コンピテンシーとは何か?【あたらしい学校を創造する #30】

先進的なICT実践と自由進度学習で注目を集めた元・小金井市立前原小学校教諭の蓑手章吾(みのて・しょうご)先生による連載です。公立学校の教員を辞して、理想の小学校を自らの手でつくるべく取り組んでいる蓑手先生に、現在進行形での学校づくりの事例を伝えていただきます。
カリキュラムづくりをする上で、コンテンツ(狭義の知識・技能)、コンセプト(見方、考え方)、コンピテンシー(学びに向かう力・人間性)の関係性を見つめてきた蓑手先生たちに、「コンピテンシーって何だ」という疑問が改めて湧き上がってきました。今回は前回に引き続き、コンピテンシーという概念を深掘りします。

目次
コンピテンシーはすでにみんなが持っている力
学習指導要領が改訂され、これからの子供たちにコンピテンシーを身につけることが求められるというような新しい動きが起こっています。しかし、コンピテンシーの概念を学ぶうちに、それはそもそも「身につけるものなのか?」という話題が僕らの中で上ってきました。
そもそもコンピテンシーというのは、獲得する力というよりも、みんなが持っているもの、個性に近いものだと言われているんです。つまり、暗黙知として一人ひとりがすでに持っていて、環境との相互作用の中で発露する力だというわけですね。だから「この学習をやりたくない」という拒否も、「この学習はこのやり方だったらやる」という一種の逃げとされていることも、コンピテンシーの発露と捉えられるというのです。
カリキュラムづくりの勉強会でその話を聞いたとき、僕は特別支援学校にいた時代のことを思い出しました。誤解を恐れずに言うと、支援が必要な子供は、そのほとんどが「コンピテンシーの塊」みたいなものと言えるということです。コンテンツを身につけるのは大変だし、コンセプトという抽象度の高いものを理解するのも難しい。それでも、彼らはコンピテンシーを発揮して、環境と相互作用しています。
今思えば、特別支援学校時代の僕は、たとえば「この子は音楽でインプットできるというコンピテンシーを持つ」「あの子は絵で描いてアウトプットできるというコンピテンシーを持つ」ということを把握して、僕はそのコンピテンシーに合わせた教材をつくり、表現する機会を与えていました。だから、その勉強会での話を聞いて、自分の経験とコンピテンシーベースの学びというものがつながったんです。
