習熟することを諦めない学習集団になっていくことが大事 【全国優秀教師にインタビュー! 中学校編 中1〜中3を見通す! 「高校につながる英・数・国」の授業づくり #11】
前回は、東京都の中学校数学教育研究会で役員も務め、指導教諭でもある、江戸川区立葛西中学校の秋葉養(まもる)教諭に、自身の考え方を象徴する授業を紹介してもらいました。今回は、そのような授業づくりの背景となる、秋葉教諭の授業(単元)づくりの考え方について聞いていきます。
目次
全員が理解をするために学び合う
前回紹介した「不等式」の授業では、問題解決を図る過程で、子供たちは自由に立ち歩いて友達と対話したり、席を移動して学び合ったりするということを紹介しました。秋葉教諭はまず、このような子供同士の学び合いを大切にしていると話します。
「全員に理解をさせるということが公教育には求められますし、最終的に授業は全員のためにあるものだと思います。ですから、一部の子供が取り残されている状態で先に進んでいくのはどうだろうかと思うのです。勉強(数学)が得意な子の中には、『自分が理解できていればよい』と思う子がいるかもしれません。しかし、その一部の子供たちも、すでに問題を解決した子と対話したり、教えてもらったりしながら学んで理解できれば、その集団はよりレベルの高い内容や新たなことに時間を使える可能性が増えるわけです。ですから、そうしたことを伝え、『全員が理解をするために学び合う』ということを大事にしています。
また学習する集団の中では、例えば、数学が苦手な子は、誰かに『助けて』と言えることも大事なことだと思います。『分からない子供がいれば、教員がそれを見とって、声をかけて教えるのだ』と考える先生もいるでしょう。もちろん私自身、それを一斉授業の中でできないわけではありません。しかし、『どの子がどのような学習過程にあるかという状態を可視化してあげるシステム(前回のように導入期に黒板に書くアナログ方式だけでなく、共有アプリを使って問題解決したノートを共有アプリにアップするなど)』=『“あの子の所に行けば、考え方を聞ける” と判断できるシステム』をつくり、子供自身が考えて選択し、行動できるようにすることが理想かなと考えているのです。
先に、一斉授業でもある程度できるとは言いましたが、一斉授業で教えられる人数には限界があります。例えば、30人学級を1人で教えるには限界があると思います。そのため、子供たちが主体的に考えたり、対話したりしながら学んでいく『学び合い』に力を入れているのです。ですから、50分1単位時間の枠組みの中で、自分が答えについて解説する時間はなるべく少なくしています。問題自体は子供たちが対話し、全体共有して解決した上で、私は『学び合っている学習過程で、こういうところができていたからこうなった』とか『こういうところができていなかったから、こうなった』というような話をしています。
もちろん、問題解決を子供たちに任せたままで習熟していなければ問題がありますから、授業の最後には、確認問題をさせて確認をしています。そこでもしできていなければ、私のつくった学習の過程を通して、子供たちが十分に学び合うことができていなかったということになり、次時に改善を図る必要があります。そのように捉えて、1つの授業を組み立てているのです。
当然、授業をつくる私の側も、子供たちが諦めずに取り組もうと思えるように、授業の内容や問題の設定、学び方や活用する情報端末のアプリなどを工夫することも必要です。子供たちだけでも、うまく学習を進められるように、答えや考え方を共有するようなアプリや教科書教材の図だけでは立体をイメージしづらい子供たちのために、視覚的な支援をしてくれるようなアプリを活用しています。
例えば、図形の性質の証明は子供たちにはむずかしいのですが、証明ができた子供がどんどんアプリを使ってアップしていけば、それを参考に考えたり、その証明をした子供に考え方を聞いたりすることができます。そのようなアプリケーションを江戸川区でも採用しているのですが、それ以外でも学習場面や子供たちの実態に応じて使いやすいものを選んで使い、学び合いやすいようにしています。そうしたものも活用しながら、可能な限り子供たち同士で学び合いながら問題解決を図り、理解していくようにしているのです」
他者とコミュニケーションをとり、学ぼうとすることも将来にわたって必要
また前回の授業の最後に紹介したように、秋葉教諭は他者とコミュニケーションをとり、学ぼうとすることも、高校はもちろん、将来にわたって必要になる大切な力だと考えていると話します。
「『これは分からない。ダメだ』と簡単に諦めるのではなく、分からないなら分からないなりに、『誰に聞いたら、分かりそうかな』と考え、実際にコミュニケーションをとって、聞いて理解しようとすることはとても大切です。それは、学校に在籍する間はもちろんのこと、社会に出た後も必ず必要になる力でしょう。そういう力を育むという意図も、学び合いを行う中にはあるのです。
もちろん、全員で学び合ったとしても、現実にクラス全員が習熟をするということはむずかしいこともあります。しかし、習熟することを諦めない学習集団になっていくことがとても大事だと思いますし、そこを大切にしたいと考えています。分からないなら分からないなりに、誰かに力を借りよう、何か工夫してみようと考える子供たちになってほしいのです。
もちろん、授業の中でどうしても分からないところについて、『先生、ここは…』と質問してくる子供がいれば、きちんと説明もします。しかし、将来にわたって、ずっと教員の私がいる状況で問題解決をし続けていくわけではないのですから、できる限り子供たち同士で学び合いながら解決できるようにしていきたいのです」
ただし、そう話す秋葉教諭自身も、若手の頃からこのような授業スタイルで授業を行っていたわけではないと話します。
「もちろん、私自身も若手の頃には自分自身が説明をしていく一斉授業をしていました。そういう授業スタイルに行き詰まっていたわけではないのですが、現実には全員が理解できるわけではない中で、『より多くの子供たちに理解と習熟を図りたい』と思っていたときに、『学び合い』に関する書籍を読んで、ものは試しでやってみたところ、何度か大半の子供が理解し習熟することがありました。
そこから、特別な学び合いの研究団体に在籍したわけではないのですが、自分なりに工夫しながら子供たちが学び合う授業づくりを重ね、今のようなスタイルになったのです」
子供たちの中で問題解決の方法が閃いたりする瞬間が、教員としての至福の時間
もちろん、子供たちが主体的に学び合うためには、学びたくなるような教材の工夫も重要だと話す秋葉教諭。その工夫の中では、数学の学習を処理手順や手続の習得にしてしまうのではなく、その裏側にある意味への気付きを大切にしていると話します。
「教材の本質を考え、どのような問題だったら子供たちが自ら解決したいと思えるか、また解決の過程をすべて自分たちで導き出してきたように思えるには、どんな資料や共有アプリを用意しておけばよいかと考えて、後は子供たちに問題解決の過程を任せているのです。その過程で、子供たちの中で問題解決の方法が閃いたりする瞬間や、『分かった』という顔をしたりする瞬間が、教員としての至福の時間だと思っています。
そうした教材の工夫の中で、私がよく行っているのは、計算や処理の手続の記憶に終わってしまいそうな学習を、その裏側にある意味に気付くようにすることです。
例えば、分母の有理化の学習があります。有理数を平方根で割るときには、およその値を理解しやすくするため、分母にも分子にも同じ平方根をかけて分母を有理数にするというものです。それは一つの手続きなので、計算のシステムが理解できて実行できればよいわけですが、子供たちはそもそも、なぜ分母を有理化しなければならないのか考えず、手続きだけを覚えてしまう場合が大半です。
そこで例えば、同じ部分の面積を求める問題で、片方は分母が2になり、片方は分母が√2になるようなものをつくるのです。そうした問題を解決していく過程で、『分母が√だと、いくらくらいか数値が分かりづらいから有理化するのか』と気付くようにしていきます」
そうした工夫を日々続ける理由について、秋葉教諭は次のように話します。
「おそらく学んでいる子供もそうだと思いますが、何より私自身、いつも同じでは楽しくないという思いがあります。『授業の工夫の仕方にこんな方法がある』と知ったら、『やってみよう』と思うのです。ですから現在、自分がやっていることが数年後にどのようになっているか分かりませんが、現時点では、ここまでお話をしたような考え方で授業づくりをしており、これが最善の方法だと思っています」
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今回は、秋葉教諭の授業づくりの考え方について紹介をしました。次回はまた、前回とは別の領域の授業実践について紹介をしていきます。
【全国優秀教師にインタビュー! 中学校編 中1〜中3を見通す! 「高校につながる英・数・国」の授業づくり】次回は11月15日公開予定です。
執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之