職員室の世代間ギャップ、どう埋める? 年の離れた同僚・先輩との付き合い方を考えよう

現代の公立学校の職員室では、とても若い世代の教員グループと、比較的高年齢のグループに二極化されているようなところが多いのではないかと思います。若手の教員たちにとっては、そのお父さんやお母さんと同じくらいの年齢の主任とマッチングして働くことが多いわけです。
年が離れれば、話は合わないでしょうし、気も遣うことでしょう。さまざまな学校運営のノウハウが伝わらないことも散見されます。どうお付き合いをしていけばいいのでしょうか。
【連載】マスターヨーダの喫茶室~楽しい教職サポートルーム~

目次
アンバランスな年齢構成の職場で
学校の実態をみてみると、高年齢のベテラン教員が主任となり、教職経験の浅い若手とのペアリングがなされることが多いですね。
そうすると、どうしても「指導してあげる側」「教えていただく側」という、心理的な上下関係が極めて強い関係になってしまうのではないでしょうか?
そして、ベテランは昔からやってきたことを当たり前のごとく指導する、若手教員は「はい」と返事はするものの、内心納得がいってないし、そんな古くさいこと…と、わだかまりを抱えている場面も見られます。
まず、若手の方には、ぜひ理解していただきたいのです。ベテラン層の人たちは、今ではパワハラだと言われても仕方ないような経験をしてきました。
それが単なるハラスメントであれば、問題は単純です。しかし・・・。
「昔は、先輩たちはわざと、自分の資料や参考書本を置きっぱなしにした上で、『机の上をふいておけ!』なんて命令してたんだよね。片付けながらそれらを見て、勉強になったよな…」
「昔は、管理職は自分から話しかけてこなかったよね。でも、勇気を出して校長室に相談に行ったら、ためになる本をくれたり、研修を勧めてくれたりしたなぁ」
と、自分にとってプラスの経験をしている方が多いのです。もっと職員室の人数が多く、いろんな世代の人たちが働いていた頃、社会の価値観も少し異なっていたのです。その背景を、ぜひ理解しておきましょう。
同僚性、越境性を超えて
教職は、児童生徒と、その保護者が相手の、対人労働が業務の重大な部分を占めます。素の自分を押し殺して、せんせいとして振る舞うことを求められます。
つまり教師とは、「規範的な感情が商品価値となる感情労働者」ということです。
これは本当に大変なことだと思います。
何しろ児童生徒の指導は定型化できません。そして、いじめや学級崩壊・反抗など、立ち向かう課題の難易度は、とびきり高いです。とても一人では抱え込んでいけません。
これまで教育界では、「同僚性」「越境性」という言葉が使われてきました。
「同僚性」は、仕事のやり方をお互いに見合って意見を交わし、職能を上げていこう、ということですね。また「越境性」とは、教員個々人の仕事の枠を超えて、共同体で仕事を進めようという概念です。
目線の高さが近い仲間同士、つまり共感が生まれやすい環境にあれば、これらの考え方は十分有効でしょう。
しかし、お父さんやお母さんと、その娘や息子たち…という年齢構成の職場においては、なかなか共感が生まれにくいと言えます。
そこで、これらの概念をもう一歩進めて、「家族性」という概念にしてみてはどうでしょう?
親と子では、価値観が合わずにぶつかり合うことは当たり前ですが、それはお互いが本来の自分を出しているからです。衝突はあろうとお互いを認め合い、全員で苦楽を共にし、問題を解決していきます。
お互い胸襟を開いて、本来の自分を出し、共感できる土壌をつくること。そして、この共感をもとにして、仕事の問題や感情を共有し、お互いの相互作用で問題を解決していくこと。
この「家族性」を、みなさんも意識してみませんか?