【アート✕探究】常識を疑い自分だけの答えをつくろう

連載
先生のためのアート思考(『13歳からのアート思考』末永幸歩先生)

美術教師・アーティスト

末永幸歩

この連載では、『13歳からのアート思考』著者の末永幸歩先生の取組から、みん教読者の先生に知ってほしいアート思考のエッセンスをお届けしています。今回は、東海大学付属大阪仰星高等学校・同中等部で行われた講義から、「アートの視点」で考える探究について、末永先生から中高生に向けたメッセージとともに紹介します。末永先生の試みなどを通して、ご自身の常識にも「新たな問い」を立てながら読んでみてください。

講義の概要

東海大学付属大阪仰星高等学校での講義。壇上の末永幸歩先生
東海大学付属大阪仰星高等学校での講義。壇上の末永幸歩先生

今回の末永幸歩先生の講義は、「『アート✕探究』常識を疑い自分だけの答えをつくろう」と題し、東海大学付属大阪仰星高等学校にて、中学1年生〜3年生と高校1年生を合わせた参加者600名という規模で開催されました(2024年2月15日)。

●生徒のみなさんから、『斬新な授業の受け方』を募集します

これは、この日に向けた末永先生からの事前のアナウンス(質問)です。講義は実際の生徒のアイデアを採用して進められました。

【生徒が考えた斬新な授業の受け方①】
“「自由な席」で「自由な体勢」で座る”

「自由な体勢」を模索し、足を組んだり隣にもたれかかったりする生徒たち
「自由な体勢」を模索し、足を組んだり隣にもたれかかったりする生徒たち

末永先生のアート思考の授業では、「自分なりのものの見方を養うこと」を大切にしています。そのためには、常識的なものの見方・考えを一旦壊すことが肝心という末永先生ならではの発想で、この日の講義は『授業の受け方』という常識に「ゆさぶり」をかけることから始まりました。

《参考記事》「中高生とアート思考『人の目が気になる年頃。子供のペースでの鑑賞を保障するには?』

末永先生の考える「アート」の意義

「美術の授業は、あまり好きじゃない」という答えが大半を占める生徒たちに向けて、作品づくりは『アート』のほんの一部に過ぎないと、末永先生は、アートの意義を植物にたとえて説明します。

「アートにとって作品とは、植物でいうところの地面の上に咲いた花の部分です。でも、それは植物=アートにとってほんの一部でしかありません。地面の下には、タネと根があります。このタネは、自分自身がもつ『興味』や『疑問』です。そこから、大きく根っこを張り巡らせていく=探究していく。

花はやがてしおれてしまいますが、地面に大きく根を張った植物であれば、何年も生き続けることがあります。そう考えると、アートにとって大事なのは、最終的に出来上がった花=作品ではなくて、地面の下にある、その人の興味、そして、そこから探究していくこと自体である、と私は思っています。

そう考えると、アートってすごいものなんです。美術室の中で美術好きの絵が上手な子たちだけがやるものではなくて、すべての学びの基盤になるものだと思います。自分の興味から探究していくことは、生きることにもつながります。私はアートというものを、そんなふうに大きく捉えています」(末永先生)

アートという植物。大事なのは、地面の下で自分の『興味・疑問』のタネから、『探究の根』を張り巡らせていくこと。
アートという植物。大事なのは、地面の下で自分の『興味・疑問』のタネから、『探究の根』を張り巡らせていくこと。

探究学習に力を入れている東海大学付属大阪仰星高等学校の生徒たちに、末永先生は続けます。

「私は、『アート』と『探究』には多くの共通点があると思っていますので、今日はみなさんと、“アートの視点”から、探究について考える時間にしたいと思っています。これまでとは違った角度で、『こんな考え方もあったのか!』と、みなさんの考え方を“ゆさぶる”時間にしたいと思います」(末永先生)

アート✕探究①『興味・疑問』について

講義は、アートの視点から『探究』を3つのテーマに分け、生徒から寄せられた声に答える形で進みます。

Q.生徒の声「まず、自分が何に興味があって疑問を抱いているのかが分からない」

そもそも『興味・疑問』とは、どういうものなのかを末永先生は語ります。

「同じように思っている人たちは、もしかして、めちゃくちゃ大きい興味・疑問を考えていないですか? たとえば、将来の仕事につながりそうな興味や疑問、あるいは、社会的に意味がありそうなこと——SDGsのゴールに示されているようなこと——に興味をもたないといけないとか、新聞の社会面に論じられているようなことの中から自分の興味をもたないといけないとか、そんなふうに大きなものを考えていないでしょうか。私はね、そんな大きな興味である必要はないと思っているんです」(末永先生)

ここで、末永先生が事前に生徒たちに質問していた2つの「架空の質問」を取り上げます。

●本校は来週から6か月間の特別完全休暇に入ります。完全休暇中は、テストも授業も塾も宿題も部活も全部お休みです。生徒諸君も先生方も自由にお過ごしください。さあ、この休暇のチャンスにやってみたいことを書いてみよう!

●超ラッキーなことに、くじ引きで100万円が当たりました。ただし、そのお金は日本くじ引き協会により、半年以内に使い切らなければならないという条件が付いています。さあ、この100万円を何に使うか、さっそく書き出そう!

これには、「旅に出たい」「楽器をやってみたい」「スポーツがしたい」「お菓子作りがしたい」などをはじめ、生徒たちから思い思いの答えが寄せられていました。

「①完全特別休暇にしたいこと、②100万円の使い道、この2つの質問に両方とも答えなかった人は、ほとんどいなかったです。何かしらみなさん、書いていました。ここに書いたことこそが、自分の興味のタネであると私は思っています。将来に役立ちそうなこととか、社会に必要なことじゃなくていいんです。めっちゃ個人的なことでいいんです。あの質問に答えた人は、自分の中に、ちゃんと興味のタネがあるということを、お伝えしたいと思いました」(末永先生)

また、やりたいこと=『興味』に続き、『疑問』とはどういうものなのかについて、次のように語ります。

「『ものごとに疑問を抱こう』というと難しいような気がしますけれど……。『斬新な授業の受け方』の質問にみなさんが書いたことって、自分の疑問に基づいていると思いませんか? 『自由な席で好きな体勢で座りたいな』と思ったTさんは、きっと疑問があるんだと思います。『学校の席は決められているけれど、好きな席でもよくない?』とか、『好きな体勢で座った方がリラックスできていいのに』というような、ちょっとした疑問があるからこそ、斬新な授業のアイデアが出てきたともいえます。この質問にも、みなさん、何かしら書いていました。つまり、みなさんの中に小さな疑問が眠っている、と私は思います。ちなみに、『まず、自分が何に興味があって疑問を抱いているのかが分からない』と書いたOさんは、やりたいことを11個も書いています。これでいいんですよ!」(末永先生)

『自分が何に興味があって疑問を抱いているのかが分からない』という人が大半だった生徒たちに、末永先生は語ります。

「100万円あったらしたいこと、特別休暇があったらやってみたいと思うこと、斬新な授業のアイデアで書いたこと——これらは実は、みなさんの興味や疑問に結びついています。とても小さなことかもしれない。個人的なことかもしれないし、特に社会の役に立たないかもしれない。でも、それでいいと思います。小さな個人的なことでもいいから、自分自身の中にある、その小さな興味に目を向けることから探究が始まる、と私は思っています。これが今日一番お伝えしたかったことです」(末永先生)


このメッセージで締めくくられた第一部の後、“休憩”もまた、生徒から募った『斬新な授業の受け方』から採用されました。

【生徒が考えた斬新な授業の受け方②】
“授業中に全員寝る時間を作る”
⇒大講堂の照明を落とし、休憩時間に入る前に“5分間の睡眠タイム”が設けられました。

“授業中に全員寝る時間を作る”
“授業中に全員寝る時間を作る”

【生徒が考えた斬新な授業の受け方③】
“寝ないように立って授業をする”
⇒睡眠と休憩の後は、立ち上がって気分転換。新聞紙をビリビリ破るという、末永先生流「手を使いながら」のミニワークを実施。どんな形ができたのか、どんなふうにその形に行き着いたのかを隣の人に紹介します。

“寝ないように立って授業をする”
『紙をビリビリ〜!』
“寝ないように立って授業をする”『紙をビリビリ〜!』

アート✕探究②『問い』について

Q.生徒の声「問いを考えるのが難しい」

生徒から寄せられたこの声に、末永先生は次のように考えを述べます。

「私は、探究学習の最初にしっかりとした、ぶれない『問い』が立っていなくてもいいんじゃないか、と思っているんです。これはきっと、今までみなさんがやってきた探究の仕方と違うと思います。しっかりした『問い』がなくても、その代わりにみなさんの中には、小さな興味や疑問がありましたよね。100万円でやりたいこと、長期休暇中にやりたいこと、斬新な授業の受け方に書いたこと。そういった小さな興味や疑問に従って、あまり深く考えずに、まずやってみる。そして、“やってみてから”考える。普通はいろいろ考えて、『問い』を立ててからやってみるわけですが、逆です。まずはやってみて、後から考えてみればいいんじゃないか、と私は考えています」(末永先生)

方向性を定める『問い』なくして、『探究』は進められるのでしょうか……?
『まずやってみる。それから考える』というのは、どういうことでしょうか。

「実は今、気分転換にやった『新聞ビリビリ〜!』も、『やってみてから考える』ということの実証として、みなさんと一緒にやってみました。私は、このワークをやるときに『今日は〇〇を作りましょう』とか、『今日は〇〇というテーマで紙を使って工作しましょう』とは言わず、ただ、『ビリビリしよう』とだけ言いました。

でも、ビリビリしていくうちに、今度は紙を折ってみたいな、とか、セロハンテープを使って形を作ってみたいな、とか、まず適当にビリビリしてみたことによって、次の『やってみたいな』が生まれて、それをやっていくと次の『こんなことがしたいな』が生まれて……そうしたら、ここにいる600人それぞれに、違う形ができてきましたよね。お面を作っている人もいれば、思い切り紙吹雪を飛ばしている人もいて。私は、これこそが『やってみてから考える』ということだと思っています。

探究の場合も同じ。まず、自分の『やってみたいな』という“ちょっとした動機”から『まずやってみる』。そうしたら、だんだんと後から形ができてくる。思ってもみなかった形ができてくる。探究の場合でいえば、後から『問い』ができてくる、ということなのでは、と私は思っているんです」(末永先生)

『紙をビリビリ〜!』①
『紙をビリビリ〜!』①
『紙をビリビリ〜!』②
『紙をビリビリ〜!』②

さらに、この日の授業の受け方についても、この考え方の実証でした。

「じつは『斬新な授業の受け方』についても、『やってみてから考える』ことをしました。みなさんからアイデアを募集したら面白い意見がたくさんありましたが、普通なら、面白いだけでは採用できません。どんなに面白くても学校の授業で採用するとなったら『本当にそれをした方が教育効果が高くなるのか』ということを考えて、職員会議で話し合ったり、調査したりして、確証を得てからようやく授業の場で実証すると思います。でも、今日は逆をやってみました」(末永先生)

大講堂は学年クラス関係ナシの自由席。「本当にどこでも良いの!?」とざわつく生徒たち。
大講堂は学年クラス関係ナシの自由席。「本当にどこでも良いの!?」とざわつく生徒たち。

「授業だから座って」と言えなくなって変わったもの

そして、末永先生自身、中学校教諭を辞めて大学院へ進学し、その後、独立して教育活動をしていく中で、考えが変化・展開していった体験談を語ります。

「(講演会などで)今日みなさんに植物にたとえてお話ししたように、アートは作品づくりだけではなく、自分自身の興味・疑問から、自分らしく探究していくこと——自分なりに考え続けたり、自分なりにやってみたりすること——そこにこそアートの大事な部分があるんですよ。そう考えるとアートというのは、いろいろな学びの基盤でもあるし、また、自分の人生を自分らしく生きることにも通じるんですよ、というお話をしています。

こんなお話をすると、いろいろな方から『よく、アートについて、教育についての大きな理念を掲げることができましたね。よく、そういう思想をもつことができましたね』と言われるんです。でも考えてみると、私が中学校の教諭をしていたときには、全然、美術教育について深く考える余裕はありませんでした。日々の学校の行事や、明日の授業の準備とか、生徒との楽しい関わりとか、そういうことに日々一杯一杯で、全然、美術教育についてゆっくり考える時間はなかったんですが、今の考えに至ったひとつのきっかけは、数年間中学校の美術の教諭をした後のことです。

無性に新しいチャレンジをしたくなり、教諭の仕事を辞めて大学院で美術教育を学び直すことにしました。それがひとつのきっかけになったと思います。学校の先生という立場から、再び、学生という立場に戻りました。学生として仲間と自由にアートの話をしたり、仲間と一緒にサークル活動のような感覚でアートのワークショップを行うようになったりして。面白がってやっていました。

そんなことを繰り返していたら、今まで中学校で『先生』という立場でいることによって固くなっていた頭が、常識が壊れていったというか、柔らかくなったような感覚がありました。

しばらくしてから、また中学校に、今度は非常勤の美術を教える先生として戻りました。そのときのことです。私の生徒に対する接し方が、授業に対する向き合い方が、以前と少し変わっていました。

たとえば、美術の授業中に立ち歩く生徒がいたときに、以前だったらこう言っていたんです。『授業ですから、座ってください』と。ですが、それが言えなくなってしまったんです。『授業だから……』と言いかけて、授業“だから”と言ってもあまり理由になっていないのではないか? と考え直すようになってしまったんです。『授業って別に座らなくてもできるよなぁ』とか、『なんでそもそも“座る”というのが基本姿勢になっているのかな? 基本姿勢が“立つ”とか“歩く”でもいいよなぁ』とか、いろいろ考え直していたら、一つひとつのことが注意できなくなってしまいました。また同じように美術の授業についても一つひとつ、『あれ、これってどういうことかなぁ、そもそもこれって必要があるかなぁ?』とか、いろいろ考え直していきました」(末永先生)

末永先生の内なる『問い』は、その後の活動でも変化し続け、今ではアートを通して実現したい理想の社会という大きなビジョンにまで発展しました。

「振り返ると『やってみてから考える』ということをしていたように思います。活動をはじめたときには、そんな大きな問いがあったわけでも、また大きな目標とか、大きな理念があったわけでもありませんでした。でも、目先の『挑戦してみたいな』とか『ちょっと疑問に思うな』ということがあったわけです。それらをきっかけにやってみたところ、雪だるまのように転がって自分の考え方が徐々にできていきました。私はこんな社会が実現したかったんだな、ということが、何年か経った今、やっと見えてきたような気がします。またもしかしたら、数年後には違う形になっているかもしれないけれど……。

『問い』は立っていなくても、自分自身の小さな興味や疑問から考えていくこと。ぜひそれをみなさんにもやってみてほしいな、と思っています」(末永先生)

アート✕探究③『探究』について

Q.生徒の声「探究をやる意味が分からない」

探究について、末永先生は『答え』をキーワードに説明します。

「探究というのは、『自分自身の答えを作ること』です。それって『自分の人生を自分らしく生きること』じゃないですか。そう考えると私は探究はやる意味があると思います」(末永先生)

ここで、末永先生は、『答えをつくる』ことと『正解を探す』ことは違うとして、この2つの違いを「太陽と雲」にたとえました。

「1+1=2のように答えが1つだけあるもの、それを探し出すのが『正解を探す』ことです。正解を探す場合は、600人の人がいたら、600人同じ答えが出るはずです。

これは、太陽と雲にたとえると、太陽です。たった1つの揺るぎない答えがあって、それを探し出す、というのが『正解を探す』ことです。

一方、『答えをつくる』場合は、600人の人がいたら、600通りの答えが出てきます。それはまるで、雲のように形が刻一刻と変わるようなものを見て、小さい子供が『今、山に見えた、恐竜に見えた、うさぎに変わった』というようなものです。そんなふうに答えが1つではない、または変化していくものに対して、『私はこう思った』ということを言っていく、それが『答えをつくる』ことです。探究活動がやるべきことは、『正解を探すこと』ではなくて、『答えをつくること』である、と私は考えています。『答えをつくる』ことは、自分の人生を自分で切り開いていくことにもつながります」(末永先生)

ここで末永先生は、Apple社が1997年に打ち出したCM “Think different.”を、一企業の宣伝を超えた普遍的なメッセージとして紹介しました。アインシュタイン、ジョン・レノン、ピカソ、キング牧師……そこに登場する人々は、様々な分野で偉業を成した人たちです。人と違う考え方をしたその人たちは、最初は“クレイジー”と言われたけれど、『自分だけの答え』をつくることで世界を変えた人たちなのだ、と末永先生は解説します。

末永先生には、このCMを紹介したかった理由が2つありました。

1つは、ピカソのようないわゆる芸術家だけではなく、科学者・政治家など、どの分野の人にとっても『自分の答えをつくることが大事』というメッセージが込められているから。

もう1つは、『必ずしも他の人に認められる必要はない』というメッセージとともに、『自分だけの答え』をもつ勇気を後押ししたかったから。

こんな大発明であってもクレイジーと言われたのであれば、みなさんの答えだって、『こんなのクレイジーだよ』って言われたっていいと私は思います。むしろ、もし、『君の探究はすごいね、満点!』と言われるようなものであったら、それは逆に、その先生が想像できる範囲の探究の結果でしかないのかもしれない。想像を超えたものであった場合、クレイジーだ、ダメだと言われても当たり前である、と私はこのCM映像を見ながら思いました。自分自身の答えをつくるというのは、きっとそういうことなんだと思います」(末永先生)

ただし、自分でつくった答えには、大きな責任が伴うとも末永先生は言います。答えが1つの『正解』と違い、客観的にその正しさを証明することはできません。自分はこう思う、という『自分でつくった答え』は、往々にして主観的であり、論理的に証明できるものではありません。

「ですので、本当にその人が自分自身の興味や疑問に誠実であること、そこからの探究を自分に誠実にし続けること、それが大事だと思います。そうして咲かせる『花』というのは、一旦は全然評価されない、またはクレイジーと言われてしまうものかもしれないけれど、そうしていれば、きっとどこかのタイミングで評価されることや社会を変えることに結びついていく、と私は信じています」(末永先生)


「探究というのは、人生をかけてやること」と末永先生は締めくくり、最後にこの日の講義の内容を整理し、考える時間を設けました。ここでも、生徒から募った『斬新な授業の受け方』が採用されます。

【生徒が考えた斬新な授業の受け方④】
“問題1つに対して生徒は絶対に1個は質問しなければいけない”
⇒この日の講義全体を振り返り、質問したいことを1人1つ以上考える時間が設けられました。

「このあと全員に、一人一人に質問を聞きます」と、末永先生。ただ、1人1分としても参加者600人で10時間かかる計算に……。そこで次のアイデアを採用します。

【生徒が考えた斬新な授業の受け方⑤】
“わからないことは先生などに聞くのではなくて、子供たちで考えて解決する”
⇒生徒たちは、末永先生に質問するのではなく、隣の人とペアになって質問し合い、それについて考えました。

なんという妙案! 生徒のアイデアを上手く組み合わせた末永先生のユーモアのセンスに脱帽です。遊び心を随所に散りばめた末永先生の講義は、この日も力強いメッセージの余韻を残し、爽快に駆け抜けました。

講義を終えて、末永先生に所感を聞きました。

「生徒たちからは、『好きな姿勢で、と言われたけれど、そこまで大きく姿勢を変えている人はいなかったのはなぜだろう』『末永さんが、集中できるならどんな授業の受け方でも試してみよう、と言っていたけれど、そもそも集中する必要はあるのかな?』などと、新たな疑問が出てきていました。その場で私に質問できるわけではないのでスッキリしないかもしれませんが、こういった疑問が『興味のタネ』になって、次の行動へつながる。それを繰り返すうちに、どこかで『問い』が生まれてくるのではないかと思っています」(末永先生)


いかがでしたか? 体験談で「もしかしたら、数年後には違う形になっているかもしれないけれど」と語るように、末永先生自身も探究の根を伸ばし続けています。私たち大人も、人生をかけて探究を続けていきたいですね。『先生のためのアート思考』シリーズで、これまでの末永先生の取組もたくさん紹介しています。アート思考の世界をぜひ探訪してみてください。

取材・構成・文/本田有紀子

末永先生プロフィール写真

末永幸歩(すえながゆきほ)
武蔵野美術大学 造形学部卒。東京学芸大学 大学院 教育学研究科(美術教育)修了。
現在、東京学芸大学 個人研究員。
東京都の中学校の美術教諭を経て、2020年にアート教育者として独立。「制作の技術指導」「美術史の知識伝達」などに偏重した美術教育の実態に問題意識を持ち、アートを通して「ものの見方の可能性を広げ、自分だけの答えを探究する」ことに力点を置いた授業を行ってきた。
現在は、各地の教育機関や企業で講演やワークショップを実施する他、メディアでの提言、執筆活動などを通して、生きることや学ぶことの基盤となるアートの考え方を伝えている。
著書に、20万部超のベストセラー『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)がある。
■末永幸歩  公式ウェブサイト https://yukiho-suenaga.com/


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