自由奔放な母親が無免許運転と薬物使用で逮捕された!〈後編〉~スクールソーシャルワーカー日誌 僕は学校の遊撃手 リローデッド①~
Profile
のなか・かつじ。1981年、福岡県生まれ。社会福祉士、精神保健福祉士。高校中退後、大検を経て大学、福岡県立大学大学院へ進学し、臨床心理学、社会福祉学を学ぶ。同県の児童相談所勤務を経て、2008年度からスクールソーシャルワーカーに。現在、同県の1市4町教育委員会から委託を受けている。一般社団法人Center of the Field 代表理事。
自由奔放な母親が無免許運転と薬物使用で逮捕された!〈後編〉
虐待、貧困、毒親、不登校――様々な問題を抱える子供が、今日も学校に通ってきます。スクールソーシャルワーカーとして、福岡県1市4町の小中学校を担当している野中勝治さん。問題を抱える家庭と学校、協力機関をつなぎ、子供にとって最善の方策を模索するエキスパートが見た、“子供たちの現実”を伝えていきます。
今まで通りの生活を送れるよう未成年後見になる
義晴君の母親が再び逮捕されたと聞き、私はすぐ義晴君の家に向かいました。家には21歳になった美里さんと中3になった義晴君、中1の美緒さんが神妙な面持ちで待っていました。
「無免許と覚醒剤、6年前と同じです」
美里さんが膨らみかけたお腹をさすりながらため息をつきました。美里さんは18歳で結婚し、ひとり目を出産しましたが、その後離婚。ふたり目を妊娠していたため、実家がある町営団地の隣の棟に居を構えていました。
「この家は、弟と妹のふたりきりになってしまう。本当なら、ふたりの面倒は姉の私が見ないといけんのだけど、うちの子もふたりになるから……」
2回目の逮捕なので、実刑は免れないでしょう。美里さんの言うとおり、その間彼女が4人の面倒を見るのは不可能です。ただ、6年前と異なり、弟妹はもう中学生。未成年後見人を立てて見守れば、ふたりで暮らすことも可能です。
未成年後見人とは、未成年者の監護養育や財産管理、契約等の法律行為などを、未成年者の代理人として行う者のことを言います。親権を行使する者がいない、または不在、虐待などで親権を喪失した等のケースの場合に選出されます。家庭裁判所に申立て、認められると、未成年者本人の戸籍に未成年後見人の名前も記載されます。
私はすぐに母方祖母を訪ね、事情を話しました。ところが、祖母には「もう嫌やけ。これ以上はかかわりたくない」と突っぱねられてしまいました。
このまま未成年後見人が見つからないと、児童養護施設に行かなければなりませんが、義晴君も美緒さんも拒否しました。特に義晴君は高校進学を控えており、生活環境を変えたくないと考えていました。
(こうなったら、私が未成年後見人になるか)
私は様々な事情から後見人登記に登録しているので、速やかな選任が可能です(なぜ登録しているのか、その事情についてはまたの機会にあらためて)。
こうして美里さんと私のふたりが、義晴君と美緒さんの未成年後見人となり、隣の棟に住む美里さんがふたりの生活を見守ることで、そのまま住み続けることができるようになりました。生活保護世帯から母親を削除し、ふたりで受給するように手続きも済ませました。
母親のとんでもない“置き土産”
私が未成年後見人になることを伝えるため、拘置所に面会に行くと、母親は「野中ちゃんなら任せられる。よろしくお願いします」と素直に承諾しました。母親の暇つぶしの電話に付き合い、つながり続けてきた甲斐がありました(笑)。
あとはきょうだいが平穏に暮らしていけるようにフォローしようと安心していたのですが、母親のとんでもない“置き土産”に仰天しました。
ひとつは、母親が町営団地の共益費を滞納していて、退去させられかねない状況だったことです。家賃は生活保護の住宅補助でまかなえますが、共益費は生活費から出さなければならないため、未払いのままだったようです。私はすぐに役場に出向いて事情を説明し、分割払いにしてもらうことで解決しました。
もうひとつは、4年ほど前に美里さんが付き合っていた交際相手の財布から、母親が金銭とクレジットカードを盗んで20万円ほど使い込んでいたこと。これは美里さんが元彼に少しずつ返済することで許してもらうことになりました。シングルマザーで身重の美里さんにとっては、いわれのない借金を返さなければならないですから、たまったものではありません。
高校卒業でプラスになった母親へのイメージは、2度目の逮捕+“置き土産”で一気にマイナスに落ちました。自由奔放な母親に振り回される子供たちに、やるせない気持ちになりました。
実刑判決を受けるも悪びれることもなく
今回は再犯だったこともあり、母親は懲役2年の実刑判決を受けました。
判決後の1月、私が拘置所を訪ねると、母親は悪びれることなく話しかけてきました。
「自分は優等生やけ、3月には帰れそうなんよ」
(ありえんやろ!)
「もう絶対、絶対にやらんから、信じて!」
(1回目もそう言ったやん)
「私の大切な大切な義晴と美緒をどうぞよろしくお願いします」
(大切なら何でこんなことするん)
「私もソーシャルワーカーの勉強をして成長せんと」
「うん、勉強も大事やけど、まずは子供たちのことを第一に考えてな」
「あ、そうやね。やっぱり野中ちゃんには勝てそうにないけ」
(どの口が言いよるんか!)
心から反省するという概念がない彼女に、私は心の中でいくつもツッコミを入れました(笑)。
義晴君と美緒さんは、美里さんの協力の下、これまで通りの生活を続けていきました。義晴君は地元の進学校に無事合格、美緒さんは卓球部に入り、充実した中学校生活を送っています。
母親が出所する2年後には、義晴君も成人間近の18歳。これ以上振り回されることなく、何とか母親からふたりを逃げ切らせてあげたいと強く思いながら、今後のふたりの進路をシミュレーションしています。
*子供の名前は仮名です。
取材・文/関原美和子 撮影/藤田修平 イラスト/芝野公二