高校入学費を使い込み、失踪した両親~スクールソーシャルワーカー日誌 僕は学校の遊撃手 リローデッド③~


虐待、貧困、毒親、不登校――様々な問題を抱える子供が、今日も学校に通ってきます。スクールソーシャルワーカーとして、福岡県1市4町の小中学校を担当している野中勝治さん。問題を抱える家庭と学校、協力機関をつなぎ、子供にとって最善の方策を模索するエキスパートが見た、“子供たちの現実”を伝えていきます。

Profile
のなか・かつじ。1981年、福岡県生まれ。社会福祉士、精神保健福祉士。高校中退後、大検を経て大学、福岡県立大学大学院へ進学し、臨床心理学、社会福祉学を学ぶ。同県の児童相談所勤務を経て、2008年度からスクールソーシャルワーカーに。現在、同県の1市4町教育委員会から委託を受けている。一般社団法人Center of the Field 代表理事。
酔っ払って、学校に怒鳴り込む父親
民法の改正により、今年の4月1日から成年年齢が18歳に引き下げられました。咲良さんは今年19歳、新成人となりました。
咲良さんとの出会いは、私がスクールソーシャルワーカーになって間もなかった10年以上前になります。当時、父親のクレームに頭を抱えた小学校から連絡が入ったことがきっかけでした。
子供たちは3人きょうだいで、当時は咲良さんの兄がこの小学校に通っていました。兄は学校を休みがちではあるものの、いじめなど学校による原因ではないとのことでした。
いじめの事実がないにもかかわらず、父親は酒を飲むと憂さ晴らしのように「どうにかせんのか!」と学校や教育委員会、役場の窓口に怒鳴り込む“要注意人物”でした。警察への通報も提案しましたが、「今後、妹弟たちも小学校に通うことになるので、保護者との関係をこじらせたくない」と躊躇していたので、私が継続して家庭訪問に行くことにしました。
生活保護を受けている咲良さん宅は古びた木造の公営住宅で、玄関先にまでがらくたやゴミが積み重なっていました。咲良さんは保育園にも行かず、狭い軒先で遊んでいます。いろいろな物であふれた部屋の中には、酒臭い父親と幼い慧君の面倒を見ている母親がいました。知的障害がある母親はいつも父親の言いなりで、子供の予防接種など少し難しい会話になるとすぐにパニックを起こすため、保健師が代行して子供たちの予防接種を行っていました。
まともな生活環境ではないものの子供への虐待や放置などはなかったため、学校や行政も手を出すことができず、様子を見守るしかありませんでした。
高校入学費を払わず、入学を断念
状況が一変したのは10年余り経った2年前。咲良さんの両親が失踪したのです。
弟の慧君の進路について中学校から相談を受けていた私は、3年前から再びかかわっていました。
父親には借金があり、生活保護費が入っても返済に充ててしまう。「金がないから」と子供たちにはいろいろ我慢させるのに、自分は好きなだけ酒を飲んでいる。こんな状態なので3人きょうだいは、今は成人した兄の家に住んでいました。
兄姉は二人とも働いていると慧君から聞き、私は驚きました。
<確か咲良さんは高校2年生だったはず——>
仕事から戻った咲良さんに、高校を中退したのか尋ねると、「元々高校には行ってないし」と。せっかく県立高校に合格したものの、親が入学費を支払わなかったため、入学できず、コンビニエンスストアでアルバイトをしているというのです。生活保護世帯であれば、入学準備金として、高等学校等就学費が支給されるはずです。そのお金すら父親は借金の返済に充ててしまったのです。
咲良さんの進学時、咲良さん宅とのかかわりがなかった私は、そんな事情を全く知らずにいたことを悔やみましたが後の祭りです。「今さらしょうがないけ……」と淡々とあきらめ顔で話す咲良さんは、周りの17歳の女の子達より大人びた表情で、私は胸が痛くなりました。
私がこの家庭にかかわったのは、主に兄と弟の慧君で、咲良さんとはほとんどかかわりはありませんでした。咲良さんは、遅刻・欠席、暴言など学校で問題を起こすことは全くなく、家族の中でも、いい意味で全く目立たない存在だったためです。
慧君の「もう親と縁を切りたい」という悲痛な思いを聞き、中学校卒業までは兄宅で生活し、私も時折食料を差し入れしながら、状況を確認していました。