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ギフテッド当事者「等身大の自分を伝えたい!」  

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札幌には、ギフテッドのスペース、通称「ギフ寺」があります。そこに通うギフテッド当事者が、「等身大の自分を伝えたい!」とディスカッション形式で登壇してくれました。

本記事は、2022年7月17日(日)に札幌で行われたギフテッドの生きづらさ ~子どもたちが望む世界とは~」のシンポジウム報告です。毎週火曜日、全5回に渡ってご紹介しているシリーズの4回目です。

自己紹介と不登校のことなど

シンポジウムには、3名のギフテッドが登壇してくれました。司会・進行は、佐賀大学の日高茂暢先生です。

日高先生:自己紹介と、不登校になったときのことなどをお話しいただけますか?

ギフ寺の副住職こと空無垢(うつむく)です。現在、通信制の高校の1年生です。
不登校になったのは、小学校6年生の時と、中学の間の2年と数カ月です。
僕は、自分で言うのもおかしいのですが、優等生で、クラスの中でも活発なほうでした。でも、「自分は、周りと何かが違う」と感じていて、低学年の頃は過剰適応(※)していたと思うのですが、次第に辛くなっていきました。
加えて、先生との関係性の中で、「これはどうなんだろう?」と思うことが何回かあり、学校に行けなくなりました。

過剰適応: その場や、その時の人間関係に合わせて、「そこで求められていること」を過剰に行ってしまう行動パターン。「自分がどうしたいのか」が置き去りなので、本人はとても消耗する。気づかいができる子に起こりがち。「過剰適応」について詳しく知りたい方は、こちらもどうぞ。→「特別支援のプロ直伝!気になる子の指導と引きつぎ4事例」の事例3「気づかいさんに甘えてしまっていた!」

この春(2022年春)から、ギフ寺に通っている闇舟(やみふね)と、言います。通信制の高校1年生です。中学の時は、ほぼ学校に行っていません。小学校時代、僕は周囲にとても恵まれていて、「周りの期待に応えないと!」と、なんとか頑張って学校に通っていました。でも、ずっと自分と「学校というシステム」は合わないという気持ちは拭えませんでした。中学は受験をして、希望校に合格したのですが、中1の6月くらいから「学校に行くプレッシャー」で、朝、起きられなくなりました。

小学6年生のねこちゃです。最初に不登校になったのは、小学3~4年生のときです。そんな私の状態を心配した両親が、私に合いそうな学校を探してくれて、小学5年生で転校をするために、母と私だけ転居しました。今は、その小学校に通っていますが、五月雨登校のような状態です。

ギフ寺につながった経緯と印象

日高先生:ギフ寺につながった経緯と、最初の印象を教えてください。

中1の秋の終わり頃、(学校に行けなくなった)自分のことを母が心配して、いろいろ調べてくれている中で、ギフ寺の存在を知りました。行ってみようと思ったのは、完全に気まぐれです。「何が(学校に行けないという)今の自分の状態をつくっているのか知りたい」と思ったというのはありますが、大きく何かを期待していたわけではなかったと思います。(空無垢くん)

中1から学校に行けなくなって、中2の頃は、食事ができないなど、生命体として危険な状態でした。そんな状態の僕の様子に対して、母が「学校は、もういいから」と言い出して、そのタイミングでギフ寺の青年部の募集があったので、来てみることにしました。小泉先生が、「学校は、所詮、学校だから」とおっしゃっている言葉を聞いて、「学校というシステム」に限界を感じていた僕は、これまでの自分の苦しみが打ち砕かれた感じがして、「ここに行こう!」と、思いました。(闇舟くん)

周りの学校に通えている人は、「学校に行けなくて、大変だね」と心配してくれたり、私のことを理解してくれようとします。でも、実際に学校に通えている人は、私の気持ちは想像しかできないとも感じるのです。(学校に行けないという)経験がない人に、この辛さを本当に理解をしてもらうのは難しいんじゃないかと思っています。ギフ寺は、「学校に通えないという同じ辛さを実際に体験したことがある人たちが集まっている場所である」ということに魅力を感じました。(ねこちゃさん)

子どもたちが、お互いにとって、とてもよい理解者だと、感じます。子どもたちは、(悩みがある)子どもに対して、いつも絶妙な「いい返し」をしていますね。(小泉先生)

ギフ寺の活動を通じて感じていること

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