対象と動詞がはっきりしているのがよい授業【次期学習指導要領「改訂への道」#33】

これまで4回に渡り、中央教育審議会の総則・評価特別部会の副主査を務める石井英真准教授(京都大学)に、学習指導要領の重点化、表形式化の意味や知の三層構造と資質・能力の関係などについて整理、説明をしていただきました。
最終回となる今回は、それらを踏まえた上で、次期学習指導要領も見据えながら授業改善を図っていくために、現場の先生方に考えていただきたいことについてお話を伺っていきます。
目次
まっさらの教科書を学び手目線で見てみることが大事
最近、現場の先生と話をすると「学習指導要領が理論だ」という人がいます。確かに、現行学習指導要領は少し理屈っぽいので、理論のように見えるかもしれませんが、学習指導要領はあくまで教育課程の枠組みです。以前はその枠組みを、実践を通して相対化するような民間研究団体の取組や実践の理論もありましたが、近年はそのような現場の教育学が弱まっているため、先生方は学習指導要領が理論だと思ってしまう傾向があるのだと思います。
しかし、教材研究は先生方にとって重要な生涯学習ですから、若いうちは(小学校なら)どの教科もまんべんなくではなくてよいので、(中学校ならもちろん)まずは1つの教科を3年でよいのでしっかり深めてみるくらいがよいと思っています。そして、教科書と学習指導要領を横に並べ、「分からないときには学習指導要領のここを見ればよいのか」とか、関連資料へリンクで飛びながら、どのように視線を展開すれば単元・授業づくりができるのかを学べば、日々の授業が大きく変わります。
現実に、若い先生に何を見て授業づくりをしているのかと聞くと、一般的には指導書だと言われますが、私が知る限り指導書も見ていない先生は少なくないと思います。SNSに挙げられたネタや指導案や各自治体が示している「〇〇スタンダード」というようなものを見てつくっているのです。
それらを見る前に、子供たちが見ている、朱書きのない、まっさらの教科書を見ているかというと見ていないのではないでしょうか。つまり、最初から教え手目線でしか教材を見ていないわけです。そうではなく、さらの教科書を学び手目線(子供目線)で見てみることが大事で、そうすると「あれっ、ここに飛躍があるぞ」と気付くかもしれないし、実際に指導書などを見ると飛躍への留意が記されていることに気付き、そうなればそこを重点的にやらなければならないことが分かるのです。
近頃授業づくりに伸びやかさや挑戦が少なくなっているように思います。言い換えれば、こういうステップやパーツが入っていないといけないというように、学習手順の点検項目をこなしていくような思考に陥っていることがあるように思います。また、自治体によっては、指導主事訪問などで、自治体のスタンダードに沿った流れなのかを点検されることもあるため、子供の学ぶ姿から授業を考えるのではなく、「〇〇の学びに」なっているかどうかに捉われてしまっていることもあります。
しかし、本当によい授業というのは授業のどの段階で見ても判断することができます。子供たちが単元・授業の各局面で、何か(その局面で重要な対象)について思考を働かせているのがよい授業です。つまり、対象と動詞がはっきりしているのがよい授業なのです。それがしっかりできていれば、結果は自ずとついてきます。
言い換えれば、授業づくりとは、いかに子供たちを材と出合わせ、没入させて、「もっとほしい」と言わせるかということです。結局、その授業で子供たちは何と出合い、どんな動詞を経験して、何が残ったかです。さらに1つ欲を言えば、それによって、子供たちの生活、子供たちの世界はどう広がったのかということです。それを見ておけば、授業のよし悪しは判断できます。
ちなみに動詞とは、その対象に関わる本質的な動詞です。国語の「読む」であれば、読めていないことに気付き、読み深めていくものですから、そのような教科の本質に関わる「読む」「聞く」「書く」「話す」がない授業は国語の授業とは言えないのです。そのようなことを子供の事実から見ていくのが、授業研究なのです。
