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想定外に「生きて働く力」を培う【木村泰子「校長の責任はたったひとつ」 #10】

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負の連鎖を止めるために今、できること 校長の責任はたったひとつ
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大阪市立大空小学校初代校長

木村泰子
連載タイトル「負の連鎖を止めるために 今、できること 校長の責任はたったひとつ」大阪市立大空小学校初代校長 木村泰子

不登校やいじめなどが増え続ける今の学校を、変えることができるのは校長先生です。校長の「たったひとつの責任」とは何かを、大阪市立大空小学校で初代校長を務めた木村泰子先生が問いかけます。
第10回は、<想定外に「生きて働く力」を培う>です。

2024年は想定外からのスタート

2024年のスタートは、能登半島地震、羽田空港での事故と、想定外の事実に遭遇しました。読者のみなさんは学校のリーダーとして、考えさせられることがたくさんあったのではないでしょうか。

元旦の地震が授業中や休み時間に起きていたら「すべての子どもの命を守る」ために校長はどんな行動をとっていたでしょうか。

羽田空港での事故が学校で起きていると仮定し、その時に校長が不在だったら、「すべての子どもの命を守る」ことができたでしょうか。

このように考えると、想定外に「生きて働く力」は日常で培うしかないことを再認識します。

想定外に「生きて働く力」を日常で培うために

1995年1月17日(火)5時46分に起きた阪神・淡路大震災を私は大阪の自宅で経験しました。電車もバスも不通になり、交通手段が車しかなく、公衆電話には行列ができ、学校に着いたのは昼過ぎといった状況でした。教員だった自分には「すべての子ども」という意識はなく、ただ、早く学校に行ってやるべきことがあるだろうくらいの認識でした。

ところが、2011年3月11日(金)14時46分に起きた東日本大震災は、大空小学校の開校から5年目の校長の立場で経験しました。大阪でも強い揺れを感じ、自分一人だけが職員室にいました。1年生は帰る準備をしており、他学年は授業中でした。瞬時にテレビをつけて地震の情報を確認し、校内放送を入れました。大阪は被害も少なく、避難訓練通りに進めたのですが、職員室で揺れを体験した瞬間に「すべての子どもの命を守ることなどできない!」と、痛烈に感じた自分を今も鮮明に覚えています。その後、大川小学校や釜石の小学校の事実を知り、全教職員で現行の学校づくりを問い直しました。

釜石の小学校は「津波が起きたら家族が一緒にいなくても気にせず、てんでバラバラに高所に逃げ、まずは自分の命を守れ」との言い伝えを普段から実践していて、結果的に学校にいた子どもの命は守れた。一方、大川小学校の多くの子どもの命は津波に奪われてしまった。その日、大川小学校では校長が不在で、数分間教職員が運動場で子どもを守っていたが、結果的に普段の避難訓練通りに大川のそばの避難場所に移動してしまい、川からの水で命を奪われた。

これらの事実をいかに自分事に変え、教訓にするかがリーダーに問われています。当時の大空小でもみんなであれこれ対話を重ねましたが、すべての子どもの命を守り切る手段は見つけられませんでした。そこで、「これまでの避難訓練はやめよう!」とだけ合意しました。

避難訓練をやめて見えてきたもの

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