』というビジネス書では、7つ目の習慣として、“刃を研ぐ”ということを提案している。要するに自分を磨くということなのだが、次のストーリーがわかりやすい。
森の中で木を倒そうと、一生懸命ノコギリをひいているきこりに出会ったとしよう。
『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』(スティーブン・R・コヴィー著[フランクリン・コヴィー・ジャパン翻訳]キングベアー出版、2013)
「何をしているんですか」とあなたは訊く。
すると「見れば分かるだろう」と、無愛想な返事が返ってくる。「この木を倒そうとしているんだ」
「すごく疲れているようですが…。いつからやっているんですか」あなたは大声で尋ねる。
「かれこれもう五時間だ。くたくたさ。大変な作業だよ」
「それじゃ、少し休んで、ついでにそのノコギリの刃を研いだらどうですか。そうすれば仕事がもっと早く片付くと思いますけど」あなたはアドバイスをする。
「刃を研いでいる暇なんてないさ。切るだけで精一杯だ」と強く言い返す。
読者のみなさんもおわかりだろう。ノコギリの刃を研いだら、もっと効率的に仕事が片付くはずなのに、その暇がないんだよと言って、目の前のことに集中する。
これって、学校の先生たちにも当てはまらないだろうか? 小学校も中学校もとても忙しいのは事実だし、国や教育委員会のさまざまな施策がもっと必要なのは確かだ。だが、同時に、各学校や個々の教師が、「目の前のことで手一杯過ぎて、もっとうまくやる方法を考える暇もない」という状態になっているとしたら、それはそれで残念なことではないだろうか。
また、“刃を研ぐ”という意味では、自分の能力やスキル、精神力を磨いておく時間を大切にしたい。そのためにも働き方改革を進めて、余力を取り戻す必要がある。
部活動はハマりやすいから要注意
関連した話題でいうと、部活動では、生徒たちの成長する姿を見て、感動するシーンに立ち会うことができる。これは教師冥利に尽きるというものだ。しかし、だからこそ、部活は、教師も生徒もハマりやすいがゆえに、よくよく注意が必要だし、活動時間などに一定の制約が必要だと思う。
とりわけ、若手のうちは、授業準備などの本務を差し置いて部活にのめり込む教師がいることも問題だ。
中教審で働き方改革を議論しているとき、ある大学教授の委員が「若手3年目までくらいは、しっかり授業準備に時間を使ってもらうため、部活動顧問をさせないという選択があってもよい」という話をした。私はこの意見に共感する。“刃を研ぐ”ほうが大事だと思うからだ。
部活動はアクティブ・ラーニングの場
しかしながら、話はそう単純ではない。ここが教育や学びの難しいところでもあり、面白いところでもある。
ここまで、私は部活動について、教師の本業の授業とその準備とは別個のものであり、授業の力量を磨くこととは別のものと捉えて説明してきた。しかし、必ずしもそうとは言えない側面もあるのだ。
神谷拓教授(関西大学)は、教師は授業や授業外(学級活動や行事等)での指導の専門性を部活動の指導に活かしたり、試したりできるのであり、「そのような教育課程外・課外活動における自主的な挑戦は、結果として教師の専門性を磨いていくことになる」、つまり、「部活動は自主研修の場になり得る」と述べている。(※)
例えば、おそらくこういうことだ。運動部でも文化部でも構わない、そのスポーツや文化活動等についてどうしたらうまくなれるだろうか、またうまくチームワークよく取り組めるだろうか。生徒が問いを立てて、考え、議論して試していく。そういうアクティブ・ラーニングを教師は支援、伴走する。そこで教師はどうしたら生徒の主体性を引き出せるか、どのような支援が効果的かなどを学んでいく。こうした一連の部活動指導を通じて得たものは、教師にとっても、生徒にとっても、授業や行事などでも活きてくるはずだ。
つまり、部活動はアクティブ・ラーニングなどの格好の実践の場になりえる。
とはいえ、あまりにも部活動が長時間になり、授業準備が疎かになるようではやはり本末転倒というものだ。また、現実には部活動がアクティブ・ラーニングや生徒の主体性を引き出す場とは十分になっておらず、顧問や監督・コーチの指示に従わせて大会、試合等に勝つことが重視された運用をしているケースもある。
部活動が教師の自主研修の場になり、授業等ともうまく相乗効果を発揮していくためにも、やはり、ある程度の短時間で頑張っていくということは大事にするべきだ。
※神谷拓「部活動の存在理由―学校、子ども、教員の観点から―」日本部活動学会研究紀要第1号(2018年10月)
『総合教育技術』2019年7月号に加筆
野村総合研究所を経て独立。教職員向け研修などを手がけ、中教審・働き方改革特別部会委員などを務めた。主な著書に『変わる学校、変わらない学校』『学校をおもしろくする思考法』(以上、学事出版)、『こうすれば、学校は変わる! 「忙しいのは当たり前」への挑戦』(教育開発研究所)、最新著書に『教師と学校の失敗学 なぜ変化に対応できないのか』(PHP研究所)がある。