田村学主任視学官⑴ 【教育キーパーソンにインタビュー! 令和の教育課程「その課題と未来」#01】
2016年末に、中央教育審議会から学習指導要領の改訂に関する答申が示され、翌17年春には現行学習指導要領が告示されました。その実現に向けて学校現場でも、教育活動全般の着実な改善が図られてきています。とはいえ、社会そして世界の大きな変革の動きを受け、中央教育審議会(分科会なども含む)では、更なる改革の議論も進められています。そうした学校教育に関わる現状について、文部科学省初等中等教育局の田村学主任視学官に話を聞きました。
目次
令和答申の意義や、それを受けた学校現場の現状についての捉え
学習指導要領の告示以降、現場に大きく影響を与えた中央教育審議会の答申に、「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現~(2021年1月)」があると思います。この答申の意義やそれを受けた学校現場の現状について、どう捉えておられますか?
「令和の日本型学校教育」の答申(以下、令和答申)が出たのは、学習指導要領が実施された直後でしたし、新型コロナウイルス感染症が拡大するただ中でした。学校現場は学習指導要領やコロナ禍への対応に意識が向いていたでしょうから、令和答申への関心が非常に高かったかというと、そうではなかったかもしれません。学習指導要領がめざす「資質・能力」の育成や「主体的・対話的で深い学び」の実現に関心が向いていたのではないかと思います。
コロナ禍の影響で大きかったことは、子供たちが学校に行けない状況が生じたため、子供に情報端末を用意することが喫緊の課題になったことです。それによって、GIGAスクール構想による1人1台端末の必要性が高まりました。
ただし、このGIGAスクール構想は、コロナ禍に対応するためだけに生まれたものではありません。むしろ、多様な子供の存在を前提とし、新しい社会に応じた教育の姿を視野に入れながら、デジタルを基盤とした学習の必要性を明らかにしたというのが中心的意義です。GIGAスクール構想を実現する上においても、令和答申は必要であり、重要な位置付けにあったと考えることができます(資料1参照)。
学校の先生方が令和答申をどのように意識したかという点では、それほど大きなインパクトをもって受け止められなかったかもしれませんが、結果的にはそれがGIGAスクール構想につながり、国策としてのデジタル学習基盤の拡充に連動しています。非常に重要な答申なのです。
【資料1】「令和の日本型学校教育の構築を目指して(答申)【概要】より抜粋
個別最適な学びの充実には協働的な学びが大事
令和答申は、これまでの日本の教育のもつ良さを受けつつ、デジタル化も含めたこれからの社会に対応する教育を、「令和の日本型学校教育」という形で、確かに構築していくことをめざしたものだと思います。その一つのきっかけとして、1人1台端末環境がGIGAスクール構想として実現されたのは先に説明した通りです。
ただ令和答申の大事なことは、個別最適な学びを実現するだけではなく、協働的な学びが極めて重要で、この両者が一体となって充実に向かうことが欠かせないと強調していることです。いくら1人に1台の端末が用意され、Wi-Fi環境が整備され、オンラインで学習ができるようになったとしても、学びを深めるためには友達の存在が大事だし、仲間が大切だし、異なる考えがあったほうがよいわけです。その意味で、学校という学びの場の必要性を示していることも、令和答申の大きな特徴だと思います。
1人1台端末によって、学校を離れても学習できる状況が整ってきたわけですが、学校は欠かせないものであり、学校を重要な社会資本としてこれまで以上に機能させていこうと宣言している答申でもあると、私は考えています。
学校という学びの場を中心に据え、確かなデジタル学習環境を基盤とし、学びの充実をめざすということです。それが、「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」を図り、「主体的・対話的で深い学び」を実現し、「資質・能力」の育成に向かうということになるのだと思います(資料2参照)。
【資料2】「令和の日本型学校教育の構築を目指して(答申)【概要】より抜粋
能動性に力点を置いた視点からの「主体的・対話的で深い学び」
学習指導要領には「主体的・対話的で深い学び」と示され、そこに「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」が加わると、「いろんな「学び」があるんだな」と思う先生もいるかもしれません。現場の先生にとって分かりにくいのは、「主体的・対話的で深い学びの実現」と「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」とは、どのような関係なのかということではないでしょうか。「異なる言葉なので、違うことを求めているのかな」「同じことを言っているような気もするな」と悩むかもしれません。
この関係を考えていくときに最も重要なことは、学習指導要領に示された資質・能力の育成であり、そのことを最優先事項と考えることです。その実現のためには「主体的・対話的で深い学び」が必要になるわけです。
私が考えるには、「主体的・対話的で深い学び」は、英語で言えばアクティブ・ラーニング(Active Learning)と言われるように、能動性を強調しているものです。それに対し、「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」は、一人一人に応じることを重視している面があると思います。ですから、期待する豊かな学びが複数存在するわけではないのですが、能動性に力点を置いたのが「主体的・対話的で深い学び」であり、一人一人の学びに目を向けたのが「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」という捉え方ができると思います。
一人一人の子供が自ら判断し、自らの力で学びに向かえるようになることが、これまで以上に求められる社会がやってくると考えられます。また、多様な子供たちが増えてきている状況があり、そのことに応じることの必要性が高まっていることもあるでしょう。そのため、これまで「個に応じた指導」と言ってきたことをもっと進化させ、充実・発展させていかなければならないという状況があるのだと思います。そのためにも、デジタル学習基盤を有効に機能させることが前提になると考えています。
「個別最適な学び」と「協働的な学び」が一体となって子供の学びは深くなる
「主体的・対話的で深い学び」については、「一人一人が」とか「一人一人で」といったことに、若干目が向きにくかったのかもしれません。例えば、クラス全体で話し合っているときに、「主体的・対話的で深い学び」が実現できているように見えていても、30数人の中の何人かが、その学習に乗り切れていないことはあるかもしれません。能動性に力点が置かれることには価値があるのだけれども、もしかしたら、一人一人の子供には対応しきれていなかったかもしれない、ということです。
一方で、「一人一人が」「一人一人で」ということに意識を向けることによって、逆に「主体的・対話的で深い学び」にあった、「深い学び」の実現に迫っていない可能性があるかもしれません。「個別」と「協働」は、それぞれが「主体」と「対話」を受けているように感じますが、「深い学び」がやや疎かになる心配があります。
「一人一人が個別最適に学ぶ」だけではなく、「他者と共に協働的に学ぶ」ことが一体的に行われ、両者は同時に、そして、行きつ戻りつしながら行われることで、一人一人の子供の学びは深くなっていくわけで、「深い学び」を意識することの重要性を押さえておきたいと思います。
これまで以上に「一人一人」を大切にした「主体的・対話的で深い学び」が実現すれば、多くの子供が自ら学びに向かっていくようになるのではないでしょうか。それを実現していく上で、デジタル学習基盤の拡充が大きく可能性を広げてくれるということです。文部科学省教育課程課では「個別最適な学びと協働的な学びの一体的な充実」に向けた資料作成なども検討しているところです。今後の情報発信に関心をもっていただければと思います。
執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之