【連載】坂内智之先生の 愛着に課題を抱えた子が伸びるアプローチ~学級担任にできること~♯4 学校が愛着障害を悪化させている!

近年、教員たちが対応に苦慮し、学校現場を根底から揺るがしている「愛着障害に苦しむ子どもたち」。そうした子どもたちによって荒れた学級を何度も立て直してきた坂内先生が、今、学級担任に何ができるのかを提案し、これからの学級のあり方について考えていく連載第4回。今回は、子どもたちの愛着の課題を増幅させてしまう学校側の要因について考えていきます。
執筆/福島県公立小学校教諭・坂内智之
目次
はじめに
愛着障害は、子どもや家庭だけが原因で起きるのか。私はそう考えてはいません。
今の学校には、子どもの愛着障害を悪化させるような要因がたくさんあります。学校に悪化させるような要因がなければ、子どもは学校で不適切な行動をとったり、学校を休んだりはしないのです。学校にも原因があるからこそ、学校内で子どもたちの状態は悪くなるのです。
しかし、残念ながら私たち教師の多くは、そうした学校側の原因に気づいていません。そのため、子どもや親だけにその原因を求めてしまったり、解決方法が見えず途方にくれたりしてしまいます。
今回は、子どもの愛着の課題を増幅させてしまう学校内部の原因について解説していきます。
1. 「不安」を動力源としている学校
小学校入学直前の幼稚園や保育所で、子どもたちにはどんな語りかけがなされているでしょうか。明るく希望に満ちた素敵な言葉をかけられる子どもがいる一方で、「小学校はとても大変だよ」「もっとしっかりしなければ」「1日中ちゃんと席に着いていなければいけないよ」、そんな言葉を受けてきた子も多いのではないでしょうか。
その言葉通り、子どもたちは学校に入学すると行儀良く席に着き、背筋を伸ばし、腕はピンと真上にあげることを指導されます。こうして子どもたちは入学した途端、集団で揃えることや、数多くのルールを守ることに徹しなければならなくなります。この流れは学年が上がってもさらに続き、「そんなんじゃ2年生になれないよ!」「もっと勉強をしっかりやらないと5年生になれないよ!」など、常に「今のままではいけない」という不安を煽る言葉が繰り返されます。
そして6年生ともなると、今度は「中学校では」と指導されます。中学校では「いつまでも小学生気分ではいけない」「これまでとは違う」「受験に向け、このままではいけない」と続いて聞きます。こうして子どもたちは、義務教育の期間中「不安」を基盤とした学校生活を送ることになります。
その中に、幼いころから愛着形成に課題のある子どもが入ってきたら、どうなるか、この連載をここまで読まれてきたみなさんには、はっきりと想像できると思います。
ではなぜ学校は、私たち教師は、こうした「不安」を投げかけてしまうのでしょう。
それは、子どもの行動をコントロールしたいという欲求に理由があります。学級という集団を束ねている教師は、「子どもが自分の指示を聞いてくれないかもしれない」「勝手なことをされるかもしれない」というような不安を常に抱えているのです。ですから、子どもたちを揃えること、そしてそうできないことへの不安を投げかけ、勝手な振る舞いを防ごうとします。子どもたちに「もっとしっかりとしなければ」「今の自分ではだめだ」と感じさせておいたほうが、指導する側にとっては都合がよいのです。
こうした言葉が全ていけないとは思いませんが、学校内、学級内の子どもの問題行動が悪化すればするほど、こうした言葉は増え、口調もより強くなります。こうして教室は不安の悪循環に陥ってしまいます。
また、学校は競争が大好きです。競争することは子どもにとっても、とても魅力的なものです。その最大のイベントは運動会でしょう。紅白に別れて大声で声援し、競技で大盛り上がりを見せる姿はとても微笑ましいものです。一方で、こうした競争は学校のあらゆるところに存在します。特に体育の授業では、縄跳びや持久走、水泳なども順位やタイムなど、昨年と比べ、どれだけ向上し、速くなったかを比べるイベントが多くあります。
また、学習(宿題)の到達度をシールにし、教室に貼って可視化したり、生活の動作(準備や並ぶのが早いなど)を競ったりすることも日常的です。こうした見えにくい競争も学校生活の中に多くあります。
こうした競争は、子どもの行動を素早く的確にコントロールするのにとても効果的です。しかし、そうした働きかけの中に「不安を煽る要素」も内在していることを知らなければいけません。「もっとやらなくちゃ」「負けてしまう」「みんなより自分はできていない」というように、子どもの不安を高めてしまう反作用もあるのです。心の基盤がしっかりとした子どもなら、競争を楽しみ、自己成長につなげ、自分を高めていくことができます。しかし、幼いころから安心や安全が確保されていない子どもにとって、競争することはマイナスに作用するのです。
実際に現場で、こうした競争から「あきらめる」「投げ出す」「逃げ出す」子どもが増えてきていることを実感している方も多いと思います。愛着の形成がしっかりとしていない子どもは、競争し、みんなの前で負けてしまうことをとても恐れます。競争で負けることは自分の価値(有能感)が大きく下がってしまうことになるからです。
子どもたちはこうした不安でいっぱいの学校の中で過ごすことで、愛着の課題をより強化してしまうことになります。こうした学校側の働きかけが、不適切な行動や登校しぶりや不登校が増大していく一つの原因となっているのです。
2. 大きく偏った学力観
近年の学校の変化と子どもたちの姿の変化に連動していると考えられるものが一つあります。それは「学習指導要領」です。
平成元年改訂の学習指導要領は、「社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成」がテーマでした。つまり子どもの人間性を重視する改定が行われたのです。生活科やその後に新設された総合的な学習の時間にもつながっていく、新しい教育の在り方の方向性を示すものでした。併せて年間の総時数も軽減されました。子どもたちにゆとりをもたせて学ばせたいというものでした。しかし、そうした取組は、PISAテスト結果の国際順位が下がり始めると、「ゆとり教育」「ゆとり世代」と揶揄されるようになります。
こうして国際順位の復活を目指し、学習において知識や技能の確実な習得が叫ばれることになりました。合わせて2007年からは全国学力・学習状況調査も行われるようになり、都道府県間での学力競争も始まりました。学習指導要領の評価の順番も入れ替わり、知識・技能が3観点の中で最初に評価されるものとなりました。こうした振り子の揺り戻しによって、教育現場は大きく変化しました。
知識・技能の徹底を図り、全国学力・学習状況調査の得点を少しでも上げるために、各都道府県が独自の学力テストを行ったり、その結果を分析したりすることになり、学力向上が学校教育の最重要課題となりました。
こうした学習指導要領のトレンドの変化は、文部科学省による児童生徒の問題行動調査で見えてくる子どもの姿の変化と、時期が強くリンクしているように感じます。
実際に学校現場では、学力の向上、確実な知識・技能の習得が最重要課題となったことで、教師はクラスの子どもの成績の向上という大きなプレッシャーをもちながら、学習指導にあたるようになりました。こうして子どもたちは、大量の宿題や形成プリント、評価テストだらけの世界に投げ込まれていきます。また、学習の定着のため、テストでの知識理解の強化、家庭学習の徹底など、あらゆる部分で隙間なく、きめ細かく指導が入ることになりました。こうした取組の全てが悪いわけではありませんが、幼い頃から愛着に課題を抱える子どもが、こうした学校の学習環境の中で生きていくことを想像してみてください。胸が苦しくなりませんか。
こうした背景によって、授業中に不適切な言動を繰り返したり、または無能を装って学習に取り組もうとしなかったりする子どもが増えてきたのだと感じます。その姿は子どもたちの心の叫びなのかもしれない、と私は感じます。
3. GIGAスクール構想の光と影
近年では子どものタブレット問題に頭を抱えている先生方が多いのではないでしょうか。
文科省のGIGAスクール構想では、1人1端末を持ち、高速大容量の通信でつなぐことで、個別最適化された学びの推進や創造性を育むことを掲げています。こうして、全国どこの小中学校でも授業でタブレットやパソコンが使われるようになってきました。
しかし、特に小学校ではこうした先進的な取組の中で、タブレット端末やパソコン関連のトラブルが激増しています。この連載の第3回で書いたように、子どもたちがその生育過程で愛着形成に課題を抱えてしまう大きな要因として、スマートフォンやタブレットの使用が挙げられます。
特に愛着障害と言われるような子どもは、タブレットから離れられません。授業中にやめるように指示しても全くいうことを聞かず、ずっとプログラミングでゲームをしたり、好きなゲームやアニメの検索をして眺めたりするという、教師側が本来想定していない使い方をする子どもが増えました。
当然、その使い方をめぐって、教師と子どもとの間でトラブルになります。さらに、そうした子どもたちは休み時間にも手放せなくなり、家庭に持ち帰ってもずっとタブレットを使ってしまうなど、さらに強くデジタルデバイスと密着してしまいます。
こうして多くの学校では、端末を正しく使うための厳格なルールが作られたり、授業でも特定の場面だけしか使わせないようにしたりして、使用を大きく制限することになりました。それでも、授業の中では使用する場面も多く、不適切な使い方をする子どもたちが後を絶ちません。
愛着に課題を抱える子どもと、タブレットとの切り離しはとても難しいものです。タブレットを無理やり取り上げようとしたり、強力に制限したりすることをきっかけに大暴れし、教師や友人への暴力に発展したという話を耳にしたことがある方は多いのではないかと思います。
一方、子ども側からすると、不安な学校生活の中で唯一、自分が没頭できる時間、夢中になれる時間、好きなことができる時間なのですから、それを邪魔されれば怒りが沸くのも当然かもしれません。
GIGAスクール構想そのものは、これからの時代の教育に欠かせないものであることは確かですが、その普及を急ぐあまり、こうした負の影響についてのガイドラインの策定や対応が遅れています。
こうして今も学校現場では、タブレットの使い方をめぐって教師と子どもとの対立が続き、子どもも教師も心が疲弊しているのです。
4. 強い生徒指導体制
まだ私が若いころの話です。同学年の担任が、悪いことをした子どもを叱ってほしいと、子どもを私のところに連れてきたことがあります。昔は、男性の先生が父親の役割として、大きな声で怒鳴ったり、厳しい言葉をかけたりすることで子どもの悪い行動を抑えるという指導がありました。近年では、こうした指導は少なくなってきましたが、それでも子どもを怒鳴りつけるというシーンはよく見聞きします。
第2回で解説したように、今、学校現場は大きく荒れてきています。他者や物への不適切な行動を強くとる子どもたちの増加に対して、多くの学校は生徒指導の強化を図っています。担任の恐怖指数は上がり「自分のクラスも荒れてしまうのではないか」「あの子をしっかりと抑えないと」と、より強い管理体制へと働いてしまいます。こうして「全員同じく揃える」「時間を守る」「背筋を伸ばして椅子に座る」「一列で揃えて歩く」など、全員に一律の行動をとらせることで、強く子どもの行動を管理していくようになりました。
しかし、それらは行き過ぎると、大きな心の「抵抗」となります。愛着に課題のある子どもたちはそうした窮屈さに敏感に反応します。脱抑制型の子であれば、それは不適切な行動へとつながり、抑制型であれば、それは不安の増大や言動のシャットダウンへとつながっていきます。
不適切な行動をとる子どもに対しては、どうしても強い指導になりがちです。体が大きく立場の強い教師が怒鳴ったり、子どもの体を無理に押さえつけようとします。しかし、愛着障害の子どもの不適切な行動は、強い対応では決して収まることはありません。愛着障害の子どもの中には、暴力が止まらなくなる子ども、激しく叫んだり、暴れたりするような子どももいます。多くの場合、その子どもを上回る強い言葉や力でその行動をやめさせようとするのですが、それらは悪手で、さらに大暴れすることにつながってしまいます。
愛着障害の子どもは安心や安全がほしいのですから、その反対の行動となる「力づくの制止」や「攻撃的な言葉」は、より子その子を敏感に反応させてしまうのです。
また、校長室に連れていかれ、より権威のある校長から指導される、諭されるという対応も見てきましたが、それらも悪手です。それで収まったとしてもせいぜい数日です。たいがいは悪化し、また校長室に呼ばれるという繰り返しが起こり、より強く叱られるという結果になっていきます。
最後には保護者もその場に呼ばれ、状況はさらに悪化していきます。最も愛されたい両親から教師の前で𠮟られ、がっかりされることで、愛着に課題を抱える子どもの状況はさらに悪化していくのです。
5. 愛着形成の課題を抱える子は一人ではない
ある学校で理科の教科担任をしていた時です。子どもたちの使っていたタブレットに誰かが不正アクセスし、私の悪口を書き込んだというトラブルがありました。
その時の悪口というのが「坂内先生、むかつく」という言葉です。この言葉を見たときに、ちょっと違和感がありました。攻撃的な言葉なら、もっと強い言葉、例えば「しね」だとか「クソ」「ザコ」など、もっと相手を落としめる言葉がでてくることでしょうし、名前も呼び捨てになるはずです。
しかし書き込みには「坂内先生」とあります。そもそも最近そんなに恨まれるような行動をとった覚えもありません。そういえば、数年前にもこれと似たようなことがあったなと思い出しました。その時との共通点は何か? それは、みんなの前である子どもを「ほめた」直後に起こったということです。これまでこの連載を読まれてきた方はピンとくると思います。そうです。これが愛着に課題を抱えている子どもの行動パターンなのです。
例えば、気になっているある子どもがよい言動をしたとして、それをみんなの前で伝えるというのは、教師としての常套手段です。クラスみんなの前で、温かい言葉で称賛し、その子の自己有能感を高めてあげるというのは、教師としての大事な関わり方です。
ところが、近年ではこうした教師の言葉に共感するどころか、「なぜあの子ばかり」「ひいきしている」と、拗ねてしまう子どもが大勢います。特に教室の不安感が強いクラスで誰かがほめられると、事例のようにマイナスに作用することがあるのです。
また、「あの子が気になるなあ」と思って声をかけたり話を聞いたりしていると、それを見た他の子どもが話に割って入り、自分のことをしゃべり始めるというのも、よくある光景です。愛着に課題を抱える子どもはとにかく、日常的に何かを訴えてきます。
もしそれが他の子どもに邪魔され、割って入られれば、癇癪を起こしたり、拗ねてどこかに行ってしまったりもします。愛着障害の子どもは教師との特別な関係を望んでいます。ですから、愛着障害の子どもが複数いるクラスでは(それが今の学校現場では日常なのですが)、それぞれの子どもの心の不安が複雑に絡み合っていきます。これが学級という集団の難しさなのです。
6. それは「愛着障害」なのか「発達障害」なのか
文部科学省のデータで示されるように、問題行動のある子ども、不安を抱える子どもの数はどんどん増えてきました。そうした子どもへの対応として、特別支援学級への措置替えや、通級指導が増えてきました。
多くの場合、そうした子どもたちは発達障害と診断されていくことになります。この問題は現在の教育現場を揺るがす大きな課題だと僕は考えています。
下に示す図は文部科学省のデータですが、平成25年からの10年間、全国の小中学校では特別支援学級数や通級による指導は年々大幅に増え、現在では10年前に比べて2倍超になっています。これらの増加について、「発達障害が広く認知されるようになった」「これまで見過ごされてきたからだ」という話もよく聞くのですが、それは本当でしょうか。
中には中規模の小学校(児童数600人程度)で特別支援学級が9クラスにもなったという話を聞くこともあります。その中には、誤った診断がくだされている子どもたちが大勢いるのではないかと疑っています。愛着障害と発達障害は、問題行動がとても似ているからです。
では、その区別はどう付けたらよいのでしょうか。

これまでご紹介してきた米澤好史先生(和歌山大学教授)が指摘するのは、発達障害であるASDやADHDの子どもの姿は、1日や1週間という一定の期間の中で観察してみるとほぼブレがなく、一定だということです。例えば多動な子どもは、朝から多動で、授業でも、休み時間でも、放課後でもその言動は変わりません。特別なことがない限り一週間の行動に大きな変動はありません。ASDの子の場合は、特定のことへの困り感や不安などに変動がなく、支援がないといつも困り続けているという感じです。ですから対処の仕方がとても明確で、すぐに効果を発揮します。
一方、愛着障害の子どもの場合は、観察される姿の変動が大きくなります。例えばネガティブな言葉をきっかけにキレたり大声を出したり暴れたり…。しかし、時間が経つとけろっとして話しかけてきたり、何事もなかったかのように過ごしたりします。
現場の教師はむしろそうした姿の「変動」に困り感をもっていることが多いのではないでしょうか。「昨日はうまく行ったけれども今日はダメだった」というように、日々の対応や対処に効果を感じられないことが困り感につながっているのではないかと思います。
特別支援学級や通級指導に通う子どもたちの中には、多くの愛着障害の子どもが隠れていると考えられます。特別支援学級で発達の障害特性に合わせた対応をしているのにもかかわらず、その効果が表れないということはよく聞く話です。愛着形成の課題を抱える子どもに対し、発達障害の子どもへの対応をしても効果が無いのは当然です。
さらに大きな課題と言えるのは、小学校の特別支援学級から中学校の特別支援学級に進学した場合、不登校率がとても高くなることです。それに関して公表されている詳細なデータはありませんが、関係する方々の話をまとめると、そうした傾向がはっきりと見えてきます。小学校でも、中学校でも愛着障害について理解が進まず、キーパーソンのつなぎ方も不適切なまま、進学した学校の中で孤立した状態に陥っているのではないかと予測しています。近年の中学校における不登校生徒数増加の大きな要因の一つとなっていると私は考えています。
7. 浸透していない「愛着障害」への理解
学校現場の最も大きな課題は、こうした愛着障害について、理解していない先生方が多いということです。かつて自分がそうであったように、愛着障害が「虐待やネグレクトから起こるものだ」「特別な子どもに起こることだ」と考えている教師が今も大半です。
また、愛着障害という言葉を知っていても、それがどんな行動や姿なのか、イメージできていません。ですから問題行動が起こった時にも、それが愛着から来ているものだと理解できていません。こうした学校現場の状況から、子どもが問題行動を起こしたときに、対応を間違えてしまい、増幅させてしまうことも多いのです。
「何をやっているんだ!」「もう勝手にしなさい」「学校に来なくていいです」「出ていきなさい」「混ざらなくていいです」。こうした怒鳴ったり切り捨てたりする言葉は、子どもの状況をより悪化させてしまいます。そして問題はさらに大きくなり、担任では手に負えなくなっていきます。
また、登校しぶりや不登校となってしまう大きな要因も愛着の問題だと思われます。子どもが学校に行きたくない理由を探り、その理由を解決しても、なかなか登校にはつながりません。なぜなら子ども自身に、もなぜ自分が学校に行きたくないのか、本当の理由が分かっていないからです。子どもから出てくる理由は後付けだと言えます。
愛着の課題が原因なのですから、学校の中に安全基地や安心基地がない限り、子どもはいつまでも不安定なままです。ですから、当然学校には足が向きません。子どもが口にする「学校に行けない理由」に対していくら手を打ってもなかなか解決しないのは、こうした愛着の課題が絡んでいるからです。
愛着形成が不安定だという子どもの心の状態を理解して初めて、様々な問題行動を理解できるのです。
実際、私がこの愛着障害について学び、理解し始め、それに合わせた対応がとれるようになってからは、大きな課題を抱えたクラスでも、安心して立て直せるようになりました。今、教育現場は、愛着障害とその対応について、深く学んでいく必要があるのだと私は考えています。
この連載ではここまで、愛着障害の子どもたちの実態や愛着障害についての基礎知識、そして学校が愛着障害を増幅させてしまうという課題について解説してきました。
次回からはいよいよ解決編です。愛着を抱える子どもへの対応方法について、私の実践の中で効果のあったものについて、みなさんに紹介していきたいと思います。

坂内智之プロフィール
ばんない・ともゆき。1968年福島県生まれ。 東京学芸大学教育学部卒業。福島県公立小学校教諭。協働学習の授業実践家で「学びの共同体」から『学び合い』の授業を経て、20年以上にわたり、協働学習の授業実践を続ける。近年では「てつがく」を取り入れた授業実践を行う。 共著に『子どもの書く力が飛躍的に伸びる!学びのカリキュラム・マネジメント』(学事出版)、『放射線になんか、まけないぞ!』(太郞次郎社エディタス)がある。
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