ポストコロナ時代の学校-「個別暫定解」で迅速に行動を

新型コロナウイルス感染拡大による全国的な臨時休業が明けた学校。完全な収束への糸口がつかめない中、今後の子どもの学びの保障や安全確保などは、どのように考えながら講じられていくべきなのか。東京大学・慶應義塾大学で教鞭をとる鈴木寛教授に話を伺いました。

鈴木寛(すずき・かん) 東京大学教授・慶應義塾大学教授。東京大学法学部卒業後、通商産業省に入省。資源エネルギー庁、国土庁、産業政策局、シドニー大学などで勤務。2001年参議院議員初当選。12年間の国会議員在任中、文部科学副大臣を2期務め、学習指導要領の改訂などにも尽力した。
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教員のケアを含めた持続可能な体制への移行を
学校での子どもの安全確保という面で言えば、現場の教員や管理職が、大変うまく対応されているのではないかと考えています。日本には、小学校が約2万校、中学校が約1万校設置されています。しかし、7月上旬の段階では、子どもの健康面に関して大きな問題が起きた事例はありません。これだけ多くの学校がある中で、この結果は、驚異的なものと言えます。義務教育では900万人の子どもが学んでいますが、諸外国から見ても、日本の学校の感染対策の精度は非常に高いということが言えると思います。
もちろん、今後も油断はできませんが、問題が大きくなり始めた3月から、大変厳しい状況下で尽力してきた教員の方々には、まず敬意と感謝を表したいです。引き続き、消毒やソーシャルディスタンスなど、精度を保った取り組みを行っていけば、感染防止については問題ないでしょう。
この状況下で、教員の精神的、肉体的ストレスは相当たまっています。まだ収束の目途はついておらず、さらに長期化することも考えられます。日本では、追加的な措置を講じることに頭を働かせがちですが、今、最も重要なのは、持続可能な体制への移行について考えていくことではないでしょうか。そこには、ここまで頑張ってきた教員をどうケアしていくかという課題も含まれるでしょう。教員の勤務体制をローテーションにするなど、教員の負担を少しでも減らす方法を見つけていかなければなりません。
学力の維持のみにとらわれず、学校にしかできないことを考える
もちろん、最優先すべきなのは感染の防止であることは間違いありませんが、学校ではその次のプライオリティーをどう設定するかを考え直す必要があります。学校現場では、学力の維持をどうするかを非常に気にしているケースが多いようです。標準時数をいかにこなすか、授業進度をいかに挽回するかということに頭を抱えている教員は多いのではないかと思います。
しかし、小学校に関してお話しすると、学力は後の学習の進め方を工夫して挽回することができますが、傷を負ったり落ち込んでしまったりした心をリカバリーすることは難しく、そのプランを立てることもできません。転じて、いじめや引きこもりなどに発展してしまった場合には、学力の挽回どころではなくなってしまいます。学力よりも子どもたちの心のケアを優先するべきです。
このようにお話しすると、「教員だけが子どもの心をケアしなければならない」と捉えられがちです。もちろん教員によるケアも重要です。しかし、現状で最も足りていないのは、子どもたち同士のコミュニケーションです。新型コロナウイルスへの感染対策の性質上、学校現場でもどうしても子ども同士が触れ合う機会は少なくなってしまっています。
「学校でしか得られないものは何か」をよく考えてみてください。その答えは、「友達」です。友達をつくって、一緒に楽しい時間を過ごす。これが、子どもにとって何よりもの喜びであり、幸せなのです。小学校には、この喜びを子どもに味わわせるという役割があります。子ども同士の関係をどのようにつなげていくかを重視していかなければなりません。
学校現場でも、程よいバランスで物事を進めていくことは非常に大事です。特に日本の教員の性質として、ルールや、やらなければならないと言われていることに縛られてしまうことが多いです。しかしこれでは、教員が今本当にやるべきことを見定めて行動するのは難しいでしょう。そこで管理職は、「教員だけに任せていたら、やらないこと」に目をつけて方向づけ、明確なメッセージとして教員と共有していくことが重要です。