【木村泰子 × 堀智晴 対談】子どもと大人の響き合い讃歌〜インクルーシブ(共生)な育ちの場づくり《第0講》
来る5月から7月にかけて、3ヶ月連続で予定されている全3回のオンライン講座「子どもと大人の響き合い讃歌〜インクルーシブ(共生)な育ちの場づくり」(主催/小学館教育編集室)の開催に先立ち、かつて大阪市立大空小学校の運営を通して旧知の仲である木村泰子先生と堀智晴先生のお二方に言葉を交わしていただきました。講座に先立つ「第0講」ということで、ご覧ください。
木村先生と堀先生のオンライン対談講座「子どもと大人の響き合い讃歌〜インクルーシブ(共生)な育ちの場づくり」の詳細・お申し込みはコチラをご覧ください

木村泰子(きむら・やすこ)
大空小学校初代校長。全教職員のチーム力で「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」を理念に大空小学校をつくる。学校を外に開き、教職員と子どもとともに地域の人々の協力を経て学校運営にあたるほか、特別な支援を必要とされる子どもも同じ教室でともに学び、育ち合う教育を具現化した。2015年春、45年間の教職歴をもって退職。現在は全国で講演活動などを行う。『お母さんを支える言葉』(清流出版)など著書多数。

堀智晴(ほり・ともはる)
インクルーシブ(共生)教育研究所代表。大阪市立大学生活学部で主に障がいのある子の保育・教育について研究。今の研究テーマはインクルーシブ保育・教育の実践研究と障がい者問題・人権問題。著書に『保育実践研究の方法』『子ども同志の響き合い讃歌ーちがうから、豊かになれる』(ともに川島書店)。
目次
二人の出会いと大空小学校

木村: 私が最初に堀さんを知ったのは、大阪市立大学で教授をされておられたのを私のお友達を通じて知ったんですね。そのとき感じたのは「えっ? 子どもの味方の大学教授っているんや!」っていう驚きでした。堀先生はいろんな難しいことから子どもを分析していくんじゃなくて、人権という土俵で子どもを見られていたんですね。それですぐにつながって、大空を開校した年から来ていただいて、学校のメンバーになっていただいたんです。
堀:木村さんとは、もうお互いに自己紹介する前から、なんか気が合うんですよね。だからもうすぐ校長室に行って、どうぞどうぞ、お茶でも飲みましょうとコーヒー飲んだりしてね。だからなんか無理がなかった。
木村:堀さんは「なんかお願いします」という関係性じゃなく、大空の職員室に当たり前のようにいてくださってた。これが実は大空の当たり前やったし、「みんなの学校」をスタートしたきっかけもそこにあるんです。
堀:私が大空小に行くようになったのは、なにしろ近かったんですよね(笑)。家から歩いて十分ぐらいで、大空に行くために自転車買ったら五分もかからないですね。行って感じた印象を一言で言うと、大空小学校の空間が非常に楽な、自分が楽に居られる場所なんですね。つまり、オープンなんだ。ああ、いい学校だなと思いました。
木村: みんなの学校づくりがスタートしたときに、学校の校長や教員や職員だけが職員室にいる環境ではなくて、いつも堀さんがいらっしゃいました。調べたら学者として偉い人なんですけど、そんなのもうどっかに置いといて、一人の堀智晴さんという人がいつも大空に当たり前にいて。といっても、だいたい職員室にいてないんですよ。授業にどんどん入っていかれるから、そこら中の子どものところに行かれてたんです。
堀: 私も堅苦しいの嫌だからね。馴染んでいくという形で子どもたちとも先生たちとも友達になりました。こちらが仲間に入れてもらったっていう感じですね。校長室とか職員室もいろんな人が出入りするし、先生たちの雰囲気もみんな仲間として話合いをします。子どもたちもトラブルを起こすと、子ども同士が話し合うために立ち会ってもらう大人を探しに職員室に来たりしてるからね。やっぱり一口で言えば仲間。それがあって大空小学校の空間が非常にオープンなんです。
木村:私たちがまず何を大事にしてたかっていうと、やっぱりすべての肩書きは横に置いて、子どもの前の一人の人、大人同士だって肩書を横に置いたら、人と人と対等な関係になるでしょう。ここは常に求めていました。常に人と人が学び合う場。つまり、すべての人と人が違いをリスペクトし合えば対等な関係性になる学びのパートナーになれるよねっていうところをね、なんかすごく大事にしたいなと思ってたので、そのことを今堀さんが見事に言っていただいたなって私は聞きました。
堀: 今の木村さんの話聞いてて思い出したんだけどね。いつだったか木村さんが私に、大空小でやることは問題もいっぱい起きて大変だけど、学校に来てしんどいと思ったとか、学校へ行くの嫌だと思ったことは一度もないっていうことを自然な形で私に言われたんですね。ああ、そうか、そういうふうにして学校に来てるんだなぁと、ものすごく嬉しくなりましたね。
学校という場の変革
木村: とにかく学校って、そもそも大人にとっても子どもにとっても楽しい場所なんですよ。無理して行くところではないんですよね。トラブルが起きたらチャンスじゃないですか。そのトラブルを成功体験に大人も子どもも変えていけるから。でも、楽しい場所にするには大人が変わる以外に方法はない。大人が変わらへんかったら大人も楽しくないし、子どもも、もっと大人が楽しんでない場所で楽しめるなんて思えないし、それは不安やろうなと思うんですよね。
堀: なるほどね。確かに私は、今でもいろんな学校に行ってるけど、やっぱり子どもに目を向けると、子どもっていうのは楽しいことを求めて楽しくやってますよ。結構ね。だけど、先生とか大人、学校の中で先生とか大人なんか結構楽しんでいるように見えないんだよね。やっぱり肩書きとかで、なんか鎧を着たり敬意での付き合いっていうのは、ちょっと嫌だなと思われているんじゃないでしょうか。
木村: 実は私も大空の一年目、初めて校長になったときに、自分で子どもより「いい学校やね」って褒めてもらうことが校長の仕事みたいに、二ヶ月間ほどブレました。このブレた時に見事に自分でやり直しさせてくれたのは子どもやったんです。だからそんな風に二ヶ月間残念な校長としてブレた自分がやっぱりあるから、全国の校長先生たちが今その肩書きでしんどい思いしてるんやろうなっていうのは自分ごととしてわかるんですよね。でもそこをね、やっぱり自分がやり直しをしない限り、学校楽しいねって子どもも言わないし、職員も言わないし、もちろんリーダーも苦しむやろうしって、なんかそんなふうに思いますね。
堀:大空小学校も、最初はいろいろ大変だったと。それがどうしてああいうのびのびとした空間になり、いろんな子どもが転校までして来たり、最初は偏見を持っていた地域の人も大空を見る目が変わっていったのか。そういう大空が変わっていったプロセスを、これからの対話のなかで具体的にしていきたいです。
木村: そもそも地域の人が学校に出入りしていなくて学校教育が完結するなんて、ありえないんですよ。学校でどれだけ人権大事、人を大事にしようって言っても、学校という小さな組織の中で子どもは学んでる。この組織を「さよなら」って一歩出たら、とても大きな地域社会の中で子どもたちは生きている。地域を巻き込むイコール地域の大人が変わらない限り、地域で生きる子どもたちが自分らしくなりたい、自分になって地域社会を作っていく大人になりたい、なんて絶対ならないんです。