ギフテッド当事者が語るー 不登校の子の心の内は?(広島LD学会報告・前編)

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不登校が話題になることが増えましたが、聞こえてくるのは大人の声ばかり。不登校の子どもたちは、何を思っているのでしょうか? 2023年10月、広島で行われたLD学会で、ギフ寺(★)住職・小泉雅彦先生が、子どもたちの言葉に耳を傾けながら、考え続けてきたことを発表されました。

★ ギフテッドのための寺子屋

日本LD学会第32回大会で、「ギフ寺の子どもたちが語る 学校,居場所,仲間,自己理解」というテーマで発表した小泉雅彦先生

ギフ寺とは?

小泉雅彦先生が長年にわたり運営してきた「ギフ寺」とは、高い知的能力を有しながらも、困っている子どもたちの居場所です。木曜日と土曜日、月に7回程度開催され、不登校や五月雨登校の子どもたちが在籍している、小2から高校までの異年齢集団です。

知能が高く、繊細なギフテッドは、周りと自分の違いを幼くても感じとります。「私は、普通じゃない」と異質感を訴えて、学校に行けなくなる子も多いんです。(小泉先生・以下同)

ギフテッドの子どもたちは、まだまだ理解してくれる人が多くはなく、幼稚園や保育園、学校で孤立してしまうことがあり、不安や孤独感を抱えがちです。

ギフ寺はやりたいことをする場所

ギフ寺では、ゲーム、Gifトcafe(子どもたちが主体的に企画、運営するカフェ)についての話し合い、外遊び、調理、レゴ、折り紙など、やりたいことをして過ごします。

子どもたちは、ギフ寺のことを、こう話します。

※本研究での当事者及び保護者からのコメントは発表の承諾を得ています。

勉強はしていないけれど、もっと広い意味で学んでいる。

ギフ寺では、教育や指導はしていない。

小泉先生は、言います。

子供たちからは、愚痴と秘密の話はよく聞かされます。私は、相談(世間話)にはのっていますが、支援はしていません。以前作った個別の支援計画は白いまま……。
ギフ寺は、源泉掛け流しの温泉のような存在です。何も足さない、何も引かない。私は、快適な湯温を保つ湯守です。

小泉先生は「支援はしていません」と言いますが、かつて不登校で、今はボランティアとしてギフ寺に関わっている高校生は、こう言います。 

土砂降りの中、いくら傘を差し出されても、歩きたくない時はある。傘を差し出されると、自分では自立しているつもりもあるし、能力もあるんだと意固地になってしまう。
ギフ寺では、見守ってもらえた。住職(小泉先生)は、『何もしていない』と言っているが、自分は『何もしないでいてくれている』と感じた。

ギフ寺では、傘を差し出されるのではなく、傘を買いにいく勇気をもらった。(自分が必要だと思うタイミングではない時に)傘を差し出されても、一緒に歩いていかないといけないと思う圧迫感、自分が動かないと相手を拘束してしまう不甲斐なさを感じる。自分で何かをしたい気持ちは、誰の中にでもあるのだと思う。(発言時は中学3年生)

ギフテッドの現場の声を聴こう!〈みん教ギフテッドセミナー〉第3回ダイジェスト

「私たちの秘密基地 ~「ギフ寺」が問いかけるもの~」

一般財団法人 日本児童教育振興財団が「ギフ寺」を取材したドキュメンタリー動画があります。教育ビデオライブラリー第57巻「私たちの秘密基地 ~「ギフ寺」が問いかけるもの~」として、DVDを有料でレンタルすることができます。
その動画には、「ギフ寺」の子どもたちの姿が生き生きと記録されています。レンタルお申込みの詳細については、下記にリンクを張っておきます。

一般財団法人 日本児童教育振興財団 ビデオライブラリーについて。

子どもたちにとっての学校とは?

小泉先生のもとには、子供たちの本音が集まります。

学校に対する想い

「勉強は塾でできるのよ、友人関係もこういう風なところ(ギフ寺)があればできるのよ」「正直、学校でしかできないことってないよね」

「学校に行くのは大前提」と思っている大人が聞いたら、ひっくり返りそうな声に面喰らいます。

ギフ寺に通ってくるギフテッドの子どもたちは、学校に対する依存度が低いのです。私は、この状態を「不要校」と呼んでいます。(小泉先生)

先生に対する思い

先生のことは大好きだけど、教室という場所は別なの…。

学校に行ったら、先生とはたくさんお話ししている。

担任の先生が、自分のことを色々と考えてくれているのは、すごく感じています。

子どもたちの担任の先生への印象は、ポジティブです。また、先生の想いは、子どもたちに、充分に伝わっているとも思います。ギフ寺に通う子の担任の先生とお会いした際には、子どもを最も理解し、その子の最善を考えてくれていると感じました。

不登校の子は、先生との関係性の問題ではなく、「学校というシステムが合わない」…そんな印象を持っています。(小泉先生)

学校に対する思いのズレ

そうは言っても、「学校には行くものと思っている保護者」「学校に行くのが辛すぎると感じている子ども」との間には、葛藤があります。

■子ども視点

やっぱり学校に行くことがメインになっていて、(不登校時)温かく見守ってはくれなかった。僕が学校に行けるようになるために、(周りは)めちゃくちゃ頑張ってくれた。(学校に行きたいわけではないのに)自分自身で「僕が学校に行きたいと思っている」というふうに思い込もうとずっとしていた。(苦しんでいた)

■母親視点

小学校時代すごい大変だったので、(進学校を)受験して合格をして、新しいステージに行けたっていうことで、なんとなく私の中で、ハッピーエンド、やっと落ち着けるって思いがあった。けれども、中学校に入ってすぐに不登校になったので、心が追いつかなかった。「またか」と思って、こんな思いをしてここまで来たのに、同じことをまた繰り返すのって思ってしまって…。「ふざけるな、行け」という態度をとってしまった。

学校に行く・行かないの水かけ論

この「思いのズレ」について考えるため、ギフ寺での、高校生と年下の子どもたちとの対話を紹介します。

親も友人も、友達の親も、先生方も、みんなが自分たちが学校に行くために、頑張ってくれていた。それって、不登校のギフテッド当事者にとって、やってほしいことなのかな? 

「スーパーウルトラアルティメットありがた迷惑」「やられるだけ、誰も幸せになんない、それをやると」

高校生が、話をまとめてくれました。

親や教師は、学校に行く意義を子供に理解させているのか? その意義が、子どもが求めている教育と、どれだけすり合わされているのか? そこの対話がなされていない状態。学校に行く、行かないという次元での、水かけ論をしているだけなので、対立や溝が深まるのかなっていう気がします。

同質な仲間と出会えることで生じる安心感

では、なぜ子どもたちは、ギフ寺にはやってくるのでしょうか?

ギフ寺は仲間と出会える場

自分と同類って言ったら悪いかもしれないけれど、自分の悩みをわかってくれる人、自分と同じ悩みを抱えてたり、「みんな違うよね」みたいな認識の人とは、学校では出会えないから。そういう人が集まっていると、「ああ、なんか、自分も居ていいんだな」って思える。

学校と比べてすっごい自由で、強制するものがなんもない。あと、みんなと話が合う。先生とおしゃべりしたり、雪遊びしたり、夏は公園に連れて行ってくれる。

母たちから見たギフ寺

保護者は、ギフ寺での我が子を見て、どう感じているのでしょう?

本人には、「あなたはギフテッドだから、学校が辛いのは仕方ないんだよ」と説明していました。そう伝えて以降、本人は「ギフテッドという言葉が嫌いだった」と言います。でも、(ギフ寺に)見学に行ったら、「面白すぎて、心臓が飛び出すくらい面白かった」と言い、ギフ寺に通い出してからは、ギフテッドという言葉を嫌がらなくなったと思います。

ギフ寺の友達が用意してくれたサプライズのお誕生日プレゼントを見て、「この子もこんな友達ができたんだな」と思ったら、本当に嬉しくて…。自分のありのままをさらけ出せるので、もちろん、ぶつかる時は思い切りぶつかるんですけど、親も、それを安心して見ていられます。

保護者も理解し合える仲間を欲していた。

ギフ寺では子供の送迎の待ち時間、保護者同士が近くのカフェでお茶をすることもあるそう。保護者にとって、お茶会での会話は……。

  • 似た感覚を持つお子さんが他にもいて、同じように学校が辛いと思っていることがわかって、そのお母さんたちと話ができるという環境に出会えたことは、すごく大きかった。
  • 子供が困っていることや課題について説明するのが難しいパターンが多いが、ギフ寺で会う保護者の場合、説明をしなくても理解し合える部分が大きいので、共通理解があって楽

保護者も悩みを共有し、安心できる場を求めているのです。(小泉先生)

異年齢集団と関わる中での学び

異年齢集団からの学び

ギフ寺をサポートしている高校生は、ボランティアでの参加です。なぜ、高校生はギフ寺にやってくるのでしょう? 

小学生と関わっていると、過去の自分と似ている部分がある。彼らを見ていると、自分のことを認められる、「当時の自分は辛かったな」というのを認めることができる…。

中堅の小学生は……。

高校生を見ていると、自分の未来図というか、「こういう道もあるんだ」というふうに思える。小さい子を見ていると、「過去の自分にどうしてあげたかった」「自分はこうしてほしかった」というのが出てくる。だから私は、自分がしてほしかったことを、少しでもしたいなという気持ちで、小さい子に接している。年齢の幅が広いのは、すごくいいことだなと思う。

ギフ寺には、鏡(振り返り、自分を見つめなおす場)としての役割もあるようです。(小泉先生)

ギフ寺での体験の共有から次へ

子どもたちの中からは、自然と、こんな声があがっています。

  • ギフ寺を必要としている子どもは、もっといるよね。
  • 苦しんでいる子を助けたい。自分もそういう体験をしてきたから、苦しんでいる子の気持ちがわかるから、居場所を作ってあげたい。→ ギフ寺にはもう任せられる仲間がいるから、自分は外でいい。そうすれば世界が広がる。
  • ギフ寺の運営に携わっていきたい。今は、家の近くの放課後デイサービスでボランティアをして経験を積んでいる。

大事な仲間がいて居場所があることで、自己理解をし、他者に目が向くことに繋がっています。(小泉先生)

ギフ寺の教育実践の様子を聞くと、「北風と太陽」の寓話を思い出すのは、筆者だけでしょうか? 

ギフ寺の役割

小泉先生は、ギフ寺の役割を、こう考えています。

居場所 

  • 同質な他の子どもたちの存在は、「自分は、ここにいてもいい」という安心感に繋がる。
  • 保護者は、他の保護者と語り合う中で、子どもの姿を見つめ直すきっかけに。

自己理解

  • ギフ寺での仲間(当事者)同士の議論の中から、学校・不登校・「スキル持ち」としての自分・他者との違いについて学んでいった。
  • 仲間と関わる中で自己理解を促し、やりたいことが見えてきた。最近は進路の話もするように。

トランジッションエリア

  • ギフテッドの子どもたちは、自ら考え進む力を持っている。
  • そんな子どもたちに社会性を育み、社会に旅立つ手助けをする場になっている。

ギフテッドの社会性モデル

ギフ寺での教育実践を通じて、「安心・安全で、誰もが認め合う居場所があれば、ギフテッドの社会性は育つ」と、実感しています。

子どもたちが求めているもの

ギフテッドの教育について、先駆者的なベテラン感が漂う小泉先生ですが、ギフ寺創立当初は、迷いもありました。

当初は、「髙い知能を持つ子は、突き抜けさせなければならない」「才能を開花させなければならない」という呪縛がありました。

けれども、ギフ寺で、子供たちが、笑顔で生き生きと過ごしている姿を見ているうちに…。

子どもたちが楽しんでいるから、まぁ、いいか。

  • 英検や漢検の合格よりも、ゲームで敵を倒した喜びを伝えてくる。テストの結果も二の次。
  • 子どもたちは、語り合い、一緒に何かをする仲間がほしかった。
  • 「ギフ寺は、拠り所」という子どもの言葉を受け入れることで、呪縛からやっと逃れることができた。 ⇒ これでいいんだ。

才能を伸ばすよりも、もっと大切なことがある。それは、人生を楽しむこと、やりたいことを見つけること。…それを支えるのが、大人の役割だ。(小泉先生)

子どもたちと接することを、心底楽しみ、面白がっている小泉先生。発売中の単行本「ギフテッド応援ブック」では、こう述べています。

日本では、ギフテッドの教育の議論が始まったばかりで、定義に関しては十分に議論されていないのが現状です。
だからこそ、ギフテッドの子どもや青年たちの声を聴きながら、「ギフテッドの特性」を明らかにしていく臨床研究が求められると思います。特性を明らかにすることで、より有効な支援に結びついていくと考えます。

筆者は、小泉先生の「不登校の子には、「学校というシステムが合わない」」という言葉が印象に残りました。

「学校のシステムが、もう古い!」といった悲鳴に近い声を、最近、現場取材でよく耳にします。

どんな学校であれば、子どもたちが行きたい! と、思うのでしょうか? ギフ寺の教育実践の中には、それを考えるヒントがたくさんあると感じました。

小泉雅彦(こいずみまさひこ)
ギフ寺住職。定年退職後、ギフテッドの教育実践をスタート。ギフ寺に遊びに来る子どもたちとの関わりや学びから見えてきたものを語る。教員時代に、北海道大学大学院での研究を行い、「二足の草鞋」を履く。北海道大学大学院教育学研究科博士後期課程単位修得退学。専門は特別支援教育、認知心理学。

取材・文 楢戸ひかる

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